「女性学」の学習を男女共同参画プラザの運営という仕事につなげる~千田晶子さん

「女性学」の学習を男女共同参画プラザの運営という仕事につなげる~千田晶子さん
<プロフィール>
大学卒業後2年間小学校教員。結婚で仕事を辞め、夫の転勤先、東京で2年間暮らす。その後青森に戻り、現在青森市在住。二男一女の母。末子が小学校に入ってからPTA活動以外の社会を見たいと「青森県女性の船」事業に参加。以後、市のリーダー養成講座等、男女共同参画に関する学習を続けるともに活動にも力を注ぐ。青森市の男女共同参画プラン作成のための意識調査を請け負うことから収入を得るようになり、青森市男女共同参画プラザに勤務。2005年NPOの立ち上げに加わり、2007年から男女共同参画プラザの指定管理者。現在は、NPO法人の副理事長であり、青森市男女共同参画プラザ「カダール」と青森市働く女性の家「アコール」の副館長をつとめる。(50代)
千田さんのこれまで
1978年 大学卒業後、小学校の教員として2年間青森県内で働く。1981年結婚。夫の赴任先の東京で2年間生活。
1982年長男、1985年次男、1990年長女出産
1997年 「青森県女性の船」に参加。「私のための自由時間」受講。「日本女性会議」に参加
1998年 ネットワークALで活動、青森市男女共同参画社会づくりをすすめる会設立に参画
2000年 日本女性会議実行委員会発足 全体会部会長を務める
2001年 青森市男女共同参画プラザ「カダール」事業の企画運営を受託
2002年 「日本女性会議2002あおもり」開催
2005年 「NPO法人あおもり男女共同参画をすすめる会」として法人格を取得、副理事長になる
2007年 青森市男女共同参画プラザ「カダール」と青森市働く女性の家「アコール」の指定管理者A&Aの構成団体として事業開始。副館長を務める
「女性学」の学習を男女共同参画プラザの運営という仕事につなげる~千田晶子さん
男女共同参画との出会い

  大学卒業後、小学校の教員を2年して結婚、仕事を辞めて転勤先に同行しました。知らない土地に行くことは楽しく、PTA活動やスポーツチームで活動していたのでそれなりに充実していましたが、夫の本社勤務を機に、夫の両親のいる青森市に住むことにしました。1997年、末子が小学校に入学して子育ても一段落したので、PTA以外の社会を見たいと「青森県女性の船」に参加しました。この事業は青森県が女性のリーダー育成や女性のエンパワーメントを目的に、県内の女性を募集して2泊3日で実施する船内研修です。船中では、講義とワークショップが行われ、「男女共同参画」について学習しました。「男女共同参画」という言葉は初めてでしたが、自分で納得して仕事を辞めて夫を支え、「いい妻」「いい母」「いい嫁」としてがんばってきたことが当たり前ではないことに気がつきました。「自分は稼いでいない」という思いと「夫に食べさせてもらっている」という負い目は常にあり、自分のために使うお金は自分で何とかしたいと、参加費2万3千円はフリーマーケットを開いて捻出しました。
  その後も学びたいと考え、同年、青森市の女性リーダー養成講座「私のための自由時間」に参加しました。当時は女性の育成と若者の育成が青森市の発展につながるという考え方のもと、女性人材育成に力が入れられていました。さらにレポートを作成して応募すれば岡山で開催される日本女性会議に派遣されることを知りました。少し躊躇しましたが、行政の担当者から背中を押してもらいました。
  女性会議は3,000人近くが集まる会議で、全国の多くの元気な女性に出会ったことに感激しました。上野千鶴子さんの話から女性学という学問に出会い、自分の悶々としていた思いが学問として理論づけられていることを知ります。1997年は参加した「青森県女性の船」「私のための自由時間」「日本女性会議」が、千田さんが男女共同参画に関わるきっかけとなった、転機の年となりました。
  「私のための自由時間」修了後、次年度の自由時間の企画をという行政からの依頼を受け、岡山に派遣された5人の女性と講座を組み立てました。5〜6回の講座全体を組み立て、講師交渉をし、当日の運営をします。行政担当者がアドバイスしてくれ、初めての講師交渉も一緒に行ってくれました。このような経験を積み重ねて、自信をつけていきました。

ネットワークA・Lに入る

  自由時間の企画が終わった後、女性リーダーの会に入ることを勧められ、ネットワークA・L(Aは青森、アクティブ、アップル、Lはレディーでもライフでも)に入りました。このネットワークには元気で力のある女性がたくさんいて、パワーと活気にあふれていて、言いたいことを言うフランクな会でした。千田さんは、頻繁に行われる勉強会で、セクハラやDVの知識を身につけていきました。
  イベントも手がけました。チラシ作り、PR、講師交渉からすべてやる、「できない」とは言わない団体で、労働省のセクシュアル・ハラスメント講座の委託を青森市から受けたときには自分たちで寸劇を創りました。一生懸命に活動する千田さんに、周辺の市町村からA・Lの活動報告の依頼があったときには、話すチャンスが与えられるようになりました。

日本女性会議を企画する

  1996年、青森市は男女共同参画都市宣言をしました。1999年には男女9名の呼びかけで「青森市男女共同参画社会づくりをすすめる会」(以下「すすめる会」)が設立され、2002年の日本女性会議開催を決めると、その準備のために市内の様々な団体に声をかけ、2000年に「日本女性会議2002あおもり実行委員会」が立ち上がりました。同じ頃、「すすめる会」は青森市がプランを作成するための意識調査を委託され、その事務局長に推されました。調査の企画、調査項目作り、発送、分析など、ボランティアから脱して初めての有料の仕事でした。委託は1年で終わりましたが、2001年1月に青森市男女共同参画プラザがオープン、千田さんもスタッフとして働き始めました。
  2000年に立ち上がった「日本女性会議2002あおもり実行委員会」は、これまでの老舗の女性団体と「ネットワークA・L」や「すすめる会」といった新しい団体の集合体です。女性会議となると規模は大きく、基調講演、全体会、分科会、交流会など山のように仕事があります。千田さんは全体会と基調講演と交流会の責任者になりました。男女共同参画プラザのスタッフとしての仕事もしながらの女性会議の準備は大変で、寝る暇もなかったほどでした。この女性会議の成功が大きな経験となり、「何か困難なことが起こっても、これをやったから何がきても怖くない」と思えるようになりました。

NPOとなって指定管理者に

  当初、男女共同参画プラザは市の直営で、「すすめる会」が事業部門を委託される形で運営されました。その後、「すすめる会」は指定管理の導入を視野に入れ、何年間かNPOの勉強会を行い、2005年にNPO法人格を取りました。2007年指定管理が導入され、企業と共同体を組み、指定管理者として男女共同参画プラザと働く女性の家を運営しています。

夫婦関係の変化

  結婚して専業主婦となり、夫は仕事、家事・育児は千田さんという役割分業で、当時はそれが普通だと思っていました。長女の小学校入学を機に活動を始めた時も、夫は「あなたは好きでやっているのでしょう」「邪魔はしないけど、あなたの土俵には上がらない」というスタンスでした。変わったのは女性会議の実行委員になってからです。睡眠時間も惜しんで仕事と家事、女性会議の準備をする妻の姿を見て次第に認めるようになっていきました。
  それまで夫の考えを違うのではないかと思っても「まあいいか」と、従うことが夫婦円満の秘訣だと思っていました。しかし、学ぶことで少しずつ自分の気持ちを伝えたいと思うようになりました。最初は何か反論しようとすると涙ばかりが出ました。夫も突然反論しだした妻にびっくりして「何を言っているんだ」「泣くな」と声を荒げました。大学生だった息子が「お母さん一人だけが変わっても、お父さんが理解できなかったらだめでしょう」と言った言葉が耳に残っています。それまで夫婦間の関係性において、自分の考えを相手に伝え、それを受けて良い道を探すという対等のコミュニケーションをしてこなかったことに気がつきました。
  今では変わった妻に戸惑っていた夫も、涙が先で思いをことばにできなかった千田さんも、冷静に自分の言葉で意見を伝えることができるようになりました。「男女共同参画の考え方を学び、行動に移すことで自信がつき、生きるのが楽になった」と言います。「夫よりもずっと少ない給料だけど、自分も収入があることは強み」「いろいろな考え方があっていいし、意見を伝えあうことで人は学び、変われると思う様になった」とも。「夫は茶碗も洗えば、ご飯の支度もするし、講座にも参加して私の土俵に上がるようになった」そうです。「互いの生き方を尊重する、程よい距離感ができ、気負いのない夫婦関係を築くことができたと自負している」と話してくれました。

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