転居先でのそれぞれの出会い
短大卒業後地元の銀行に就職し、1994年に同僚の夫と結婚しました。当時は結婚したら大抵は寿退職しましたが、慰留組も少しずつ出てきた時代でした。野村さんは仕事を続けましたが、1996年、夫の東京への転勤が決まり、退職して引っ越しました。
東京では、短大で栄養士の資格を取得していたこともあり、求人広告で見つけた料理研究家の助手の職を得ました。テレビの料理番組や書籍の作成現場に関わり、非常に勉強になりましたが、妊娠による体調不良から、2年弱で退職しました。
第1子誕生後、夫の転勤により熊本に戻り、社宅住まいとなります。外に出たいと思い、託児所付きの職場を探しました。働く時間にあわせて子どもを保育園に預けられるレストランの面接を受け、採用されました。1ヵ月ほど勤務したあと、子どもを預けている保育園に異動することができ、そこで1年間栄養士と調理、食育指導員として勤務しました。
熊本の後は、シンガポールへ転勤しました。3年弱の期間で、この間に第2子を出産しました。2人の子育てをしながら、現地で子どもたちを対象としたサークルや日本人会の運営補助に関わりました。友人たちとの関わりや出稼ぎにきている現地の人たちの働き方などを目の当たりにした経験は、「絵に描いた日本人みたいな価値観」が大きく変化したきっかけにもなりました。
帰国後、夫は大阪での勤務となり、尼崎市に転居しました。ここでもNPO法人が運営する障がい者や高齢者を対象とした料理教室での講師補助など、有償ボランティアとして活動を始めました。活動するときには託児所を利用しました。有償ボランティアとして謝金はもらっても、託児料を差し引けば結局は赤字です。しかし子育て中の気分転換や活動へのやりがいの気持ちの方が大きく、それを理由に活動を辞めることはありませんでした。
地元熊本でのNPO設立に向けて
2004年、夫の転勤で再度熊本に戻ります。熊本に腰を落ち着けることができる見通しが立ったため、これを契機に「今度は自分自身で活動を立ち上げたい」と独立に向け準備を始めます。馴れない土地での子育ての経験から、子育て中に母親どうしがお互いに助け合いや、社会とのつながりを持つことを支援したいという思いを形にするために、任意団体ではなくNPO法人を立ち上げることにしました。法人格を持つほうが、行政に対しての要望や社会的な位置づけとしても活動しやすいだろうと考えたからです。
これまでの経験や栄養士の資格を活かし、マナー全般・秘書業務・料理・栄養学・フラワーアレンジメントなど幅広い分野でのフリー講師として個人事業として活動する一方、NPO法人立ち上げの準備を本格的に始めました。事務所として県の起業家支援のためのインキュベーション施設を安価な費用で借りることができたため、そこを拠点とし、自分自身の事業立ちあげに向けて「種まき」の段階へと入りました。
熊本市内の女性センターへアイディアをもらおうと思って相談に尋ねた際、講師をやってみないかと誘われました。それをきっかけに、県や市の男女共同参画審議委員や事業仕分け、入札監視などの各種委員にも推薦され、行政にも民間の立場として参画することになりました。
2006年には熊本県地域リーダー研修に参加し、この研修修了生の会である「熊本県つばさの会」のメンバーとして、県内外でさまざまな研修にも参加しました。そして同年、「NPO法人くらしコンシェルジュ」を設立します。主な事業は、子育てサロンや講師派遣のほか、厚生労働省の委託事業「緊急人材育成支援事業」に係る求職者支援訓練です。これはパソコン操作技術習得を中心に、ビジネス・マナーやコミュニケーション力、面接のロールプレイングなどを3ヵ月間、終日学ぶ講座です。野村さんはこの事業で、ビジネス・マナーなどの講師を務めています。宅建、船舶免許など公的な資格のほか、親支援プログラムであるNobody's Perfect、野菜ソムリエ、キャリア・カウンセラーなどの民間資格まで幅広く取得していたことが、これらの講師業に役立っています。
活動を支え合うつながりとひろがり
熊本でさまざまな地域活動に参画、NPOの活動も徐々に軌道に乗るなか、女性、特に野村さんの世代が活躍することに対して「出る杭は打たれる」といった状況になることもあり、NPOの運営方法や人間関係の悩みからも「男女共同参画の活動から足を洗いたい」と思うこともありました。しかし「志がある人たちで手を支え合っていきたい」と、「くらしコンシェルジュ」の活動は継続し、一般社団法人「市民活動を支え合う協議会」の立ちあげにも参画しました。活動を続けていく中で、熊本県つばさの会や市民活動を支え合う協議会などの地域活動で一緒になるメンバーは、自分の親より高齢の世代の方が多く、一方で野菜ソムリエの会など資格が元となっている活動では20歳代から高齢の方も在籍し、幅広い世代との関わりがますます増えていきました。こうした関わりのひとつひとつが、自身を成長させ奮起させ、活動を支える源となる大事なつながりとなっています。
家族との関係と新しい仕事と学び
夫は結婚後ずっと転勤に付き合わせたという思いからか、活動について反対はしていません。小学生と高校生の息子も、家事などをよく協力してくれます。近所に住む義父母は、外で働くことに最初から賛成をしていたわけではなく、NPOや男女共同参画の分野に対し、馴染みも薄く理解できなかったようでした。しかし野村さんの頑張っている姿や地域の方からのさまざまな情報から、今では認めてもらえるようになりました。子どもの送り迎えや食事なども各方面から手伝ってもらうなど、家族の理解を得るまでには3年ぐらいかかりました。
現在、週2回、市内小学校で相談員としての勤務もしています。子どもの年齢が上がるにつれ、興味のある分野も、少しずつ年代が上がりました。「発達や不登校で悩むお母さんも、一緒に相談を受けることで、少しでも安心してもらえたら」と、教職員と連携しながら相談業務にあたっています。
さらに放送大学で単位を取得中で、NPO活動や家事のなかで、授業の聴講やレポート作成のための時間をいかにやりくりするかが目下の課題です。キャリアをつなぐものとして資格取得や研修など、継続した学習活動が果たす役割も大きいようです。
(平成22年度インタビュー、平成24年度掲載)