調査研究を通じた市民活動~学習グループ代表/調査会社パート社員 津田好子さん~

調査研究を通じた市民活動~学習グループ代表/調査会社パート社員 津田好子さん~
<プロフィール>
市民館の女性セミナー(婦人学級)参加をきっかけに誕生した自主学習グループ「ぷらす?」代表。年金をテーマにした学習、提言活動を継続しています。津田さん自身はグループの活動とあらたに就いた仕事を両立させる道を探っています。
その後、2006年『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号に実践事例研究掲載。2007年、東京女子大大学院人間科学研究科博士後期課程に入学。(40代)
津田好子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
大学で女性学と出会い、女性学をさらに学ぶために大学院に進学。
大学院修了後、地元大阪の会社に就職。医学関係の文献検索の仕事を担当する。
東京勤務の夫と結婚し、川崎に転居。仕事は継続したが、出産を機に退職。
夫のアメリカ転勤に同行し、子どもを連れて3年間アメリカの大学町で生活する。知り合った専業主婦たちが再就職に向けて準備しているのに刺激を受ける。
帰国後、就職活動を開始。また、市民館の女性セミナーに参加。
女性セミナーで、同じ団地に住み、自主学習グループ「ぷらす?」のメンバーである女性たちと知り合う。「ぷらす?」の学習会に参加しながら、しばらく中断していた女性学を少しずつ再開。
翌年の市民館の女性セミナーに向けた市民企画委員を務める。これをきっかけに、本格的に活動を展開。
1998年より、「ぷらす?」の代表を務める。
2006年『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号実践事例研究掲載
東京女子大大学院人間科学研究科博士後期課程に入学。
調査研究を通じた市民活動~学習グループ代表/調査会社パート社員 津田好子さん~
政策提言する学習グループの代表として

津田さんは現在、自主学習グループ「ぷらす?」の代表を務めています。「ぷらす?」は、川崎市の麻生市民館の「婦人学級」(現「男女共同参画セミナー」)参加者のうち、講座が修了後も学習を続けたいと思う人たちが1991年春に発足させたグループです。会の名前には、集まりの参加者が何かひとつ得るものを持ち寄り、また持ち帰ることができるように、との思いが込められています。
現在、メンバーは9名。30代から70代まで幅広い年齢の女性たちがメンバーで、各自のライフスタイルも多様です。共通点は、誰もが「専業主婦」として生活した経験があること。津田さんが活動に参加したのは1996年、その後98年から代表になりました。
現在の「ぷらす?」の活動は、女性と年金に関する年金制度をめぐって多方面に展開しています。年金制度について学習するうちに、当時から話題になっていた国民年金の第3号被保険者問題について関心が深まりました。マスコミなどで話題になりながら、肝心の当事者の声が聞こえてこないといわれたので、第3号被保険者自身の意見を調査してみようと考え、川崎市市民局人権・男女共同参画室が公募した「川崎市女性問題調査・研究」に応募し、実際にインタビュー調査などをしました。1年かけて調査した結果を1998年に報告書「専業主婦の立場から年金制度を考える」にまとめました。
その後、厚生労働省の「女性と年金検討会」をメンバーが交代で傍聴し、社会保障審議会の年金部会の議論も傍聴を続けながら、年金問題と取り組む他のグループと連携するようになりました。さらに、年金制度に関するシンポジウムを共催したり、シンポジウムにパネリストとして参加したりするなど、活動範囲を広げています。
津田さんは、活動のまとめ役を担ってきましたが、それに加え2003年6月からは、調査とコンサルティングの会社にパートタイムで勤め始めました。週に2回オフィスに出向いて仕事をするほか、単発的にインタビューの仕事もします。
「収入を扶養の枠に限らないでやっていきたいということは、社長にも伝えてあります」。津田さんの仕事に対する意欲は、「ぷらす?」の活動を通じて培われた年金問題に関する問題意識ともしっかりと結びついています。今後の仕事と活動については、「両方をフィフティ、フィフティでやっていきたい」。津田さんにとって「ぷらす?」の活動は、「大切なもう1つの仕事」です。

女性学にフタをした子育て期

津田さんは、父が技術系の勤め人、母は専業主婦という家庭の長女として大阪市で育ちました。家は住宅街にあり、親戚にも近隣にも専業主婦以外の大人の女性は見あたらず、通学した高校も、女性の教員は保健体育と家庭科だけ。大学で女性学を知るまでは、早く結婚して子どもを産むという将来像しか描いていなかったそうです。
大学では社会学を学び、女性学に出会い、女性学をさらに学ぶために大学院に進学。母は「女の子らしくしなさい。だけど勉強はできなきゃだめよ」というタイプだったので、大学院進学について反対はされませんでした。
大学院卒業の時期は、男女雇用機会均等法の施行の直前で、またバブル前でもあったため、就職活動は難航。女性学専攻で、統計的手法ではなく、質的調査法を専門とする大学院生の「就職可能性はゼロでした」。結局、新聞広告でみつけた地元の会社で、医学関係の文献検索の仕事に就きました。
その後、東京勤務の夫と結婚。川崎市に転居しましたが、仕事は続けました。しかし、出産で退職。当時は職場に復帰するつもりでしたが、育児が大変だったためやむなく断念。やがて夫がアメリカに転勤。3歳の子どもを連れてカリフォルニア州の大学町で3年間生活し、同じように子どもをもつ専業主婦と交流して刺激を受けました。

学習活動と共に女性学が息をふきかえす

帰国して川崎市の団地に戻った津田さんは、子どもが小学校に入学し、時間のゆとりが出来たので何かしたいと思い、就職活動を始めました。そして、特別の経歴や資格のない主婦が再就職することの難しさを実感していました。
市民館の女性セミナーに参加したのは、ちょうどそんな頃でした。女性学を続けたいと思いながらも、子育ての忙しさのなかで「女性学にもフタをしてしまって」いた津田さんは、このセミナーをきっかけに、迷いながらも少しずつ女性学の学びや実践を再開し始めました。アメリカで出会った専業主婦たちが、子育て後の再就職の準備をしていた姿も、心に残っていました。
そこでまず、セミナーで出会った同じ団地に住む女性たちがつくっている「ぷらす?」というグループに、参加することにしました。グループでは当時、団地の集会室に月2回集まって女性学テキストの輪読をしていました。
さらに、「ぷらす?」のメンバー数名と共に、翌年の女性セミナーのための市民企画委員を引き受けました。ミーティングでは、週1回、10回連続の講座をゼロから企画・運営していくために、納得いくまで時間をかけて議論を重ねました。委員のなかには、女性セミナーの主旨をよく理解していない人や、セミナーに参加した経験のない人もおり、理解し合うまでにはかなり苦労しました。しかしこの経験が津田さんにとっても、「ぷらす?」にとっても、次のステップに進むための力になりました。
大阪の学生時代の友人たちは各地に散って、めったに会うこともありません。また、近所の人などとの身近な関係では、女性学的な自分の考え方を主張していくのは難しいことでした。津田さんにとって「女性学にフタをした」状態が続きました。しかし「ぷらす?」と議論を重ねるなかで問題意識を共有し、仲間意識を深めることで、津田さん自身も、本音で語り、続けたかった女性学的なものの見方を生活の中に取り戻すことができるようになりました。
学生時代の女性学との出会い。さらに「ぷらす?」との出会い。人生の転換点を2つ通過した津田さんは、再び収入を得る仕事に就くことで、第3の転換点を迎えようとしています。

(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)

インタビューその後

年金制度を通して女性の生き方を考えるという、主婦の当事者としての「ぷらすI」の調査研究活動は注目を浴びるようになりますが、活動が大変になり、津田さん自身もグループでの調査研究に限界を感じるようになりました。同時に再び大学院で勉強をし直したいと強く願うようになり、2006年、力試しに『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号に『地域特性に即した女性たちの再チャレンジ支援−首都圏郊外にくらす主婦たちの声から−』を投稿し、掲載されます。その後、2007年、東京女子大大学院人間科学研究科博士後期課程に入学。研究テーマである「郊外都市の女性たちのコミュニティー形成」は、津田さんのこれまでの活動実績が活かされています。(「ぷらすI」は2007年3月に解散しました。)

◆津田好子さんの掲載実践事例研究

「地域特性に即した女性たちの再チャレンジ支援−首都圏郊外にくらす主婦たちの声から−」
『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号

(平成20年度追加)

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