職業的な自立を求め続けて多様な仕事を経験~女性問題学習ボランティア/メーカー事務職員 坂本照子さん~

職業的な自立を求め続けて多様な仕事を経験~女性問題学習ボランティア/メーカー事務職員 坂本照子さん~
<プロフィール>
足立女性センター(現足立区男女参画プラザ)の女性大学に参加し、そこで知り合った仲間たちと自主グループを結成。女性センターとの共催で、フェミニスト・カウンセリング講座を企画するなどの活動をしています。経済的な自立を目指して再就職した後、友人と花屋を起業しますが、うまくいかず、転職。その間にさまざまな職業資格を取得しました。(50代)
坂本照子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
高校卒業後、専門学校に進学。製図の技術を身につけ、家電メーカーの技術部に就職。
2年半勤めて、別の電機メーカーに転職。結婚を機に、退社。
出産後、専業主婦の生活が次第に息苦しくなってくる。
夫の仕事で東京に転居。地域の親たちと自主幼稚園を始める。その後、銀行でパートを始める。
事業を興したばかりの夫が倒れ、看病と仕事の後始末に追われる。
夫の病気も落ち着いた頃、事務職の正社員として就職。働きながら、夜間専門学校に通い、簿記3級を取得。さらに保険代理店の資格も取得。
バブル崩壊のあおりで、勤めていた会社のセクションが閉鎖。解雇を言い渡され、ショックで自信を失う。
区の女性大学で、自己表現トレーニングに関する連続講座を受講。修了後、受講生有志と共に、学習グループ「ミズリノ」を結成。
女性センターに場所を借りて、「フェミニストカウンセラー養成講座」を2年間実施。修了者と共に「ヴィ・アイム」を立ち上げる。
友人と一緒に花屋を開業。1年後、精密機械部品メーカーに転職。フルタイムの事務職として働く。
2005年12月NPO法人ウィメンズ・サポート・オフィス連設立。
職業的な自立を求め続けて多様な仕事を経験~女性問題学習ボランティア/メーカー事務職員 坂本照子さん~
ボランティア活動とフルタイム勤務

坂本さんは現在、NPO法人ウィメンズ・サポート・オフィス連として、足立区男女参画プラザと協定を結んで、講座を提供しています。女性大学で出会った自己表現の学習や、仲間とつくった自主グループでの学習の成果を、自分の暮らす地域で他の女性たちに還元したい。そんな思いが、坂本さんのNPO活動を支えています。
また、精密機械部品メーカーの事務として、フルタイムの仕事もしています。再就職や転職などでさまざまな職場を経験しながらも、一貫して経済的自立を追求し、働くことにこだわり続けてきた坂本さん。しかし坂本さんがそのような生き方を見出すまでには、さまざまな紆余曲折と、仲間たちの支えがありました。

のんびりとした少女時代から結婚まで

群馬県に生まれた坂本さんは、中高一貫のキリスト教のミッション・スクールで、のんびりとした少女時代を過ごしました。卒業後は専門学校に進学して製図の技術を身につけ、大手家電メーカーの技術部に就職。男性ばかりの職場で、好きな製図に専念しましたが、2年半で別の電機メーカーに転職しました。
転職した先の職場で、結婚。同時に会社も辞めました。家事は全部自分がやるつもりだったので、負担を軽くしようと思ったからです。仕事を失うことに抵抗感はありませんでした。しかし実際に始まった専業主婦の毎日は、坂本さんにとってつらく、暗い時代でした。自分と子どもだけで家にいることに耐えられず、実家に行って時間をやり過ごすことも。とにかく何か、外の社会と触れることが必要でした。
その後、夫の仕事で東京に転居。下の子が幼稚園に入れなかったので、公団の集会所を借りて、10人くらいの親と自主幼稚園を始めました。ところが、仲間が海外に行くことになり、友人を失ってなんとなく生活にはりがなくなった坂本さんは、代わりに、銀行で月5万円のパートの仕事を始めました。
しかしそれもつかの間。約1年後に、友人と事業を興したばかりの夫が、病気で倒れてしまったのです。坂本さんは、弁護士との相談や金銭的な処理など、逃げ出したくなるような細かい後始末を、すべて手探りでやり遂げました。

女性大学との出会い

苦しかった時期に、坂本さんは足立区の女性大学で、23回にわたる女性問題学習と自己表現トレーニングの講座を受講しました。修了後、坂本さんはもっと学びを続けようと思う仲間と「ミズリノ」というグループを結成。最初は講師を呼んで学習を続けていましたが、もっと本格的にフェミニスト・カウンセリングの講座を受けたいという思いから、「フェミニストカウンセラー養成講座」という2年間の自主講座を企画。女性センターに支援を求め、講座を開くための場所を提供してもらいました。
この養成講座によって、同じ地域の多くの女性と出会った坂本さんは、ここから新しく「ヴィ・アイム」というグループを立ち上げました。クローズのグループである「ミズリノ」に対して、対外的な活動も積極的に進めていく「ヴィ・アイム」。性格の異なる2つのグループは、どちらも坂本さんにとって、生涯大切な支えとなりました。
活動を進めると同時に、坂本さんは女性センター主催の「学習を作る実践講座」を1年間受講し、自主講座づくりに関する実践的な力をつけました。現在は男女参画プラザと協定を結んで、講座の企画運営を共催しています。これからも、同じような悩みを抱えた女性たちを支える活動を通じて自分自身が学び続けたい、と坂本さんはいいます。

経済的自立を求めて

夫の病気も落ち着いたころ、経済的に自立したいと思い始めた坂本さんは、何かしたいと、女性のための起業支援講座などにも通いました。やがて事務職の正社員として再就職。それと同時に、夜間の専門学校に3ヶ月通って簿記3級をとり、保険代理店の資格もとりました。バブルの時期で、年収は400万を超えていました。夫の方も何とか社会復帰を果たしました。が、その頃には坂本さんの方が仕事を優先するようになり、「ひとりでも何とか生きていけるわよ」という自信もついてきて、夫婦の関係は少しずつギクシャクし始めました。
そんな中、バブルがはじけて、勤めていた会社のセクションが閉鎖。解雇を言い渡された坂本さんは、これですっかり自信を失ってしまいました。また、夫や子どもたちと話し合って、別居も決めました。住まいは別になりましたが、お正月は必ず一緒で、普段も一緒に食事に行ったり、夫が趣味で釣った魚を持って来てさばいてくれたりという、今思うと「面白い関係」だったそうです。

起業に失敗し、再び転職

1995年の夏、ちょうど北京の世界女性会議に参加する直前に、坂本さんは友人と2人で花屋を開業しました。地元のネットワークを活かし、経費を節約するために、店は自宅の近くに借りました。ところが、お正月や母の日といったシーズン以外、売れ行きはさっぱり。開店するのは簡単でも、儲けにつなげることは難しい。この辺りのさまざまな問題は、起業講座に行っても分かりませんでした。
1年後、もともと商売をやりたくて起業した坂本さんは、あまり儲からない花屋の経営から退き、現在の仕事に移りました。花屋の方は今でも友人がひとりで頑張っているので、忙しい時期には応援に行くそうです。
坂本さんは、これまで何度も転職を繰り返していますが、経済的な自立を果たしたいという強い思いは一貫しているといいます。以前は専業主婦に抵抗を感じなかった坂本さんがここまで変わったのは、パートナーの病気による切羽詰った必要からという理由もあったでしょう。しかし、そこで変わろうとする坂本さんを支えたのは、坂本さん自身が強調するように、困難な状況の中で続けてきた女性問題の学習とその仲間でした。学びを続け、経済的自立も達成した坂本さんは、6年ぶりに再びパートナーとの同居に踏み切りました。自分に対する自信の回復が、関係の編み直しを可能にしたのでしょう。

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