生活改良普及員の経験をもとに男女共同参画を推進~相本艶子さん

生活改良普及員の経験をもとに男女共同参画を推進~相本艶子さん
<プロフィール>
山口県出身。短期大学卒業後、都内女子大学に編入し生活芸術を専攻。山口県庁入庁。生活改良普及員として、農山漁村の現場や県庁で農山漁村女性の自立、社会参画を推進する生活行政を担当。その後、市町の消費者行政の支援など、消費者行政にも関わる。県庁内で、女性職員を中心に庁外の女性ともネットワークを構築。山口県男女共同参画会議の発足当時から会員となり、行政職員として支えた。2006年消費生活センター所長を最後に県庁退職。現在、NPO法人やまぐち男女共同参画会議理事長。県立大学で非常勤講師も勤める。(60代)
相本さんのこれまで
女子短大卒業後、女子大学に編入後、卒業。県庁に就職
1980年  「山口県婦人対策行動会議」発足と同時にメンバーに加入
1997年  山口県セミナーパーク(自治研修所)主査
2002年  山口農林事務所防府支所長
2003年  山口県消費者生活センター所長(2006年退職)
山口県立大学非常勤講師(生活行政学・社会生活論等講義)
2008年  山口県担い手育成総合支援協議会事務局長(2011年退職)
2009年  「やまぐち男女共同参画会議」理事長
生活改良普及員の経験をもとに男女共同参画を推進~相本艶子さん
大学時代にへき地問題(農村問題)に関心を持って生活改良普及員に

  山口県の兼業農家で生まれ育ち、県立女子短期大学に進学、学生時代にサークル活動で取り組んだへき地問題が、その後のキャリア選択につながりました。当時は高度経済成長で、若者の多くが第一次産業から他産業に就職しました。農山漁村に残った男性は日稼ぎに出る人が多く、昼間は高齢者や子ども、女性が、生活・生産活動の担い手として様々な問題を抱えていました。大学時代に取り組んだ問題を追求したいと思い、生活改良普及員の資格をとり、県庁に採用されました。

生活改良普及員の仕事を通じた地域人材の育成

  当時、生活改良普及員は活動の最盛期で、山口県全体で50人前後が活躍していました。1960年代は農村女性が生産の主力な担い手になっていった時代で、特に農繁期は田植え作業に加え、手伝いに来る大人数の食事づくりなど多忙を極めました。普及員は女性を対象に、生活改善グループを育成しました。生活の中から課題を見つけ、話し合いにより改善活動を起こすプロセスを支援して、地域の共同活動を組織化しました。
  1970年代後半は、伝統技を使った漬物や味噌づくりを女性の起業化に結びつける活動も盛んで、それを集落課題に位置づけ、共同加工所を建設、機械を導入、マーケティング活動を行うなど農村の技術発信をする流れができました。
  平成に入ると、女性の視点で集落の問題点や課題を話し合い、集落ビジョンを提言していく活動に取り組んでいきました。
  こうした取組みは、地域課題の検討を通じて、女性が少しずつ視野を拡げ、社会性や社会参画の意味を考え、実践につなげていく活動です。生活改善活動の経験を経た女性が、より大きな婦人部のリーダーや市町の農業委員になるなど、活躍の場も広がりました。

仕事を通じた農山漁村の家族との関わり

  農家経営は家族による企業運営でもあります。経営目標や方針、簿記記帳や作目分担などの役割を家族が会議で決めます。同時に、生活設計や家計費の管理、日々の家事分担など、生産と生活の労働をあわせて考える必要があります。生活改良普及員が家族経営協定に係るということは、個々の経営体の構成員である女性の経営参画を位置づけ、経済面だけでなく生活の質も課題にしていくことです。戸主の理解や農業改良普及員との連携は不可欠で、全体を見渡す力が必要になります。
  農林部にいた半分以上の年数は、政策づくりや事業対応に関わりました。現場の経験を活かし、女性が取り組みやすい単県事業(農村女性組織化事業)を誕生させました。予算編成、事業執行に携わり、役職が上がることで、生活改良普及員として全体がより見えるようになりました。
  「政策決定の場に女性を何割」といった国レベルのスローガンを、地域にどのように落としていくかは大きな課題です。農業従事者の半数以上は女性ですが、JA役員、農業委員は男性がほとんどで、女性の生産組織の長や自治会長もいません。集落の集会は夜間開催が多く参加者はほぼ男性、女性は出しゃばりと言われるのがいやで発言をしません。相本さんが農林事務所支所長として出向くと、女性の発言も増え、男性の共感を得る場面も多くなりました。農山漁村女性の活動支援は、女性の社会参画を進める活動そのものでありました。

女性の社会活動への参加

  「やまぐち男女共同参画会議」の前身は、1980年にできた山口県婦人行動対策会議です。1975年の国際婦人年、その後の「国連婦人の10年」で、世界や日本の動きを山口県にも定着させる流れが起きました。
  農林部は、農山漁村の民主化・近代化の推進役として、女性の地位向上、社会参加を進めるために、意識啓発や教育・研修、実践活動を支援していましたが、行動対策会議ができたことで、農山漁村に限らず多方面に関わるようになりました。県庁職員だった相本さんは、農山漁村女性の支援を通じて、全体会で条例制定の要望や女性の登用についての議論に関わりました。

職員の教育・研修や担い手育成

  1997年から3年間、県・市町村職員の教育、研修を行うセミナーパークに配属されました。講師との交渉や研修内容の検討、講義、パソコンの知識は、その後の仕事にとても役に立ちました。早い時期に女性のエンパワーメント研修やセクハラ講座など、研修に男女共同参画の視点を入れる仕組みも作りました。最後の3年間は、消費生活センター所長として消費者行政に関わり退職しました。在職中は、消費生活相談や、生活学習講座の拡充、消費者リーダーの育成・組織化など人材教育にも力を入れました。
  その後、農業の担い手を支援する、山口県担い手育成総合支援協議会の事務局長に就きました。協議会は市町で、集落農業の法人化の課題や必要な支援について情報交換を行います。法人役員はほとんど男性で、基幹的農業従事者の半数以上を占める女性たちの声が反映されていません。政策決定の場に女性が参画し声をあげるには、ある程度の人数が必要なので、これをなんとかしたいと考えています。

ネットワークを培う

  ネットワークの偏りは女性の困難の一つです。男性は仕事や飲み会を通じて、広いネットワークを持ちます。一方女性は、職種が限定され、家事と仕事が多忙で、集まってコミュニケーションをとりづらい。相本さんは、現場の仕事や県庁内の異動、自主研修を通じてネットワークを培い、民間の動向も常に意識してきました。
  県庁職員や教員、民間企業の女性管理職が参加した「山口県有職女性の会」でも、さまざまな情報や先輩とのつながりを得ました。職場には大学の先輩も多く、多くの場面を設定してくれました。また、専門技術研修、キャリアアップ研修、国内留学・海外研修など、現場課題に対応できる人材を育てる制度や、自主的な取組みを支援する環境がありました。

NPO法人やまぐち男女共同参画会議での活動

  「山口県婦人行動対策会議」に本格的に携わるようになったのは、退職した2006年以降です。2011年に山口県担い手育成総合支援協議会を退職するまで働きながら活動し、対策会議がNPO法人化した後の2009年、理事長に就任しました。
  「やまぐち男女共同参画会議」の活動は、主にセミナーや研修会の開催、啓発資料や広報による情報発信、他団体との情報交換です。役員18名はボランティアで、会費を運営資金にあてて活動しています。男女共同参画課に事務局があった頃は600人いた会員が、高齢化などで現在250名ほどに減っています。現在の課題は、組織を若い人に継承していくことです。育成講座だけでは不十分で、講座終了者を組織化し、そのあとのフォローや情報提供、活躍の場が必要であり、それを実行する人材や、雇用に結びつける仕組みづくりが目標です。
  圧倒的に女性登用率が低かった時代は、みんなで横につながり働きかけることで進んできましたが、今はある程度男女共同参画を達成し、共通目標が見えにくくなっています。社会や経済の担い手として女性の役割が重要になっている現在、みんなが一緒に行政と連携を図りつつ進めていくことが必要であると相本さんは考えています。

(平成22年度インタビュー、平成24年度掲載)

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