宮沢賢治の精神にもとづく〈文化創造〉と地域交流の促進~菊池洋子さん

宮沢賢治の精神にもとづく〈文化創造〉と地域交流の促進~菊池洋子さん
<プロフィール>
自営業の夫の手伝い、公民館指導員、JR新花巻駅の喫茶部と、さまざまな職場を経験してきた。JR新花巻駅の喫茶部に在任中、JRジパング倶楽部の「大人の小学校」を企画することになった。喫茶部で働きながらこの仕事の成果をあげるのは困難だと考え、所属をNPO法人花巻文化村協議会に移した。夫の看病で同法人を一時離れたものの、その後、事務局長として復帰、現在に至る。音楽関係の諸活動も幅広く実践し、邦楽愛好会代表、北上マンドリンアンサンブル代表、筝アンサンブルパウロニア会員でもある。現在は夫が亡くなりひとり暮らしだが、同じ敷地内に別世帯で長男が居住している。他に、子どもは既婚の次男、三男と長女がいる。(60代)
菊池さんのこれまで
1990年 北上市の公民館指導員(1995年まで)
1995年 JR新花巻駅の喫茶部に勤務(2001年まで)
2001年 JRジパング倶楽部の「大人の小学校」を企画(2003年まで)
「大人の小学校」の企画開始とともに、NPO法人花巻文化村協議会に移籍
2004年 NPO法人花巻文化村協議会事務局長に就任
「花巻文化村協議会」に出会うまで

  北上市に住む菊池さんは、結婚後しばらくの間は自営業だった夫の仕事を手伝っていました。一番下の子どもが保育園に入った頃から、近くの公民館で4年間、社会教育課の非常勤職員として指導員の仕事を勤め、婦人学級や高齢者学級などを担当しました。子ども時代に子ども同士の合宿や地域行事のなかでさまざまな体験的な学習を経験していたので、公民館の仕事は「何かすごく、楽しくて楽しくて」携わっていたと言います。
  その後、家庭の事情で公民館の仕事から退き、JR新花巻駅の喫茶部に勤めました。駅ではさまざまな人が行き交い、北上から初めて外に出て世界が広がり、とても幸せだと思いました。仕事を通じてたくさんの人との出会いがありましたが、中でもソニーミュージックの企画部門の人との出会いは重要でした。その人と一緒に、JRジパング倶楽部の「大人の小学校」(首都圏のシニアと地元の子どもたちの交流事業)という企画を練り、実現させたのです。「この事業は絶対に子どもたちのためになる」と直感し協力することにしました。
  ただ、2年にわたる同事業への協力と駅の喫茶部での仕事は両立できないと判断し、菊池さんは「花巻文化村協議会」に所属を移します。移籍を誘ってくれた同法人の理事長は、「花巻文化村協議会に来て好きなことをやればいい」と言ってくれました。花巻文化村協議会ではお蕎麦の厨房を手伝いながら、2年間ソニーミュージックの人と一緒に企画を練って、「大人の小学校」を実現しました。「大人の小学校」は大成功し、テレビ番組でも取り上げられました。小学校の校長は、「(この事業によって)子どもたちは育てられた」と成果が予想以上にあったことを喜び、本まで書いてくれました。

経営改善に向けて

  「花巻文化村協議会」は、築250年の農家を改造した母屋(ギャラリー、喫茶・食事)をはじめ、陶芸棟、創作棟、イベントホール、自然を生かした風の小道、風の林などの施設を基盤として、さまざまな創作活動、地域の人々の交流促進、多様な学級・講座や体験学習の事業を行うNPOです。事務局長になるとき、理事長は「宮沢賢治が実践した羅須地人協会の現代版というNPOの原点」に戻って運営するよう依頼しました。運営にあたっては、公民館での社会教育の仕事の経験が生かされました。
  事務局長になったときは、それまでの「花巻文化村協議会」に対する評価があまりよくなかったため、「それを払拭するのが最初の壁」だったといいます。以前のイメージを引きずっている「花巻文化村協議会」を立て直すために、「ゼロから始まる」という感じでした。著名なアーチストを「希望郷いわて文化大使」や「花巻イーハトーブ大使」に、また事務職員の女性をイーハトーブ・レディにするなど、イメージ奪回に努力しました。経営面でも赤字という厳しい現実を前に、「フル回転」で取り組みました。

事業運営の工夫

  NPOの経営には重い責任がともない、「家庭を切り盛りするよりも大変」と感じています。事務局長を支える職員がほとんどいない状況で、工夫しながら人の力を最大限に生かす努力をしています。例えば、セミナーや講座を開くときは講師を募集し、講師が中心となって各事業が自律的に動いていくようなしくみを作りました。
  「私がやらなくても、それぞれが動けるようにしようと思ったのですね。陶芸クラブ、裂き織りクラブ、フラワースクール、それぞれが自分たちで連絡を取り合って、生徒さんでも代表を決めてやっていく、そういう一つ一つの組織を作って進めるようにしようと思いました。」
  いわば「提携講師」という制度に基づくこの方式により、着実にサークルや教室が増えました。食堂についても「一日シェフ」というしくみを作り、「あなたの得意なメニューをお客さまに出してみませんか」という提案をしています。それに応募して料理を作って出してもらい、売上げから一定額を「花巻文化村協議会」に納めてもらいます。

ネットワークの構築

  事業の発展は、菊池さんのネットワーク構築力の大きさによります。上記のような、人を活かす工夫もそのひとつです。その他にも、6年かけて開発した「稗麺」(ひえめん)を「花巻文化村協議会」にだけ提供してくれるIさん、県庁を退職後も地域振興に貢献するMさんやKさん、宮沢賢治に惹かれている写真家のHさん、邦楽専門家のYさん、前述のアーチストUさんなど、さまざまな人たちとネットワークを広げ、それが菊池さんの成長とNPOの事業の発展を促しています。
  「そういうつながりが楽しいし、ありがたい」「そういう人たちに囲まれているからやれる」、そして「みんなそれぞれ違うけれども、引き寄せ合っているような」と菊池さんは語ります。菊池さんが関わると何でもネットワークになってしまうという、不思議な魅力と「つなぐ力」を持っているのです。
  子どものころからマンドリンや琴など音楽に親しんできた菊池さんは、音楽があるから多くの人と出会えたと感じており、とりわけ音楽で知り合った人から学んだことが大きいと言います。例えば、「邦楽においては、家元制度に入っていなくても十分活動ができる」「完璧に、自分の力いっぱいにやらなければ駄目」などです。
  学ぶということについては、自分にとって必要な学習課題が発生すれば、会費を払って教室で学び、経理については商工会議所に通って教わりました。さらに、自分に必要な学習(例えば料理、習字など)があれば、「花巻文化村協議会」の講座として実現してしまおうと「企む」こともあるそうです。
  将来は今の状態をさらにつなげていきたい、そのためには(一人一人と)丁寧に付き合い、関わる人をさらに増やしたい、そして自分のあとを継ぐ後継者がほしいと言います。「花巻文化村協議会」を後継者に譲ることができれば、身近な仲間、同じ年代の人たちと一緒に、自宅でこのような活動をしたいという夢も抱いています。

(平成22年度インタビュー、平成24年度追記し掲載)

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