事例(ロールモデル)

NPO法人「せんだい・みやぎNPOセンター」常務理事・事務局長。テレビの制作会社勤務を経て、コピーライターとなり広告制作会社に勤務。35歳でフリーになった後、広告制作に関わることへの疑問からNPOに興味を持ち、NPOの研究会に参加。同センター設立と同時にコピーライターをやめ、事務局長となりました。(50代)
コピーライターからNPOへ~興味あることを追いかけて~紅邑晶子さん
「大阪NPOセンター」理事・事務局長。大手商社に勤務した後、喫茶店を経営し、出産を機に廃業。子どもの自閉症をきっかけに、子育てサークル作り、ボランティア活動を始め、多文化共生社会を目指すコリア・ボランティア協会を設立。協会の代表代理として活動する中で、大阪NPOセンターの設立に関わるようになりました。(50代)
子育てサークル、ボランティア活動からNPO支援へ~活動する側から、活動を支援する側へ~山田裕子さん
NPO法人「浜松NPOネットワークセンター」代表理事。消費者団体、建築事務所に勤めた後、イギリスの大学院に留学。市民参加型の都市計画を学び、帰国後、1997年に「浜松地域活動ネットワークセンター」を設立。2000年にNPO法人化し、市民活動支援、自主事業、行政との協働事業など幅広く活動しています。(60代)
市民参加による新しい地域社会づくり~目標をしっかりクリアし、次の方向を目指す~山口祐子さん
山口県下松市生まれ。長く暮らしてきた柳井市を拠点として、劇団で俳優として活躍しながら、地域の文化・芸術の振興を目的としたNPO法人「IKACHI国際舞台芸術祭」の運営を担っています。幼稚園教諭でもあります。(30代)
舞台芸術を通して、地域とコミュニケートする~幼稚園教諭、女優、そしてNPO活動~西田純子さん
「子育て支援ネットワークとくしま」代表。徳島市の子育て支援総合コーディネーターなど行政のアドバイザーも多数兼務。結婚後徳島へ転居。子育ての相談先や遊び場などの情報がなかった経験から、1993年に任意団体「徳島子育てネットワークくすのき」を設立し、自前の情報提供活動を開始。2002年にNPO法人となりました。(40代)
子育てを“Enjoy”できる環境づくり~母親を孤立させない子育て支援をめざして~松崎美穂子さん
東京女子医科大学医学部微生物学免疫学教室准講師。東京女子医科大学を卒業後、同大学第二病院の小児科に入局。臨床をしながら免疫の研究を始め、博士号取得。結婚し、3人の子どもを出産。夫・子どもとともにアメリカに留学。帰国後、東京女子医大の微生物学・免疫学教室に移り、医学部と看護学部での教育活動、研究、小児科での診療を行っています。2005年、特定非営利活動法人「女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会 ejnet」を友人たちと立ち上げ副代表理事に。2007年4月からは女子栄養大学教授に就任予定です。(50代)
小児科医から研究者へ~決して0%にしないで、やりたい仕事を続けていくこと~藤巻わかえさん
山口県出身。短期大学卒業後、都内女子大学に編入し生活芸術を専攻。山口県庁入庁。生活改良普及員として、農山漁村の現場や県庁で農山漁村女性の自立、社会参画を推進する生活行政を担当。その後、市町の消費者行政の支援など、消費者行政にも関わる。県庁内で、女性職員を中心に庁外の女性ともネットワークを構築。山口県男女共同参画会議の発足当時から会員となり、行政職員として支えた。2006年消費生活センター所長を最後に県庁退職。現在、NPO法人やまぐち男女共同参画会議理事長。県立大学で非常勤講師も勤める。(60代)
生活改良普及員の経験をもとに男女共同参画を推進~相本艶子さん
1973年、富山赤十字高等看護学院卒業後、看護師として同病院勤務。高齢の患者の病院での死に疑問を感じ、自宅で死を迎えることができないかと模索。1993年、同病院を看護師仲間2人と退職。3人で高齢者・子ども・障がい者が通うデイサービス「このゆびと?まれ」を開所する。対象が高齢者・子ども・障がい者と多様なため、縦割り行政では助成金がつかなかった。3人の退職金と国民金融公庫からの借金で開所した。「このゆびと?まれ」では、高齢の利用者が、同施設で保育されている子どもの面倒をみたり、誰が利用者で誰がスタッフかわからない様子で運営されているが、こうしたことが高齢の利用者の生きがいにもなっている。<br />現在は、4つの事業所を運営し、多様な人々を対象にするデイサービスは「富山型」として全国に広がっている。(60代)
看護師の専門性が生んだ「富山型」デイサービス~惣万佳代子さん
1967年、短大卒業後、大手総合商社に勤めるが2年で退職。1970年転職し、自由でやりがいのある職場で結婚・出産。第2子出産後、仕事と育児の両立が困難になり退職。1982年、専業主婦となるが「このままではいけない」と思い、ボランティア団体「神戸ライフ・ケア協会」に参加。事務局として13年間活動。1995年の阪神・淡路大震災を契機として独立し、「東灘・地域助け合いネットワーク」を立ちあげる。1996年に「NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸」に移行し、当事者支援からコミュニティ支援、さらにはNPOの立ち上げから継続を支援する中間支援組織の理事長となる。(60代)
弱者のエンパワメントとコミュニティの再生を支えるマネジメント力~中村順子さん
短大卒業後、地元の銀行に就職。同期入社の夫と結婚後、夫の東京への転勤に伴い退職。その後、熊本、シンガポール、関西と転居が続く中、子育てをしながら栄養士の資格を活かし、各地で料理教室の講師補助や栄養士、有償ボランティアとして経験を積む。2004年、再度熊本へ戻ったことを契機に独立。講師業のかたわら、熊本県起業化育成支援施設(インキュベーション)に入居し、NPO法人くらしコンシェルジュを立ちあげる。現在NPOでは求職者支援訓練事業によるパソコン教室等を中心に事業をしながら、各種講師や地域活動を展開している。(40代)
資格と経験を活かし、思いをつなげてNPO設立へ~野村順子さん
51件~60件(全108件)

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