暮らしのなかのテーマを社会化する~社会教育ボランティア/フリーライター 大久保邦子さん~

暮らしのなかのテーマを社会化する~社会教育ボランティア/フリーライター 大久保邦子さん~
<プロフィール>
社会教育施設で長年ボランティアに携わると同時に、フリーのライターとして、雑誌記事などの執筆も続けてきました。近年は、「Vnet」の代表として、社会教育施設でのボランティアのネットワークづくりに着手し、ボランティア養成講座などをおこなっています。(60代)
大久保邦子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
手に職をつけようと思い、デザイナーを目指して東京都の美術大学に進学。
在学中に60年安保を経験し、ジャーナリストのような、言葉で訴える仕事をしたいと思うようになる。
卒業後、出版社に入社し、ファッション誌を担当。結婚をきっかけに退社し、家事や子育てのかたわら、フリーライターとして執筆を続ける。
子育てを通して地域活動を積極的に行っているとき、新聞で国立女性教育会館の開館を知り、連絡をとる。会館の情報図書室に興味を持ち、情報クリッピングのボランティアを開始。
開館5周年の際、情報図書室の仲間とボランティアに関する展示を行い、好評を得る。
開館10周年で、「社会教育施設ボランティア交流会」として、展示に加えて交流会や発表を実施。周囲の応援を得て活動を継続。
1988年、「Vnet」を立ち上げる。
1998年、「Vnet」事務局が国立女性教育会館のボランティア・ルームから移転し、独立。
暮らしのなかのテーマを社会化する~社会教育ボランティア/フリーライター 大久保邦子さん~
社会教育施設でのボランティア

大久保さんが代表をつとめるVnet(社会教育施設ボランティア交流会事務局)は、社会教育施設(生涯学習センター、美術館・博物館、図書館など)でのボランティアの推進とネットワークづくりをおこなう団体です。具体的には、セミナーなどの開催、年4回の会報誌の発行、電話相談、講師紹介・派遣などをおこなっています。大久保さんが、国や県の各種委員会などの委嘱を受けて、講演会や講座などの講師を務めることもあります。
社会教育施設でのボランティア活動には、2つの意味があるといいます。1つは、活動を通してボランティア側が学び、社会を知ること。2つ目は、それと同時に、社会教育施設の職員や公務員にも、ボランティアと関わることによっていろいろな「気づき」が生まれることです。大久保さんは、自分の活動を通じて、それらを見出しました。

社会教育施設ボランティアに出会うまで

以前からPTAや子ども会などで精力的に活動していた大久保さんが、社会教育施設でボランティア活動をするようになったきっかけは、国立女性教育会館(当時は国立婦人教育会館、以下NWEC)でした。NWECは1977年に開館し、大久保さんの活動もその前後から始まりました。
当時、何かを学びたいと強く思っていた大久保さん。新聞でNWEC開館の記事を見て連絡をとり、NWECの情報図書室に行けばさまざまな情報があることや、図書室のボランティア活動のことを知りました。これなら社会人大学に行くよりも情報量が多く、勉強できると思った大久保さんは、さっそく図書室で情報クリッピングのボランティアを始めました。
NWEC開館5周年。大久保さんは、情報図書室のボランティア仲間と、図書室にある女性雑誌のバックナンバーを調べ、ボランティア活動に関する記事をまとめて、ボランティア活動に対する理解を促す簡単な展示をおこないました。この展示に予想以上の反響があったので、5年後の開館10周年では、「社会教育施設ボランティア交流会」として、展示だけでなく、交流会や発表などもおこない、さらに反響を呼びました。
たとえば、戦後の文部省婦人教育課長であり、婦人教育行政の草分けである塩ハマ子氏は、「これからもこの灯を消さないように」と、エールを送ってくれました。また、参加者によるアンケートの回答にも、活動を評価する声が多く載っていました。こうした外部からの応援に後押しされ、「社会教育施設ボランティア交流会」は、その後も自主的に活動を継続することになりました。これがVnetの前身です。

社会への関心に目覚めた学生時代

大久保さんは、台湾で生まれ、終戦とともに日本に戻り、鹿児島で高校生活を送りました。父親は、鹿児島の高校で一般社会と倫理を教えており、大久保さんは幼い頃から、社会情勢や国際情勢の話を聞かされて育ちました。母親は、結婚とともに、大家族のなかで男尊女卑の因習や戦後の貧しさなどを体験してきた苦労から、女性の経済的自立の必要を痛感していました。
大久保さんは、こうした両親の考え方から大きく影響を受け、手に職をつけるために、デザイナーをめざして、東京の美術大学に進みました。
そしてやってきたのが、60年安保。大久保さんは、美大の3年生になっていました。新聞やラジオを見聞きしながら、自分はどうするべきか悩んだ大久保さんは、父親に手紙で相談しました。返ってきたのは、「自分で考えて決めなさい」と書かれたハガキ1枚。それからの大久保さんは、自分で判断し、デモにも積極的に参加しました。
安保が成立した日。品川駅の線路上で夜明けを迎え、家に帰る大久保さんの心中には、デザイナーではなく、何か言葉で訴えていく仕事、新聞記者か雑誌記者のような仕事につきたいという新しい目標が芽生えていました。
やがて大学を卒業した大久保さんは、東京の婦人雑誌社に入社しました。この職場で、夫と知り合い、結婚。それと同時に会社を辞めました。女性も仕事をもつべきだとは思っていましたが、当時のファッション誌の仕事に物足りなさを感じていたからです。大久保さんは、流行のファッションを追うよりも、社会を変えていくような仕事をし、記事を書きたいと思っていました。
その後、家事や育児のかたわら、フリーライターとして文章を書きつづけ、現在に至っています。出版社で身につけた原稿執筆や雑誌編集の経験は、今でも、会報誌やボランティア関連の出版物の企画・取材・編集に活かされています。

暮らしのなかのテーマを社会化する

大久保さんのポリシーは、「暮らしのなかのテーマを社会化する」ということです。それは、人々の暮らしのなかから出てきた問題を、より広い社会問題として提起するということです。
大久保さんは、どうしたら底辺の人の声がより多くの人に伝わるかを大事にしています。何かを上から下へ一方的に送り出すことには、反対です。それは「暮らしのなかのテーマを社会化する」とはまったく逆の発想だからです。
社会教育施設でのボランティアも、行政からの要請を何の考えもなく受け入れておこなうのではなく、かりにきっかけや当初はそうだとしても、その活動のなかから学び、理解した上でサポートしていく。さらには、自分や社会をどう創り、それをどう変えていくかを考えていく。それが大久保さんの考えるボランティアのあり方です。
1998年、Vnetは事務局をNWECから移し、自立した組織になりました。大久保さんにとっては、20年にわたる活動の一区切りでもあり、同時に、本当のパートナーシップを組むためには行政と対等な立場で関係をつくるべきだ、という年来の考えの実現でもありました。
ボランティア活動をし、活動を通じて学び、その成果を、あるときは出版物、あるときは次のボランティア活動として、再び社会に還元していく。その循環のなかから、大久保さんは今でも、新しいボランティアのあり方を探りつづけています。

(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)

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