夫が転勤する度に転職先を探して~専門学校図書室職員 門脇純子さん~

夫が転勤する度に転職先を探して~専門学校図書室職員 門脇純子さん~
<プロフィール>
子育て期に女性センターの「女性の生き方を考える講座』で職業をもつ生き方の重要さを再確認し、再就職支援講座などにも参加。口コミも含めた地域の情報をキャッチして仕事につなげてきました。(50代)
門脇純子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
短大卒業後、音楽関係の会社に入社。
夫と社内結婚。会社からは残るよう引き止められたが、夫の意向を受けて退社。その後、2児を出産。
転勤生活のスタート。横浜に転居し、1年暮らした後、浜松に転居。5年間、子育て中心の生活を送る。
再び横浜に転居。県の女性センターで開催された女性の生き方に関する講座を受講。再就職を決意。
地域のミニコミ紙で見たベビーシッターのアルバイトを開始。さらに、地区センターの「コミュニティ・ボランティア」(有償)に応募し、採用される。
地区センターに集まってくる情報をきっかけに、市の「女性の目で見たまちづくりアドバイザー」、横浜市女性協会の再就職支援講座「ルトラヴァイエ」を受講。
1991年、地区センターの知人の紹介で、青少年図書館に再就職。
1年後、夫の転勤により名古屋に転居。青少年図書館を退職。
名古屋のハローワークの職員から、愛知学生職業センターを紹介され、就職。パート勤務。
生活の拠点を横浜に求め、仕事を辞めて娘たちと共に転居。友人の紹介で、福祉専門学校の図書室に勤め始める。
夫が転勤する度に転職先を探して~専門学校図書室職員 門脇純子さん~
専門学校の図書室を職場にする

門脇さんの現在の職場は、横浜市郊外の福祉専門学校内にある図書室です。週3日のパートタイムで、仕事内容は、図書に関する業務、福祉に関する新聞・雑誌記事のファイル、それにレポートや課題に必要な資料について学生たちの相談にのるといった、司書に準じた業務です。この仕事に就いて7年目になりますが、仕事の中身や賃金はほとんど変わらず、年収は70万円程度。けっして多くありません。 しかし、仕事をしながら、単身赴任している夫、北海道にいる年老いた母と過ごす時間を確保し、自分の趣味の時間も大事にしたいという門脇さんにとって、この職場は魅力的な面があります。長期の休みがあり、普段でも休みが取りやすいからです。
結婚後、門脇さんは9回の引っ越しを経験してきました。ほとんどが夫の転勤が理由の引越しです。サラリーマンの夫の転勤とそれに伴う転居の連続で、職業をあきらめてしまう女性はたくさんいます。しかし門脇さんは、引っ越した先々で地域になじむよう努力を重ね、その足場の中から仕事を見つけてきました。

結婚退職後の奮闘

札幌出身の門脇さんは、父がサラリーマン、母は専業主婦という家庭で育ちました。身寄りのない土地で夫(父)の母親やきょうだいに遠慮して生きていた母を見ながら、自分はもっとのびやかに生きたい、早く働いて自活したいと願うようになりました。
短大を卒業後、音楽関係の会社に入社。仕入れから営業まで幅広く経験しました。やがて夫と社内結婚。会社からは残るよう勧められましたが、夫が強く反対したため、退職。当時はまだ共働きの珍しかった頃でした。その後は、喫茶店、放送局などさまざまな職場でアルバイトをし、子ども2人を出産しました。
転勤生活は、次女の出産1ヵ月後から始まりました。札幌から、まず横浜へ。その1年後に浜松に移り、5年間子育て中心の生活を送りました。
次いで、横浜に7年。子育ての山場を越えた門脇さんは、再就職に向かって具体的に歩きだしました。特に、県立かながわ女性センターで開催された、女性の生き方に関する講座の受講は、職探しに踏み出す第1歩となりました。講師の話を聞いて自分の生き方を見つめ直し、「結婚した時、自分で稼ぎたいという意思を夫の意見に合わせあっさり捨ててしまったけれど、自分の考えは間違っていなかったと思い直すようになった」門脇さんは、「仕事をしよう」と決意しました。
手始めは、地域のミニコミ紙で見つけたベビーシッターのアルバイトでした。続いて、地区センターの「コミュニティ・ボランティア」 (有償) に応募。この仕事に就いたことで、行政関係のさまざまな情報を入手しやすくなり、そこから情報を得て、横浜市の「女性の目で見たまちづくりアドバイザー」に参加。さらに、横浜市女性協会の再就職支援講座「ルトラヴァイエ」を受講しました。
その後、地区センターで知り合った女性の紹介で、青少年図書館に再就職を果たしました。フルタイムで、月収14万円の嘱託職員です。再就職支援講座は、あくまでも就職活動の入口で、勤め先の斡旋はしません。しかし、この講座を受講したことで、門脇さんが再就職に本腰を入れているという印象が周囲に伝わり、地区センターでの真面目な仕事ぶりとともに評価を受けたのでしょう。
最初に話を受けたとき門脇さんは、仕事内容が、子ども向けの図書の貸し出しや本の読み聞かせだと知って、「子どもの相手は苦手だから」と及び腰になりました。「でも、仕事ならできるだろうと思って」。その背後には、再就職支援講座で聞いた「まず仕事として考えなさい。仕事として考えれば、いやなことや苦手なことでも克服してやっていける」という講師の言葉がありました。
ところがたった1年で、またも夫の転勤。子どもたちは転校を嫌がり、門脇さん自身も不満を感じたものの、結局、仕事を辞めて一緒に移ることにしました。「子どもがちょうど一番難しい時期で、やはり家族を大切にしたということかな」。

先の見えない転勤生活を脱して拠点を定める

名古屋に移り、またしても見知らぬ環境での再スタート。すぐに仕事など見つかるはずもないと思っていたところ、失業保険の手続きに出向いたハローワーク(職安)で、窓口の人が青少年図書館で働いていた経歴に注目し、「愛知学生職業センター」を紹介してくれました。週3日のパートタイムで、年収にして約100万円程度。仕事内容は企業の求人受理、求人票の整理、学生への求人内容の紹介、相談など。補助的業務でしたが、人と接する仕事が好きな門脇さんにとって、楽しい仕事であり、また「とても勉強になった」といいます。
娘たちが大学受験の時期を迎える頃、門脇さんは、自分の落ち着き先、生活の拠点について考えるようになりました。子どもたちの自立も間近。夫の転勤の度に生活環境を変えるような暮らしは、もうしたくありません。真剣に考えた結果、仕事を辞めて、かつて再就職を果たし、率直にものがいいあえる友人関係を築いた横浜に、拠点を求めることを決意しました。
しかし、拠点は得たものの、仕事をなくした喪失感は予想を超えていました。もう無収入で「ただ家にいる」生活には、耐えられない。けれども、失業保険の手続きに出向いたハローワーク(職安) では、50歳を過ぎた女性の求人は皆無。予想したこととはいえ「猛烈に寂しかった」といいます。何か探さなければと思っていた時、かつての友人が、自分の後任として現在の仕事を紹介してくれました。
門脇さんのキャリアは派手ではないけれども、着実です。何度も仕事を辞めているにもかかわらず、再就職以降、職業キャリアが途切れたことはありません。「自分で稼ぎたい」という意思を捨てず、地域の情報にもこまめに目を通し、きっかけを逃さず、求職への意思を周囲にもはっきりと示し続ける。こんな小さな積み重ねが、職探しにとって大切で有効でもあることを、門脇さんのキャリアは物語っているのではないでしょうか。

(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)

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