フリーランスから「自分らしく働きたい女性」たちのニーズを事業化 ~ 株式会社キャリア・マム代表 堤 香苗(つつみ かなえ)さん

フリーランスから「自分らしく働きたい女性」たちのニーズを事業化 ~ 株式会社キャリア・マム代表 堤 香苗(つつみ かなえ)さん
<プロフィール>
堤香苗さんは、神戸で女子の中高一貫学校を卒業後、東京の大学で演劇を専攻。在学中からラジオやテレビのアナウンサーとして活躍。卒業後、演劇の道を目指すが、フリーアナウンサーに転身。自身の育児がきっかけとなり、地域で子育てをする多様な立場の女性や子どもを対象としたイベントを開催。その後、女性たちのネットワークが広がり、イベントやマーケティング事業、女性の在宅ワークを支援する株式会社キャリア・マムを立ち上げる。現在は新たに女性の起業支援も展開している。
堤さんのこれまで
1983年 神戸の高校を卒業し、東京の大学に入学
学生時代は演劇を専攻、在学中からラジオやテレビの仕事をする
1987年 大学を卒業し、新劇に入団
1988年 劇団の研究科に残れず、フリーランスで司会・アナウンサー業務
1993年 仕事をつづけながら結婚
1993年 司会業から旅行代理店勤務に転身しようとしたところで妊娠
1994年 第一子出産
1995年 育児サークルPAO立上げ
1997年 キャリア・マム事業を立上げ
1999年 有限会社を立上げキャリア・マムを事業部として設置
2000年 渡米してビジネスチャンスを探る
2000年 株式会社キャリア・マムを立上げ
2014年 多摩センターに女性のおしごとカフェ キャリア・マム開店
フリーランスから「自分らしく働きたい女性」たちのニーズを事業化 ~ 株式会社キャリア・マム代表 堤 香苗(つつみ かなえ)さん
キャリアにつながる学生時代

  堤さんは、子どもの自立性ややりたいことを尊重してくれた両親のもと、神戸で育ちます。小さい時は体が弱く、本を読んで知識や情報を得ていたため、とてもませていたと言います。英語教育が充実している中高大一貫の女子学校に通い、女性としてどう生きるのかという自身のアイデンディティを意識し始めました。中学3年ごろは女優になりたいと考えます。ある時先生が、教科書を閉じ、ご自身の戦争体験を教師というよりも一人の人間としてご自分の言葉で語ったことがあります。それが「人は思っていることを自分の言葉で言っていいのだ」と強く印象に残りました。
  その後、東京で共学の大学に進みます。文学部で演劇を専攻、在学中からラジオやテレビの仕事もフリーランスで始めました。ちょうど「女子大生」ブームのころです。最初はアルバイトから始めましたが、生放送の番組も多く、「見えている部分の何倍も努力しないと駄目だ」「うまく仕事ができればまた次の仕事がくるし、仕事ができたらギャラが上がる」ということを学生時代の経験を通じて学びました。堤さんにとって「働くこと」は、「労働力を拠出すること」ではなく、相手の期待を超えたパフォーマンスにお金をもらうことでした。自分であることとは、「自分の考えたことを自分の言葉で伝えていくこと」であり、何の制約もない代わりに、発信した自分の行動に責任を持つことが自立だと考えるようになります。

初期キャリアで何度も転身

  就職活動では、テレビ局・ラジオ局のアナウンサー職も受けました。当時、大手企業は下宿生や浪人生は採用しません。結局、芝居がしたいので、新劇の門を突破したものの、2年目に研究科に上がれませんでした。自分よりも上手な人がたくさんいて、この道は断念するしかないとわかったことが最初の挫折です。その後、学生時代に経験があったフリーアナウンサーの仕事を再開します。結婚式の司会、子どもショーなどあらゆる仕事を受け、英語を使うイベントの司会や式典などでは強みを発揮しました。ただ、女性のアシスタントやアナウンサーに実力勝負は求められていないという現実にも直面します。その頃、結婚適齢期は24歳で、25歳以上は「ばばあ」と呼ばれます。26歳で結婚したことを隠して仕事を続け、悔しい思いもたくさんする一方、それは堤さんの行動の原動力にもなります。
  28歳になると、同時期にテレビ局に入りカメラやメイクのアシスタントをしていた人が、いつのまにかアシスタントを使う立場になっていました。それを横目に、自分は華やかな仕事をしているように見えるかもしれないが、このままでいいのかと不安も覚えます。子どももほしいと思いましたがほしいと思った時には子どもができません。不妊治療にしばらく通った後、治療をいったん諦めて、新聞の求人広告で見つけた添乗員派遣会社の2カ月の教育研修を受けます。英語は得意で時給は高く、これからどんどん飛行機にのって仕事に励むぞという時、妊娠に気がつきます。嬉しいことだったし、産んだ後は普通に復帰できると思いました。産院では赤ちゃんはこんなに寝ているのだから、仕事に戻るのも平気だと考えて帰宅しましたが、それは間違った認識で、育児はとんでもなく大変だとわかりました。

子育ての閉塞感

  結婚後は多摩市に住まいを構え、環境は気にいっていたのですが、母親になるとまた別の側面も見えてきました。駅はエスカレーターもエレベーターもない。街はベビーカーで外出できる設定になっていない。続けていた手話講座に子連れでは入れない、0歳児の託児はなし、公営プールはおむつをしている子どもは入れない、と、どこもかしこも受け入れてもらえません。ようやくベビースイミングに行くことができ、そこで会った女性と何かやろうと意気投合しました。0歳児の第一子のお母さんを対象に月に1回、保健所に集まる母親学級がありましたが、担当者に相談して、1歳以上のお母さんを対象に育児サークルPAOを立ち上げます。
  この時期は、堤さんにとって大きな出来事が続きました。一つは、障害を持つ母子が、他の親子がいない時間帯でないと遊べないという状況に遭遇したことです。自分の子どもを育てる社会がこの状況でよいのかと、怒りがわきました。たまたま私は運がよかっただけで価値観が同じ人とだけやりとりをしている親ではまずいのではないかと思うようになります。もう一つは、私自身がまだ子どもが1歳半の時に大病を経験したことです。半年間入院だと言われ、退院できたら明日死んでも悔いることがないように、自分が思う通りに生きよう。仲間も味方もいなくてもいいから、この子を守りたいと思いました。

子育てを支援する団体の立ち上げ

  堤さんは1995年に、障害のある子もない子も、障害のある親もない親も、子どもを育てている立場はみな同じ、障害もひとつの個性として捉えた大きなイベントを開催します。手話コンサートや点字名刺の体験などさまざまな企画をしました。大手新聞数紙に記事が取り上げられ、近隣県から多くの参加がありました。主に家庭の主婦となっていた女性たちが会員として1500人すぐに集まりました。それを機に、「同じことを考えている人がいる」と紹介され、PAOを作った翌年、都内でママサークルの活動をしていた女性二人と一緒に、新しく任意団体キャリア・マムを立ち上げます。主婦から会費を集めるのではなく、集まった女性たちがお金を稼ぐことができる仕組みを考えようと思います。
  早速、多摩ニュータウンで新しいコミュニティをつくるためのイベント事務局を1年間請け負う仕事が入ります。ただし、請け負うためには法人化することと、事務局長は男性にする、という条件がつきます。1997年に有限会社を設立し、夫が事務局長として、キャリア・マムはその会社の事業部に位置づけました。事業は順調に滑り出しましたが、1999年に会社継続が難しい状況になりました。そこで堤さんは、うまくいっていたキャリア・マムの事業をNPO法人化することを考えます。アメリカにお母さんたちを支援する非営利団体があると聞き、その日本支部ができないかと交渉のため渡米します。打ち合わせに行った渡米先では、パーソナルコンピュータ時代が来ること、コミュニケーションツールが変わることを実感しました。出資の話もありましたが、自分で資金を用意し、やりたい事業を丁寧に行っていこうと2000年に株式会社キャリア・マムを立ち上げます。

株式会社キャリア・マムの立ち上げと事業化

  任意団体の頃からキャリア・マムの会員は数千人いました。子育て中に在宅で仕事ができたらいいなという人、ひとり親や障害児家庭の親もいます。ネットワークを力にできないかと考えていた時に、女性たち一人ひとりは生活者だということに気づきます。生活者の目線で企業の商品やサービスについて、こんなものがほしいとか、こういうふうにしてほしいという調査やマーケティングに協力できるのではと考えたのです。広告代理店から協力の依頼がきっかけとなり、マーケティングはキャリア・マムの主要な事業となり、株式会社化した現在も会社の柱の一つです。会員は全国10万人にまで広がりました。
  キャリア・マムを立ち上げた多摩市周辺は、大手の電子機器メーカーの研究所や工場が多く、職場結婚して退職した女性がたくさんいます。コンピューター知識やパソコンの高いスキルを持った女性も多く、その力をいかしたビジネスができるのではないかと気づきました。営業を始めると、コンピュータースキルを活用して在宅で行うことができる仕事として、企業より委託をされて、ホームページ制作、翻訳、データ入力などの作業が次々と入ってきました。

これからの展開について

  現在は、ICTを活用した企業から在宅ワーカーへのアウトソーシング事業、官公庁とも連携した就業・起業支援事業、新しい働き方をつくりだす場や機会の提供、女性のキャリア支援が柱です。在宅で働く以外に、自分の住む地域で働ける場所をそれぞれがつくる手伝いも開始しました。そのひとつが、キャリア・マムのオフィスの隣に開いた「おしごとカフェ キャリア・マム」です。イベントスペースと仕事カフェを併設した空間で、東京都の女性の起業家支援プロジェクトのモデルケースになっています。軽食ができるカフェでは、打ち合わせができ、起業やパソコンに関する書籍も置かれ、家の外で自分の働き方を見つめてもらうきっかけづくりを提供しています。
  働いている人はパートタイマーも含め31人、うち正社員は20名弱。在宅の正社員もいるのでオフィスに常駐するのは10名前後。在宅や顧客先に常駐して仕事をする人、男性も、独身も、シニアもいます。時代が堤さんにようやく追いついてきて、最近は官公庁が行う女性の起業や就業支援プロジェクトも委託事業として多く請け負うようになりました。株式会社化してから第2子も出産し、育てながら続けてきました。
  多様な働き方を実現することで、いろいろな生き方や考え方を認めあう、支えあい生きやすい社会につながると堤さんは考えています。

LINK
株式会社 キャリア・マム http://www.c-mam.co.jp/
おしごとカフェ キャリア・マム http://www.c-mam.co.jp/oshigoto_cafe/

(平成28年度インタビュー)

一覧に戻る

ページトップへ

女性情報ポータルWinet
  • 国立女性教育会館 女性教育情報センター

  • 〒355-0292 埼玉県比企郡嵐山町菅谷728/

    tel: 0493-62-6195/mail:infodiv@ml.nwec.go.jp