会社勤め、在宅勤務を経て女性起業家の支援 ~ (株)ソフィットウェブコンサルティング代表 吉枝ゆき子(よしえだ ゆきこ)さん

会社勤め、在宅勤務を経て女性起業家の支援 ~ (株)ソフィットウェブコンサルティング代表 吉枝ゆき子(よしえだ ゆきこ)さん
<プロフィール>
吉枝ゆき子さんは、教育心理学を専攻。大手コンピューターメーカーのシステム技術職として就職。学校市場担当となり経験を積む。社内結婚した夫の転勤に合わせ、関西支社に異動。出産後は育児休暇を取得して、共働きを続けたが、2回目の育児休業後、週2日は在宅勤務が可能な会社に転職。夫の異動による再度の転勤を機に週5日在宅に転換。再び転勤になった際に、起業に向けて舵を切り、2年間の準備期間後にインターネットを活用した女性の起業支援を行う起業家として活動。
吉枝さんのこれまで
1989年 大学卒業。システム技術職としてコンピューターメーカーに就職。業務上の知識や資格取得に励み、希望の部署に配属
1994年 結婚後、夫のいる関西支社に願を出して異動になり、仕事内容も変わる
1996年 第1子出産、1年間育児休暇を取得後、職場に復帰
1999年 2度目の育休後、週2日は在宅勤務ができる会社に転職
2001年 第3子出産後も在宅勤務をしながら仕事を継続
2002年 夫の転勤に伴い静岡県へ移動し、週5日在宅勤務。男女共同参画センターの講座に参加したり、起業についてメルマガなどで情報収集
2004年 夫の転勤に伴い神奈川県へ移った後、会社が閉鎖したため、起業コンサルタント事務所で働き始める
2007年 男女共同参画センター横浜が運営する女性起業UPルームで、女性を対象にした起業の相談を担当
2016年 ソフィットウェブコンサルティングとして独立開業、後に株式会社化
初期キャリア

  吉枝さんは横浜市育ち。関西の大学で教育心理学を専攻しました。いわゆる文系の人間でしたが、女性が働き続けるには手に職をつけたほうがよいだろうと考え、1989年に大手コンピューターメーカーのシステム技術職として就職します。景気もよく、男性と共に多くの女性が採用されました。男女一緒に新入社員教育を受けた後、希望していた学校市場向けの部署に配属されたことは幸運でした。入社当時から子どもが学ぶ環境で使うコンピューターのシステムづくりなど学校市場を担当したいと伝えてあったからです。パソコンは素人でしたが、システム技術職の良さは「確かな技術やスキルをもって仕事をすれば認めてもらえる」ことだと吉枝さんはいいます。社内研修を受けて磨いたスキルは、情報処理技術の資格など、かたちにすることを心がけました。
  90年代は小学校でマルチメディア学習の導入が開始された時期で、研究授業の見学ではパソコンを前に嬉しそうに授業を受ける子どもたちをみて、自分の仕事の成果をじかに感じることができました。まもなく社内でも小学校向けのソフトウェア開発プロジェクトが立ち上がり、その中でどのような機能を備えたソフトウェアであるべきかを考える仕様担当者になります。技術系職員の中で、教育に関する知識を買われて仕事を任され、成功プロジェクトとして成果が残せたのは、仕事上の大きな転機となりました。
  一方で、開発プロジェクトが立ち上がると、違う部署にいた同期の男性が吉枝さんの上にグループリーダーとして配属になります。同程度の能力なら、男性のほうが先に出世していくのか、と感じました。仕事上のロールモデルとしては、優秀でスキルが高く、周囲に一目置かれているシステム技術職の女性先輩がいます。ただ、吉枝さんは当時、いかに認めてもらえる、やりがいのある仕事をしていくかということに必死で、子育てを経て管理職についている女性も身近にいなかったため、将来的にリーダーなどの管理職になっていくイメージは持てていませんでした。必ず将来ハードルとなるであろう子育てをいかに乗り越えて仕事を続けるかのほうが大きな自分の課題だと考えていました。

結婚に伴う転勤と第1子の出産

  遠距離で付き合っていた社内の同期の男性と結婚しました。開発プロジェクトで仕事が認められていた時期なのでとても迷いましたが、「会社の仕事はだれかが穴を埋めるようにできている」と言われ、そんなものかと関西へ転勤依頼を提出、認められます。ただ自分がやりがいを持って、スキルを発揮できる仕事に出会えることはとても貴重なことと思い、あとから後悔もしました。転勤先では営業部しかなく、学校市場も小さくやりがいは少し薄れてしまいます。
  転勤後、1996年に第1子を出産。当時、会社の育児休業制度は整っていましたが、出産後の女性たちはどのように働き続けるかを模索している段階でした。仕事の第一線を外れて、管理部門に移る人もいます。今までと同じ働き方をする場合は、たいていの人が実家からサポートを受けていました。
  夫は保育園の送り迎えも積極的で協力的でしたが、両立する上で困難だった点は、子供が病気になったときに預け先がないことです。最初は、夫と交替で休んでいましたが、夫は仕事の重要さが増していき、吉枝さんが休むことが多くなります。大事な仕事や第一線から次第に外れていくようになります。夫婦のどちらが出世するほうが家計的に得かと考えた上での選択でもありました。同じように子育てをしながら働いている女性に、悩みや愚痴を聞いてもらいましたが、解決策は出てきません。それまであんなに仕事の成果を出し、やりがいのある仕事についていたのにと、夫の前で悔し涙を流したこともあります。働き続けても、先が見えず迷った時期でした。
  育児休暇中に感じたことは、自分の収入が途絶えてしまうと、家族のために使うお金はあっても、自分の価値観で自由に使える収入がないということです。自分の仕事を持って、収入を得ながら働き続けていきたいとずっと感じていました。

在宅ワークができる会社に転職しさらなる転勤

  第2子出産後も育児休暇をとりましたが、第1子の時に復帰後の困難を経験していたため復帰についてはかなり悩みました。ちょうどそのとき友人の紹介で、週2日出社、あとは給与計算のシステムをつくる仕事が社員待遇でありながら在宅でできるIT分野の会社に転職。社員5―6人の小さな会社で、教育熱心な社長からビジネスについていろいろと勉強させてもらいました。
  在宅勤務の仕事を2年ほど続けた後、3人目が産まれます。そのころ、夫が自身の仕事上のキャリアアップのために異動願いを出し、今度は静岡市にいくことになります。社長に相談して、社員として完全在宅で仕事を続けることができたため、移転後も保育園に入ることができました。
  静岡市では第3子は保育料が無料、正社員として収入も安定していました。しかし、朝、保育園に預けてから迎えに行くまで、1日中誰とも話さずに在宅で黙々とシステムをつくり続けることに孤独を感じます。顧客からのフィードバックを直接受けることもありません。あるとき静岡市が開催した起業セミナーに出席し、女性起業家がいろいろな形で活躍しているのを知りました。子どもを育てながら働き続ける選択肢として起業を考えてみようと考え始めます。まず起業メルマガに登録したり、静岡県男女共同参画センター主催のセミナーに出席、出会った参加者とグループを立ち上げたりしながら、ネットワークを広げて、少しずつ準備を始めていきます。この期間にビジネスプランコンテストに応募、在宅ワーク・テレワークのエッセイ募集にも応募して、大賞を受賞。女性の就労継続の解決策としてテレワークが推進されているが、当事者としては必ずしもバラ色ではない、メリットはある、どうすれば続けていけるか、という内容です。
  吉枝さんは、理系の技術職に囲まれて仕事をしてきたため、自身がシステム開発で培ってきたスキルは大したことでなく起業には役立てることはできないと思っていました。しかし、グループ活動でチラシづくりやネット告知などに役立てたことで、対象を変えれば役立つスキルをもっていることに気づきました。

三度目の転勤を機に起業に踏み出す

  静岡市で2年弱を過ごした後、3度目の転勤で神奈川県に移ります。同時期に在宅勤務で働いていた会社が閉じることになり、担当していた顧客の仕事を一部分、個人で引き継ぐことになります。転勤先にメルマガを購読していた起業コンサルタントの個人事務所があり、ちょうどスタッフ募集があったので、この機会に働きながら起業の勉強をすることにしました。会員制の起業コンサルティングをしている事務所で起業の考え方や具体的なノウハウを学びました。当初週3日勤務でしたが、その後週5日働くことになり、低時給で昼食を食べながらも仕事をしていたほどです。「起業したら結果を出さないと収入にならない」、「雇われサラリーマンと商売人とは考え方を変えない」となどと言われながらまさに「修行の時期」で勉強になったと言います。そこで約2年働きました。
  そこで気づいたのは、女性で起業を志す人たちは「こういうことに役立てたい」「こういう人に幸せになってもらいたい」などとても思いが熱いということです。一方、男性は年収1千万円稼ぎたい、など年収を目的にし、起業へのモチベーションが違う印象を受けました。一方で、純粋な思いを持っていても、ビジネス視点が弱いとか、ノウハウがないために十分にアイデアを事業化できない女性が多いことから、女性の起業を支援したいと考えるようになりました。
  その後、事務所の所長の知り合いの女性起業スクール立ち上げに携わった後、横浜市の男女共同参画センターの起業支援施設で助言的な役割で関わるようになります。個人事業主として個人的に請け負っていたホームページやシステム関連の仕事も続けて収入源となりました。横浜はもともと生まれ育った町であり、男女共同参画センターの仕事を通じて実績とネットワークも広がり、現在は東京や他県からでも起業セミナーやネット集客セミナーの講師の依頼や相談などを受けるようになりました。個人事業主として9年目となる2016年にインターネットを活用した起業支援を行う事業で株式会社に移行しました。
  吉枝さんは、子どもを3人育てながら自分の仕事を続けていくにはどうしたらいいのだろうと常に考えてきました。子育て中は思うように働けずに焦る気持ちが強かったですが、ペースを落としながらもずっと働き続けてきました。時にはふりかえって後悔する決断もありましたが、楽しくないと思いながらやっていた仕事でさえ、これまでに積んだ経験で無駄になったものは何もない。すべてここにつながっていたと思えるほど今の仕事に役立っているといいます。大学進学時に志望していた心理カウンセラーと形は異なりますが、起業の助言の仕事に就いています。目の前の仕事に向き合っていくことが何かのかたちで必ず生きてくると感じています。

(平成28年度インタビュー)

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