現在の状況
秋元さんは、専門学校やプロダクションで、講師として演技やナレーションを教えながら、同時に、自らも舞台、テレビ・ラジオで活動する役者です。特に、大好きな安房直子の作品にもとづくひとり語りの舞台は、毎年定期的に公演しています。秋元さんは、芸能界を目指す若者、特に女性たちに向けて、「絶対に家事だけで終わるな。自分で生きていくんだよ」といいます。その背後には、仲間との学びや役者生活の苦労を通じて、男女の関係や社会のあり方を考え続けてきた、秋元さんの思いが込められています。
秋元さんは横浜市の生涯学習講座で女性問題を学び、そこで出会った仲間と学習グループ「ノラ」をつくりました。10年以上続く活動で、女性学の本などをテキストとし、学んでいます。忙しくて毎回参加できない秋元さんも、出席したときは、みんなとわいわい語り合うそうです。
ずっと芝居が好きだった
秋元さんは、名古屋で育った幼い頃から、母に連れられて芝居に通い、いつしか役者を目指すようになりました。芝居好きの母からは、女でも仕事をもち、自立するべきだと教えられました。
高校に進むと演劇部に入り、2年生のときには地元の劇団に入団。さらに演劇を続けるために、東京の大学の演劇学科に進学。杉村春子をめざして文学座の研究所で学び、プロダクションに入りましたが、体を壊してしまい、再び名古屋に戻りました。
名古屋に戻った秋元さんは、テレビやラジオのレポーターの仕事をし、28歳で、高校の演劇部の先輩と結婚。翌年、娘を出産。さらに4年後に息子を出産。同じくテレビの仕事をしていた夫は、編集やロケに忙しくて家を空けることが多く、子育ては秋元さんひとりに任されました。
男女の不平等を感じ、学習グループに参加
結婚して、それまで意識しなかった男女の不平等に気づいた秋元さんは、名古屋の婦人会館で、性暴力についての講座に2年間参加しました。ひとりで子育てするストレスのため、託児があることも魅力でした。女性たちの学習は活発で、講座は熱気にあふれ、学びから実践に移る人もいました。秋元さんは強い刺激を受けました。
やがて、夫の転職で横浜市に転居した秋元さんは、早速チラシを調べ、市の生涯学習講座である女性問題の講座に参加しました。その中で「家事は女性が担う?」というテーマが大激論を呼び、「家事は女のものだ」という人と、そうでないという人で、意見が真っ向から対立。「家事は女のものではない」と思う秋元さんは、同じ考えの仲間と自主グループ「ノラ」を立ち上げ、この問題について徹底的に学ぶことにしました。
「家事が女のものではないということをしっかり勉強するために、母性神話のことを徹底的に勉強しました。なぜそうなったのか、なぜ「女=家事」になってきたのか、その歴史をみんなで解き明かしていって。(略)子どもを育てている自分たちの生活と境遇が勉強の内容と一致していたんですね。」
自分の生活と突き合わせて学びを続けていくうちに、メンバーたちは、1人2人と仕事を開始しました。そんな仲間を見ながら、秋元さんも、中断していた仕事を再開しようと考えていました。
困難を抱えながらのキャリアの再構成
仕事を再開するに当たって、秋元さんは、まず子どもたちのことを考えました。どうするべきか真剣に悩んだ結果、保育園の門を叩きましたが、近所の保育園の倍率は100倍(!)。ようやく入園できたのは、勤務先と反対方向にある遠方の保育園でした。仕事は役者ではなく、保険の仕事でした。
「そんなことまでしてフラフラになって。で、実際やりたいのは、もう一度役者をやりたかったんだけど、その活動もまだできないどころか、保険の仕事ではつらい思いをし、泣いたことも。」
それでも、秋元さんは芝居をあきらめませんでした。新聞の求人広告で見つけた専門学校の非常勤講師、プロダクションの講師やドラマ、洋画の吹き替え・ラジオドラマ出演。少しずつ芝居の道が開けていく一方で、夫婦とも帰宅は遅くなりがち。兄弟だけで留守番をしている子どもたちの姿に、「私は何をやっているんだろう、子育てを放棄しているのか」と哀しくてたまらなかったといいます。そんな秋元さんを、保育園の働く母親たちが助けてくれました。
ところが、今度は働きづめで通してきた夫がダウン。秋元さんは、夫に少し休んでもらおうと、「今度は私が稼ぐよ」と宣言しました。夫は再就職しましたが、不況で再びリストラ。
ショックに沈む夫と共に、秋元さんもさまざまなことを考えたといいます。働くとは何か、男性が働かないとはどういうことか、男性が家にいるとはどういうことか。この社会の姿が、今までとは違った角度から見えてきました。自分のことは棚に上げて、夫が家事を十分にしないことに腹を立て、反省したこともありました。
現在は夫も再々就職を果たし、秋元さんは新たな創作活動への意欲に燃えています。山奥の学校に「お話」を届けるという夢を、ぜひ実現させたいと考えています。
(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)