舞台芸術を通して、地域とコミュニケートする~幼稚園教諭、女優、そしてNPO活動~西田純子さん

舞台芸術を通して、地域とコミュニケートする~幼稚園教諭、女優、そしてNPO活動~西田純子さん
<プロフィール>
山口県下松市生まれ。長く暮らしてきた柳井市を拠点として、劇団で俳優として活躍しながら、地域の文化・芸術の振興を目的としたNPO法人「IKACHI国際舞台芸術祭」の運営を担っています。幼稚園教諭でもあります。(30代)
西田純子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
短大卒業後、演劇を志しながらも、地元の幼稚園への就職を選択。2年間、短大の通信教育課程で学び、幼稚園教諭の資格を取得。
1992年、幼稚園に就職。同時に演劇サークル「あひる企画」を立ち上げ、活動を始める。
サークル活動の一環で地域おこしのイベントに参加し、大学で演劇を学んだ久保田さんと出会う。
1993年、劇団「POP THEATRE Я」を結成。
1997年より、元映画館だった「みどり会館」修復活動を開始。翌年からここを拠点に活動を広げる。多忙なため、幼稚園の仕事をパートタイムに切り替える。
2000年、「第1回IKACHI国際舞台芸術祭」を開催。
2003年、イベントの運営活動をNPO法人化。また、パートタイムから正規の幼稚園教諭に復帰。
舞台芸術を通して、地域とコミュニケートする~幼稚園教諭、女優、そしてNPO活動~西田純子さん
NPO法人「IKACHI国際舞台芸術祭」

芝居の公演が始まったのは、夜8時。舞台が暗転すると、やがて一切のものが目に映らなくなりました。リンリンと響く秋の虫の音とともに、いちだんと濃く深く迫ってくる闇と静寂。田んぼと隣り合わせの芝居小屋ならではの、したたかな舞台効果です。
この他に類を見ない舞台を提供しているのは、山口県柳井市伊陸(いかち)で活動するNPO法人「IKACHI国際舞台芸術祭」です。のどかな田園風景の中に建つ、旧映画館を改装した芝居小屋は、その本拠地です。
「IKACHI国際舞台芸術祭」では、年に1度のイベント「IKACHI国際舞台芸術祭」の開催を中心として、文化・芸術の振興、次代を担う青少年の健全育成、豊かな地域づくりを目的としたさまざまな活動をおこなっています。
西田さんは、「IKACHI国際舞台芸術祭」(以下IIFと略)の立ち上げ当時から、中核メンバーの1人として活動を支え、現在は事務局の運営を担当しています。

演劇を求めつづけた10代

山口県下松市生まれ。13歳から柳井市で育ち、現在も柳井に住んでいます。物心ついたときから演劇が好きだったという西田さん。中学生の頃から、演劇が根づいていない周囲の環境に物足りなさを感じていました。高校卒業後には、演劇の専門学校に進もうとも考えましたが、「専門学校はいつでも行ける」という叔父のアドバイスを聞いて短大に進学。
短大卒業を控えて、再び演劇の専門学校に心ひかれます。しかし、回り道ばかりもしていられないという思いから、就職を優先。子どもが好きで、知り合いの幼稚園園長から園に就職しないかと誘われていたこともあって、短大の通信教育課程で、幼稚園教諭の資格をとることにしました。

働きながら演劇活動

1992年、幼稚園教諭の資格をとり、幼稚園で正規の職員として働き始めます。さらに同じ年、柳井市で「あひる企画」という演劇の企画サークルを結成。柳井で演劇をやりたい、演劇を通じて街とコミュニケートしたい、という思いを、なんとか形にしたかったからです。
サークルは立ち上げたものの、その後は、商店街のイベントで寸劇をしたりしながら、方向性を模索する日々。そんなあるとき、地域おこしのイベントが参加団体を募集するポスターを見た西田さんは、「宣伝になれば」と軽い気持ちで応募しました。
このイベントで、後にIIFの中核的リーダーとなる久保田さんと知り合いました。当時の久保田さんは、大学で演劇を専攻した大阪から柳井に戻り、音楽活動やまちおこしに打ち込んでいた最中で、イベントには実行委員として参加していました。「口は出さんけど応援しちゃるけぇ」という久保田さんの励ましに、大いに元気づけられました。
その後、あひる企画はプロデュース公演に挑戦。公演が終ったとき、見かねて「これじゃいけんじゃろ、劇団つくろう」と言い出したのは、他でもない、「口は出さない」はずの久保田さんでした。こうして、1993年、久保田さんと西田さんを中心に、劇団POP THEATRE Я(ポップ・シアター・ヤ)が発足。次の年に旗揚げ公演をおこない、3年後には現在中心メンバーの1人である国崎さんも入団。このPOP THEATRE Яのメンバーが、IIF立ち上げの土台となりました。

「第1回IKACHI国際舞台芸術祭」開催からNPO法人設立へ

戦後に建てられた旧い映画館で、長く廃屋となっていた「みどり会館」。この建物を地域の文化活動の拠点として使えないかと考えた西田さんたちは、所有者と管理者に問い合わせて許諾を得ると、劇団員と地元の有志を集めて会館の修復に取りかかりました。稽古場と舞台の確保にしじゅう悩まされてきたことを思うと、願ってもないチャンスです。
1997年から開始した修復は、98年に終わり、さっそく演劇の公演や音楽会などが開かれるようになりました。そんな頃、海外から訪れたアーティストが、みどり会館を見て、「ここで何かを作ってみたい」と声をかけてきました。そこで、海外のアーティストも交えて、演劇・音楽・舞踏といった、さまざまな舞台芸術の相互交流に向けたイベントを企画。ついに2000年、「第1回 IKACHI国際舞台芸術祭」が実現しました。以来、このイベントは毎年おこなわれています。
2003年、芸術祭の継続性や外部へのアピールを考えて、活動をNPO法人化することに決めました。

仕事と演劇活動の両立

公演活動、みどり会館の修復、地域の舞台芸術のサポート役と、活動がどんどん忙しくなる中、西田さんは幼稚園の先生としても働き続けていました。しかし、あまりの多忙に、連日の睡眠時間はたった2時間。ついに限界を感じ、悩み抜いた末、幼稚園の仕事をパートタイムに切り換えました。「幼稚園の先生になりたい人はいっぱいいるけど、こんなバカなことをやりたい人は他にいない」と。
その後、2003年度からは、幼稚園側からの要望もあり、再び正規の幼稚園教諭に戻りましたが、仕事と演劇の両立という悩みは今でも変わりません。劇団やNPOの活動が広がっていこうとするときに、仕事に足をとられて思うように動けないもどかしさ。しかしだからといって定職を手放すわけにもいきません。自分ひとりならパートでもと思いますが、一度入院した母親の体のことも心配です。

劇団、NPO とこれからの自分

劇団に対する最近の関心は、役者として舞台に立つことよりも、むしろ裏方に回って、若い人たちが活躍できる体制を整えること。また、NPOでも、地域の中から後継者を育てていくという課題が残っています。
活動を続けるコツは、迷ったら必ず基本に戻って確認すること。西田さんは仲間と共に、数々の問題をこの方法で乗り越えてきました。「基本で大事なところを見失わなかったら、何をやっても大丈夫なんじゃないかなって。」どんなときも、すっきりと初心に忠実であろうとする西田さん。これからも新しい文化を柳井から各地へと運んでくれることでしょう。

(平成16年度インタビュー、平成18年度修正)

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