大学職員と市議会議員
木村さんは、短期大学を卒業後、同じ系列の大学の人事課に就職。結婚と同時に仕事はやめましたが、別居後、元の職場(大学)に契約社員として復帰。そんな木村さんが船橋市議会の補欠選挙に立候補したのは、「まったくの偶然」でした。
1995年、木村さんは2番目の子どもの切迫流産のため、3ヶ月ほど入院していました。そのとき同室だった女性の夫で、のちに医療問題や環境問題で活躍することになる市議会議員と知り合いました。それから6年後の2001年、突然、議員から補欠選挙への出馬を勧められたのです。実に予想外の出来事でした
最初は、市民運動も政治活動も経験がないからと辞退した木村さんも、議員の熱意に押されて、ようやく出馬を決意。この議員は、多くの女性に出馬を勧めてきましたが、キャリアの継続や夫の反対を理由に断られてきたそうです。離婚して母親の近くに住み、仕事も正規職員ではなく、「何の束縛もない」自分は声をかけやすかったのだろう、と木村さんはいいます。
再就職を目指して
2003年の選挙に落選したのをきっかけに、再び仕事探しが始まりました。それまで大学と議会でしか働いたことがなかった木村さんの目標は、「民間企業に就職」すること。簿記2級の資格を手に、再就職活動を始めました。人材派遣会社にも登録。しかし、年齢や4ヶ月の離職期間が企業の採用条件に合わないなどで、就職先はなかなか見つかりませんでした。
木村さんは、何とか解決を図ろうと、女性の就業支援やキャリアアップ支援に関する情報を集めました。そして、県民便りで県の女性センターを知り、行ってみることにしました。公的機関ならば、強引な勧誘や押し売りにあうこともないだろうと思ったからでした。
さらに、女性センターの再就職講座を受講。しかし、この講座は専業主婦の女性の就職を応援するという内容だったため、大学の人事課に勤務していた木村さんにとっては、すでに知っていることばかりでした。
そんな中、以前から参加しているNPO法人「しんぐるまざあずふぉーらむ」にきていた求人募集を知り、応募。この会社は、「アルコール薬物問題全国市民協会」を母体として発足した企業で、一般のルートで募集せずに、社員の知り合いがいるNPOを対象として募集していたようでした。さっそく応募し、研修担当部門に採用されました。
就職活動を始めた当初は民間企業への就職を希望していた木村さんでしたが、NPO活動を続けるうちに、「NPOなど、営利目的でないところで仕事がしたい」という気持ちが強くなっていきました。高校時代から好きだった心理学に関連する仕事でもあり、今の職場には満足しているといいます。
離婚経験から得たもの
木村さんは、事情があって夫と別居し、離婚を決意しました。離婚は裁判に持ち込まれ、つらく苦しい毎日が続きました。しかしそんな中で、木村さんは、ある女性弁護士との非常に貴重な出会いを経験しました。
弁護士は木村さんに、「守るべきものと捨てるべきものを明確化すること」や、「物事をきちんと煮詰め、論理的に冷静に考える習慣」を教えてくれました。また、「あなたはどういう人生を生きたいの?」と問い続けてくれました。それによって木村さんは精神的に強くなり、その後の生き方の指針を得ることができたといいます。この弁護士は、その後も木村さんの重要な助言者の1人となっています。
また、この離婚をきっかけに、NPO法人「しんぐるまざあずふぉーらむ」に参加するようになりました。この団体は、母子家庭の当事者を中心とし、シングルマザーが子どもとともに生きやすい社会と暮らしを求めて、提言、情報交換、相互援助、交流などを行っている団体です。月1回の定例会のほか、自己表現トレーニングやカウンセリングの学習会、ワークショップなども開いています。木村さんは、この「いわなくてはいけないことをいう場としての『しんぐるまざあずふぉーらむ』での活動」を軸としつつ、さらに仕事や活動の幅を広げていきたいと計画しています。
(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)