外資系IT企業勤務を経て、地域おこし協力隊として秋田県に移住。企業の課題解決から人や地域の課題解決に取り組む ~ 丑田香澄(うしだ かすみ)さん

外資系IT企業勤務を経て、地域おこし協力隊として秋田県に移住。企業の課題解決から人や地域の課題解決に取り組む ~ 丑田香澄(うしだ かすみ)さん
<プロフィール>
丑田香澄さんは秋田県で高校までを過ごした後、東京の大学に進学。外資系ITコンサル会社にコンサルタント職として勤務。やりがいがあるがハードな仕事を経験した後、同期の男性と結婚。仕事と子育ての両立のイメージが描けず転職活動に入った時に、妊娠がわかりいったん主婦に。育児中に参加した講座をきっかけに、助産師と一緒に被災地の母子支援事業を立ち上げた後、出産後の母親全般を支援する社団法人を起業。その後、一家で秋田県五城目町に移住。現在は町役場とも連携し、「地域おこし協力隊」の仲間と共に、移住や起業支援を行う。
丑田さんのこれまで
2007年 大学卒業後、外資系ITコンサル会社にコンサルタント職として就職
2009年 2年半の勤務後、結婚し退職。転職活動中に妊娠発覚
2010年 出産後の子育て中に母親を対象としたワークショップに参加し、その後のキャリア形成を考える機会を得ると共に、助産師と知り合う
2011年 知り合った助産師と共に事業設立の準備を進めていた最中に東日本大震災となり、被災妊産婦を対象とする支援活動を開始
2012年 出産後の母親を支援する一般社団法人を起業
2014年 地域おこし協力隊に応募し、秋田県五城目町に家族で移住
2016年 五城目町地域活性化支援センターを拠点に、地域おこし協力隊として、移住や起業支援に向けた事業を展開中
外資系IT企業勤務を経て、地域おこし協力隊として秋田県に移住。企業の課題解決から人や地域の課題解決に取り組む ~ 丑田香澄(うしだ かすみ)さん
初期キャリア

  丑田さんは、秋田県で生まれ育ちました。高校時代には1年間の海外留学もしています。東京の大学に進学し、卒業後はグローバルに活躍できる企業で、かつ課題解決をするという業務内容に関心があり、大手外資系ITコンサル会社に就職します。頑張りに応じて成果が認められる社風もその企業に決めた一因です。いわゆるバリバリ仕事を頑張ろう、というような意識で選びました。働く前と実際に働いてみての印象の差は特にありませんでした。仲間と切磋琢磨しながら、ハードな徹夜仕事も当り前のようにありましたが、逆にそれがやりがいにもなり、一生懸命働くことが楽しかったと言います。
  職場には素敵に活躍している女性の先輩が多かったそうです。ただ、入社3年目で結婚し、その先の妊娠・出産について考え始めた時、この会社で働きながらも子どもを持つというイメージが描ききれず、丑田さんは会社の先輩に話を聞き始めます。子どもを持っても男性と同じように働くために、保育サービスを駆使して徹夜したり終電まで働いたりするといういわゆる「バリキャリ」か、短時間勤務にして裏方の仕事にまわるか、そのいずれかを選択する先輩が多く、やりがいある仕事をして家庭も大事にするという2つの両立を目指す道は容易ではなさそうでした。

妊娠・出産後の働き方

  この業界は「がむしゃらに仕事をし、力がついたら転職し、あるいは独立して起業する」という人も少なくなく、新陳代謝の激しいところです。丑田さんは、チャレンジしがいのある仕事で子育ても両立できる仕事は何か、と考え始めました。しかし、退職して新たな道を模索しはじめた矢先に妊娠したため、いったん専業主婦となり出産します。子どもは可愛く、楽しく育児をしていたものの、一方では中断しているキャリアについて、この先、子育てしながらどのように仕事をしていけばいいのかと、常に心の片隅で気になっていました。
  そんな折、ある団体が開催した、出産後間もないお母さんたちが自分のこれからの人生や仕事に向き合うワークショップに参加する機会がありました。生後数カ月の娘を連れて参加した講座で、「子育ても重視しながら仕事をしたい」などの思いを紙に書きだし、集まった人たちと共有する時間を過ごしたことが、大きな転機になります。もともと、大学在学時や初職においても社会における課題解決に関心があったのですが、その課題とは何かを考えた時、キャリアについて悩む自分が一歩を踏み出す機会を得たように、人が変化するきっかけに携わっていきたいのだ、と気づきます。

産前産後ケアの団体を立ち上げる

  そのことを周囲に話したところ、講座を主催していた講師から、一緒に活動するパートナーを探している人がいると助言されました。そうして出会ったのが、助産師の女性です。出産後、地域社会に頼れずに不安を抱え孤立しがちな女性が一歩踏み出し、より楽しく育児ができる仕組みを一緒に作っていこうと意気投合しました。
  子どもを抱えながら団体設立の準備を始め、ちょうど助産師と丑田さんが打ち合わせをしていた時、3.11の震災。産後のお母さんを元気にする仕組みづくりの話を進めていたところ、目の前に危機迫る状態の妊婦や幼子を抱えた女性がいたのです。団体立上げより前にまずその女性たちに何かしていかなければと、急遽助成金を申請、ネットワークを駆使して「東京里帰りプロジェクト」を作り、2011年の3月から約1年間、被災した妊婦や母親と乳幼児の支援活動に取り組みました。
  その後2012年3月に、一般社団法人ドゥーラ協会を立ち上げます。ドゥーラとは、産後間もない母親に寄り添い、子育てが軌道に乗るまでの期間、日常生活をサポートする存在の名称で、欧米で始まった取組みです。かつては実家に里帰り出産をして母や隣近所に助けられたことが薄れつつある日本においても、代わりに出産・育児の新しいステージを伴走する人を養成することが役立つのではないかと、取り組み始めたのです。
  企業で雇用されていた時もやりがいをもって働いていましたが、当然ながら、組織を離れてからは会社員の時以上に自分でアクションを起こさないと何も始まらないことが大きな違いです。また、実際に行動し発信する中で「こんなことができる」と、いろいろな手が差し伸べられ、みんなで作っていく、主体的にかかわるからこその醍醐味を感じたと言います。被災地の支援や産後困っている女性たちを「支援する」と捉えられがちですが、そうではないと丑田さんは言います。それぞれがやりたいからやる、できることで貢献したい、ということが積み重なって大きな動きになる。そんな新しい仕事の進め方に出会っていったのです。

秋田県五城目町への移住

  もう一つ転機となったできごとがあります。秋田で育った丑田さんは、それまでは刺激的な出会いや仕事は都市圏にあると思っていました。秋田に戻ることはまったく考えていませんでしたが、いざ子どもが生まれて都心で子育てをする中で、また、ドゥーラ協会の活動を通して都会と田舎それぞれの違いに気づき、自分が秋田の恵まれた子育て環境でのびのびと育ったことの貴重さを再認識するようになりました。一方、故郷秋田は全国47都道府県の中で高齢化率が全国で最も高く、自殺率もワーストランクに入っている悲しい状況です。このままでは何十年後には消滅するかもしれないとまで言われる中で、故郷秋田の課題に対しても何かしら貢献できないだろうかと考えるようになります。
  そんな時、秋田県五城目町で、若い人を呼び込むためにベンチャー企業や起業家が集まる仕組みを整えていくという話がありました。教育関係のベンチャー企業を仲間と起業し経営していた夫が、この五城目町と縁がうまれたことをきっかけに、秋田で新しい挑戦と子育てをしてみようということになりました。とはいえ東京でドゥーラ協会という団体を立ち上げ、まだまだこれから取り組むべき事項も多々ある時期なのに、移住という決断をしてもいいのだろうかと悩みました。幸い信頼できる仲間に団体を託し秋田からオンラインで活動することになります。時を同じくして、五城目町役場が、総務省の制度で「地域おこし協力隊」*の募集を始めました。この制度は自治体によって活動内容が異なりますが、少子高齢化が課題である五城目町の場合、若者の移住や定住を促進すること、そのために「仕事」や「雇用」を作り出すことが目標でした。廃校となった小学校を活用した五城目町地域活性化支援センターを中心に、少子高齢化の秋田に若い人や企業の力を結集させて元気にしていきたいという五城目町のビジョンに共感し、また自身の起業や移住の経験も活かすことができるのではと協力隊にも応募し、同時期に採用された仲間と共に活動を開始しました。
  協力隊として活動を始めて2年間で約20数名が移住してきました。秋田出身で一度県外に出て行った人もいれば、秋田に縁もゆかりもなかった人もいますが、五城目町で暮らし、挑戦したいという熱い想いを持った若者やファミリー層ばかり。現在、五城目町地域活性化支援センターには10社以上のベンチャー企業が入っています。県外からの移住起業家などの刺激を受ける形で、町内にもチャレンジャーが増加。農産物として育てていたキイチゴをジャムやビールに加工するなど農家さんによる6次産業化や、若いママによる起業がうまれ、衰退していた朝市も若い人がチャレンジする場として活気が出てきました。現在2年たったところで、まだ挑戦は始まったばかりですが、「田舎だからこそできること」「暮らしたい地でわくわく挑戦」という当り前のことを広げていきたいと思っています。

今後について

  移住する前は、自然が豊かで地域の人間関係もあるなど、子育てに素晴らしいところでも、東京の暮らしにあるような多様な出会いや刺激などは薄れるのではないか、と不安もありました。しかし実際は、田舎の魅力は想像を遥かに上回り、また自分たちで創造することでさらにその可能性が豊富に広がる、と感じます。学校で新しい形式の授業を提供させていただく、古民家を活用して農家民宿を運営し県外からの来訪者が増える、各国の研究者が地域と連携して研究活動を始めるなど、「この豊かさを享受しつつ、こうしたら、もっと素敵だ」と地域資源を見直し活用するようなアイデアをみんなでつくっていく過程が醍醐味です。
  大きな変革を目指すというより、毎日丁寧に楽しみながら進めていく中で、プレーヤーの輪が広がっていく。「少子高齢化なので移住してください」ではなく、「ここだからこそやりたいことをやれる、ここで暮らしたい、働きたい、仕事をしてみたい」という人が増え、つながっていける循環をこの先も築いていきたいし、一人ひとりが主体的に生きる生態系を五城目から広げていけたらいいなと考えています。
  五城目町は、「温かい」というのが第一印象でした。もともと朝市で有名な町なので交流が盛んで、よそ者を排除しないところがあると思います。外から来た者が地域おこしをするというおこがましいことではなく、「ここで暮らしたいと思って来たので、仲間に入れてください、いろいろ教えてください」と少しずつ仲良くなっていき、共にこんなことができそう、と徐々に輪が大きくなっていったと感じています。よそ者視点で魅力を見つめたり、ご縁を繋いだり、想いを形にする過程に伴走したり。ささやかながらも今、「人が一歩を踏み出すきっかけに携われたら」という希望と協力隊としての仕事が重なる喜びを感じているところです。

  *「地域おこし協力隊」人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に誘致し、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とする取組。

(平成28年度インタビュー)

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