大学に進むまで
小さい頃から科学雑誌の附録で実験するのが大好きだった藤巻さんは、シュバイツァーや北里柴三郎の伝記の影響もあり、中学生の頃からお医者さんになるのが夢でした。両親は「はんこ屋さん」を営んでいましたが、そんな藤巻さんの夢を最大限にバックアップしてくれました。そのため、高校は県内一の松本深志高校に進学、楽しく実り多い3年間を過ごし、東京女子医科大学に進むことになりました。
小児科で医師の修業をスタート
大学3年生のとき、友人3人と実験器具も手作りで、電気刺激によって目の見えない人に情報を伝達することができないかということを研究しました。全くの課外活動で成績になるわけでもありませんでしたが、自分たちで自由に実験や研究をする魅力があり、3年ほど研究室に通いつめて、研究結果を、藤巻さんにとって最初の論文にまとめました。それほど研究に熱中しましたが、大学6年を修了すると、基礎研究ではなく小児科医の道を選び、大学の第二病院の小児科に入局しました。それは親が臨床の医師になってほしいと思っていたこと、そして自分自身、臨床と関係のない研究はしたくなかったので、臨床経験を積んでから基礎研究に行こうと考えたからでした。小児科を選んだのは、専門に細分化されておらず、しかも成長発達という過程があって多様性に富むということからでした。さらに、第二病院には、自分の子どもが何か病気になったときに真っ先に診てほしい、絶対安心して診てもらえると思える、人柄の素晴らしさ、仕事の適確さを共に兼ね備えた恩師、故・草川三治先生がいらしたことも、理由の一つでした。
そしてはじめは数年間の研修のつもりでしたが、翌年には小児科の仕事と並行して研究をスタートさせることができたため、留学が終わるまで12年間近く在籍することになりました。
「家庭か仕事か」ではなく「家庭も仕事も」
入局3年目に結婚し、その後3人目の子どもが産れた時が最初の転機でした。それまではベビーシッターや、友人の助けを借りて、なんとかフルタイムの勤務を続けてきましたが、子どもが3人になると難しくなり、週3回勤務のアルバイト生活に切り替えることにしました。その生活が3年ほど続いたあと、夫のアメリカ留学が決まり、藤巻さん自身も留学することにします。留学先をさがして履歴書を送り、受け入れ先は小児癌の免疫療法を研究するところに決まりました。当時4歳〜1歳の子どもたちも一緒のアメリカ滞在で、2年半の研究生活を送りました。アメリカでは職場のトップに女性も多く、また子育てに男性も女性もきちんと関わっていて、それまでは子育ては藤巻さん任せだった夫が変わったことが、とても良かったそうです。
このような経験から、藤巻さんは、医師を目指す女子学生には「やっぱりお医者さんって人間を診るものだから、自分以外の人間に責任を持つような、母親としての立場、そういうものを経験した人に、私だったらそういうお医者さんに診てほしい。仕事か家庭か、仕事するか、仕事辞めて子どものことやるかどっちかっていう人がいますが、大変だろうけれど、欲張ってその両方やってほしい。そのために私たちは一生懸命両立できるように、足元を考えていくから」と話しているそうです。
研究と医師の仕事はつながっている
日本に戻り、藤巻さんは研究を仕事の中心におくことにしました。これまでリンパ球の反応性について研究を続けてきて、大人と子どもでは、毒素に対するリンパ球の反応が違っている事が分かり、いまはそれが何によって違うのかということを研究しています。それが分かってくると、感染症にかかりやすい赤ちゃんにどう対処すればいいのかが分かってくるのです。藤巻さんにとっての研究は、小児科での経験に根ざし、診療と密接につながっているのです。
教育の面白さを知って
病院から大学の研究室に戻って学生を教えるようになり、教育に興味を持つようになりますが、特に看護師を目指す学生に教えるようになったことは大きな経験でした。1998年、看護学部の立ち上げから関わり、まったくの白紙状態から、どういう講義内容にするか、実習をどうするかなど、全て自分で考えながらカリキュラムを組み、つくり上げていきました。
女性医師が仕事を続けていくことができるように
2005年から、もうひとつ大事な活動を始めました。NPO法人「女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会 ejnet(イージェーネット)」を友人たちと立ち上げたのです。
男性が多く、長時間の厳しい労働条件が当たり前になっている医学の世界では、むかしから女性が家庭と仕事の両立に悩み、キャリアアップどころか、仕事を続けることの難しさを感じてきましたが、その難しさは藤巻さん自身が経験してきたことです。NPOでは、そんな医学界の意識構造を変えて、女性が働き続けられる状況や、キャリアアップして、リーダーシップを取ることができるようなシステムをつくることを目指していくそうです。
夢をもって、やりたいことを続けていって欲しい
藤巻さんは、「念ずれば花ひらく」という言葉が大好きです。自分がやりたいと思ったことを、ともかく一生懸命やれば、実現するのだと思ってきました。ですから、子育てするのに例えば医師であれば何科が楽かといったことは考えないで、自分のやりたいことを見つけて夢をもち、やりたいことに向って手立てを考えながら、一生懸命やっていって欲しいと思っています。そして、「100%のパワーで続けられないこともあるかもしれないけど、途中でゼロにはしないように。それを50年やるときもあるかもしれないけど、だけど必ずまた戻ってきてほしい。ゼロにすることはなるべく避けて、キャリアをともかく維持して、それで最後まで医師としての仕事を全うしてほしい。」と話してくれました。
関連ウェブサイト
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特定非営利活動法人女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会