子育てサークル、ボランティア活動からNPO支援へ~活動する側から、活動を支援する側へ~山田裕子さん

子育てサークル、ボランティア活動からNPO支援へ~活動する側から、活動を支援する側へ~山田裕子さん
<プロフィール>
「大阪NPOセンター」理事・事務局長。大手商社に勤務した後、喫茶店を経営し、出産を機に廃業。子どもの自閉症をきっかけに、子育てサークル作り、ボランティア活動を始め、多文化共生社会を目指すコリア・ボランティア協会を設立。協会の代表代理として活動する中で、大阪NPOセンターの設立に関わるようになりました。(50代)
山田裕子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
学校卒業後、大手商社に就職。能力を発揮するが、過度の期待が負担となり、2年後に退社。
親戚の会社などで働いた後、喫茶店を開業。結婚し、夫と2人で経営に当たる。
6年後、出産を迎え、一時的な休業のつもりで喫茶店を閉店。
子供が1歳のとき、自閉症であることが判明。子供の居場所を作るために、地域の育児サークルに参加。
仲間と育児サークル「子育てみっくす」を結成。「みっくすVG」というボランティアグループも作り、ボランティアと障害児・健常児の家族の交流の場を設ける。
子供と一緒に通い始めた書道教室で、在日コリアンの書道家カンさんと知り合う。
カンさんの誘いで、多文化共生社会を目指す活動「コリア文化ホール」をスタート。
カンさんと一緒に「コリア・ボランティア協会」を設立。対外活動を担当する中で、大阪市の市民団体による中間支援組織の設立計画に参加。
1996年、「大阪NPOセンター」設立。1999年にNPO法人化。
子育てサークル、ボランティア活動からNPO支援へ~活動する側から、活動を支援する側へ~山田裕子さん
「大阪NPOセンター」の活動

大阪NPOセンターは、NPOで活動する人材の育成、実践的マネジメントに関する支援をおこなう、いわゆるNPOのサポートセンター、中間組織です。ボランティア団体や任意団体など、広い意味でのNPO、市民活動を支援しています。
設立は1996年。1999年にNPO法人となり、大阪府の府税事務所だった「大阪NPOプラザ」に事務所を置いています。これまで、数々の先駆的でユニークな支援事業を展開し、注目を集めてきました。
その1つ「OSAKA NPOアワード」は、各NPOにプレゼンテーションを競わせ、より独自性のある活動をおこなっている団体を表彰する事業です。NPOの評価基準を明確にし、市民・行政・企業・大学研究機関などに公表することで、支援者拡大を目指すもので、1997年から毎年開催しています。
市民団体のマネジメントの力を高めるための「NPOたすけ隊」は1998年からスタート。弁護士や公認会計士など、さまざまな専門家が企画運営について相談に当たるコンサルタント事業です。NPOに詳しい専門家の育成もおこなっています。
そのほか、将来NPOで活躍する人材を育てるための「NPO大学院講座」、非営利組織に人材を紹介する「ジョブネットNPO」も始めました。今後は、これらの事業を収益に結びつけることが課題だといいます。

設立の経緯

1995年、阪神淡路大震災をきっかけに、多くのボランティアが生まれ、市民団体の必要性が社会的に高まりました。しかし、その活動基盤は脆弱。そこで、大阪青年会議所の呼びかけで、大阪の市民団体が集まり、市民団体の活動を支援する中間支援組織を立ち上げるための会合を開きました。
コリア・ボランティア協会という任意団体で活動していた山田さんも、1996年から団体代表の1人として参加。当初は、そうした支援組織があればいいなという程度の考えでしたが、参加しているうちに、支援組織の発起人に加わることになり、設立に向けて具体的に取り組むことになりました。
こうして、1996年の11月に「大阪NPOセンター」が発足。山田さんは幹事として参加し、現在は理事・事務局長を務めています。

商社をやめ、喫茶店を経営

山田さんは、大阪市生まれ。学校卒業後、大手商社に就職し、入社2年目には、これまで男性がしていた仕事を任されるようになりました。しかし、過度の期待がプレッシャーとなり、退社して新たな道を模索。
しばらく親戚の会社などで働いていましたが、父親が自営業をしていた影響もあり、「自分で何かしなければあかん」と商売をすることを考えました。料理が好きだったので、開業資金を借り、喫茶店を始めました。結婚し、夫と二人三脚で、商売は順調に進みました。
その6年後、妊娠をきっかけに喫茶店を廃業。借金の返済が終わり、客足も芳しくないので、ちょうどよい機会と思い、子育てが一段落したら、また別の場所で再開するつもりで店を閉じました。

自閉症の子どもと一緒に歩む

ところが、子どもが1歳のとき、自閉症であることが判明。保育所に預けて商売をするどころではなくなり、大きな戸惑いを抱えつつも、子どもの遊び場と仲間を探すために動き始めました。近所で障害児と健常児の両方を受け入れている「生野子どもの家」に通ったり、子どもの遊び道具を手作りしている健常児の親たちのサークルに参加したりするようになりました。
その頃から、障害児も健常児と変わらないという思いを持っていた山田さんは、やがて仲間30人くらいで「子育てみっくす」という子育てサークルを結成。また、「みっくすVG」というボランティアグループを作り、家族ぐるみでレクリエーションをしたり、子どもがボランティアと遊んでいる間に障害児の親どうしが意見交換したりできる場を設けました。

カンさんとの出会い、コリア・ボランティア協会の設立

小学校3年生から書道の授業があるというので、子どもと一緒に書道教室に通い始めたところ、そこでカン・スボンさんという在日コリアンの書道家に出会いました。カンさんも、教室の生徒たちとボランティア活動をしていました。あるとき、在日コリアンの人から、自分のマンションの2階を何か社会に役立つ活動をしている人に提供したいと相談されたカンさんは、悩んだ末、一緒にやらないかと山田さんに声をかけました。山田さんのボランティア活動について知っていたからです。
山田さんが活動していた大阪市生野区は、もともと高齢者、障害者、在日コリアンの多い町です。山田さんは、自閉症の子どもを持ったことや、カン・スボンさんとの出会いをきっかけに、人権問題について考えるようになりました。そして、民族、国境、ハンデを越えてお互いの違いを認め合う共生社会を作るために、「コリア文化ホール」という名で活動をスタート。その後、カンさんが代表、山田さんが代表代理となって「コリア・ボランティア協会」を設立しました。
協会の代表代理として対外的な活動をしていた山田さんは、やがて市民団体の中間支援組織の立ち上げに深く関わっていくことになります。

積極的に外に出て学ぶ

「様々なものに触れたり、接したりしているうちに、自分がこうなってしまった」と、山田さん。ふり返ってみると、コリア・ボランティア協会の活動を通して、ほかの市民団体の人たちと知り合い、話を聞き、多くのことを学んだといいます。資金集めの苦労も、一種の勉強。
山田さんは、資格も取らず、体系だった学習もしていないかわりに、常に実践しながら学んできました。実践してきたことを、後で本を読んで確認する。その繰り返しです。また、シンポジウムなどがあれば、直接自分に関係ない分野のことでも、積極的に聞きに行くといいます。意外なところから、活動のヒントを得られることは少なくありません。
困難なことや、一見関係ないようなことも、常に前向きに捉え、自分の中に取り込み、うまくチャンスに転化していく強さ。そんな山田さんの「したたかさ」は、市民活動支援の場でも、大いに力を発揮することでしょう。

(平成16年度インタビュー、平成18年度修正)

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