社会教育を通じた学習との出会い
新井純子さんは、青森で生まれ育ちました。「これから女性も働く時代」と言われ、大学で教員免許を取得、卒業後小学校教員として勤務します。結婚を契機に仕事を辞めました。その後、ほぼ3年ごとに夫の転勤にともなって引っ越しの日々が続きます。夫は長期出張や不規則な勤務もあり、子ども2人の育児は新井さんの責任となりました。「専業主婦だから人に迷惑をかけないで自分の力で子育てしなければ」「良い子をどのように育てればいいのだろう」。現在のようにインターネットで情報を得ることもできず、当時は切り裂かれているような感じがしたと言います。
子育て支援センターもなく、知らない土地で頼れるのは夫だけ。夫も仕事で多忙。八方ふさがりに思えた時に、地域の公民館に出かけたことから、いろいろな出会いや勉強を通じて、無理なことを頑張ってやろうとしていた自分に気づきます。当事者として社会教育を通じた学習の素晴らしさを初めて実感しました。
講義型の講座にも通い多くの刺激を受けました。その後、学習するだけでは飽き足らず、非常勤の社会教育指導員の募集をみて、応募。教育長の面接では、当時まだ下の子どもが4歳でしたが、「大丈夫です」と言って採用されます。新井さんは社会教育指導員として講師を探して企画を立てる立場になり、夫がパプアニューギニアに転勤になるまで続けました。
海外暮らし3年後、埼玉県に住むことになりました。仲間づくりをするなら公民館と思って出掛けた先で、活動的な若い女性たちに出会います。市がグループに学習支援助成をしていました。転勤族の妻同士で一緒にグループ「あれあれあ」をつくり、「NPOで働く」「男が子育てしてみたら」などをテーマに、自分たちの学習会を開催しました。「あれあれあ」はタヒチ語で、楽しい時とか、大笑いという意味で、会のモットーにもなっています。
その後公民館の非常勤社会教育指導員を5年間務めました。公募の企画員と新井さんとが、講座をつくりあげていく体験をします。この働きぶりや成果が認められ、仕事から得るものには大きなものがありました。が、昇進や待遇が良くなる見込みのない非常勤職員という限界があり、この仕事をずっと続ける意味を見出すことができませんでした。
地域の女性たちとの出会い 「あれあれあ」の立上げ
平成14(2002)年に、埼玉県男女共同参画推進センター(With you さいたま)が開館、市民グループ・団体の調査研究に助成金を出すことになり「あれあれあ」のメンバーと一緒に応募します。転勤族の妻たちが自分たちの課題について勉強していましたが、いつも受け身の状況がつまらなく感じていた頃です。埼玉県の女性の労働力率は30代の労働力の底が深いM字型を描いていることが指摘されており、研究テーマは、M字の底にいる女性を対象にした学習プログラムの作成としました。調査してわかったことは「新井純子が抱えていた課題は、わがままな思いではなく、女たちに共通の課題だ」ということです。
作成したプログラムを公表すると、実際に講座として実施することを勧められました。実施費用がないので、市の地域福祉の助成に応募しました。
実施した講座は大変好評でした。成功の理由は、「あれあれあ」のメンバーが、参加者と共に様々な思いや気持ちを率直に話し共有したことが大きいと思っています。参加者アンケートでは「自分たちの話をしたことがよかった」「元気が出た」という感想が多く、それが後の活動方向を決めることになりました。
地域のさまざまな声を聞くことを目標に、あちこちでワークショップを開きました。そこで、実力はあっても9時-17時のフルタイムでは働けない大勢の女性と出会います。。行政や大きなNPO団体とは異なり、小さな団体「あれあれあ」は、率直に話す場を作ろうと決めました。それが、「のら」構想につながっていきます。
書くことを通じて思いを形に
新井さんの活動と切り離せないものが「書くこと」です。書くことが好きだったわけではないけれど、自己表現のために書かずにはいられず「幼い子を育てる」や「父親としての我が夫」などをテーマに雑誌へ投稿を続けるうちに、自身の考えや思いが整理されていきました。編集者が読んで批評してくれたことで、独りよがりに陥らずにすんだと言います。
そうしているうち、育児雑誌で論文の公募がありました。自分が今まで子育てで悩んだこと、力がある女性が生かされない日本はもったいないという率直な気持ち、みんなが力を発揮できるスペースがあればいいという趣旨でまとめたところ、大賞を受賞しました。NPOが子育てひろばを全国的に立ち上げ活発に活動していた頃です。今ならFace BookなどSNSがありますが、その当時はメーリングリストでした。全国的に子育て支援をしている人たちと意見交換する場で、子育て支援に携わる行政の人と知り合い、育児雑誌の論文を読んだ行政職員が、母親が独りで住んでいる実家に新井さんが考えるスペースを作ったらどうかと提案してくれます。
ヘルシーカフェ「のら」を拠点とした活動
大家さんの実家の庭に、コミュニティカフェをオープンします。それが「ヘルシーカフェのら」です。住宅街の一角に16畳のフローリングのワークショップの場所と、大人がゆっくり食事できるスペースを設けました。スタッフは新井さん以外に有給スタッフ3人、ボランティアスタッフ4人。近くの障害者施設から清掃の担当として来てもらうほか、不定期ボランティアもたくさんいます。土地と建物の外枠は大家の提供ですが、内装および厨房機器も含め借金をしましたので現在も返済中です。
カフェというと「料理が好き」「料理上手」だから開いたとイメージされがちですが、新井さん自身は料理好きなわけでも得意なわけでもありません。カフェについて考え始めた契機は、公民館や女性センターで会合を続けてきたことにあります。女性を対象とした集まりはその場だけでは終わらず、そのあともみんなでもっと話したいと続けることがよくあったからです。公民館など公的施設は飲食禁止が多いのです。初対面でもコーヒーやお茶で場が和むことも経験していたので、ゆっくり話のできるカフェを考えたのでした。
ヘルシーカフェのらは、新生の「あれあれあ」だと新井さんは言います。立ち上げるまでには、いろいろな人に協力を求め、やり方について大議論をしました。今では、幅広い年齢のメンバーがパートやアルバイト、ボランティアという形で関わっています。埼玉県の「多様な働き方実践企業」賞も受賞、埼玉県のS級グルメにも指定されました。
オープン当時は子育て中の専業主婦が多かったのですが、最近は育休中のママたちが多くなりました。最近はLINEなどネットでつながり、仲良し感がある一方で、意外と本音を言っていないと感じます。情報がありすぎて困っている様子も見受けられます。彼女たちは子連れで出かけることができるカフェで気晴らしをし、情報を得て友人をつくり、ネットワークをつくり、再び会社に戻っていきます。最近は働くママや起業したい女性との情報交換やネットワークも広がってきました。
ご飯を食べてくつろいだり、仲間とわいわい話をする人もいれば、育休中や転勤族で仕事を中断している人が友人を作ったり、自分のやりたいことを実現しています。今後の転勤生活に生かすために保育士の資格を取ろうと決意した人もいます。
子育てしながら会社で働く悩みを持つ人たちが、赤ちゃんを育てるママが集まれる講座を「ベビーカフェ」として開催しました。子どもが育つにつれ、それがファミリー全員を対象とした「家族カフェ」に展開して、パパも参加するようになりました。地域には面白い人がたくさんみつかります。当初は新井さんが積極的に働きかけて企画に結び付けていましたが、「のら」という場所ができると人が人を呼び、知恵が知恵を生むようになりました。最近は「おじさんが地域で幸せに暮らす方法」講座を開催し、これまでとは違う活動も生まれています。のらは、まちづくり、コミュニティ作りにつながっています。
今後について
公民館に通い始めたころ、「こんなことを俺に言うようになった」と戸惑う夫と大いに喧嘩しました。子どもたちが成人し、退職した夫と2人になりました。夫が「自分たちが住むこの辺りにも、のら2があったらいいね」と言った時には、「やった!」と思いました。賄いでおいしいご飯を食べることができ、いろいろいな人に出会えることが新井さんのモチベーションです。お金が入る仕組みを日々模索はするけれど、どこからも助成金を得ない自由さも実感しています。
のらという「場」があることで、「新井純子」がいなくても、有機的に集まっていろいろなことが起きる状況が進んでいます。活動の原点にあったのは「子育て中のママを応援したい」ですが、働く女性やママ、シングル女性も増えてきました。これからはおじさんやおじいさんも応援したいと考えています。毎日やっていく際には、つらいことも山のようにあるけれども、のらでつながった人たちがそれぞれ自分なりの新しい活動を進めていくことを目標にしながら応援しているところです。
(平成28年度インタビュー)