働きつつ、活動を継続。女性のネットワークを形成~田口輝子さん

働きつつ、活動を継続。女性のネットワークを形成~田口輝子さん
<プロフィール>
両親の教育方針もあり、高校卒業時には、手に職を持って経済的に自立する道を強く志向していた。専門職として保育士をめざし、大学で資格を取得。1972年、就職に際し信州大学医学部の教職員のための保育園が開設されることになり、その立ち上げから関わる。1989年園長に就任。定年後も嘱託園長として勤務。2011年に松本市議会議員選挙に、市民型選挙で当選。一方、学生時代から女性の地位向上や社会の動きに関心を持ち、仕事と並行して社会活動をずっと行ってきた。現在はみんなの学校in松本企画委員会代表、I(アイ)女性会議長野県本部議長を務めている。(60代)

(平成22年度インタビュー、平成24年度掲載)
田口さんのこれまで
1972年 長野県福祉大学校保育学科卒業
信州大学付設おひさま保育園勤務
1975年 I(アイ)女性会議参加
1980年 松本市婦人のつどい実行委員会参加
1989年 信州大学付設おひさま保育園園長
2002年 みんなの学校in松本企画委員会代表
2009年 信州大学付設おひさま保育園定年
2011年 松本市市議会議員。保育園嘱託園長と兼務
働きつつ、活動を継続。女性のネットワークを形成~田口輝子さん
職業を持って経済的に自立する道を志向

  育つ過程で両親から「仕事を持って経済的に自立するために手に職をつけられように資格を取っておくこと」とよく言われていました。高校卒業時に、実用的で結婚後の家事にも役立つと、栄養士の資格を取ることを勧められ、東京の栄養士専門学校に進学しました。3年間管理栄養士養成科に在籍しましたが、学ぶうちに、栄養士として働き続ける将来への魅力が薄れました。そこで、もともと子どもが好きなことや教育に関心があったことから、専門的な職業として保育士をめざし、長野県福祉大学校保育学科に進学、保育士資格を取得しました。

仕事と家庭の両立に日々努力

  1970年代は、働く女性が増加しました。「ポストの数ほど保育所を」と保育園が求められた時代です。大学を卒業した1972年に、病院の教職員のための保育園として信州大学医学部付設おひさま保育園が開設されました。新任保育士として新しい保育園の立ち上げから関わりました。保育園を開設する仕事は大変でしたが、やり甲斐や喜びも大きく、仕事にも家庭生活にも努力を重ねました。
  家族は、夫と子ども3人の5人家族。3人の子どものうち、2人は双子でした。「夫は、働く女性を十分に認めていて、決して女性を蔑視しない人です。子育て期には3人の子どもがいて、フルタイムの仕事を抱えての家事・育児は、それは大変でしたが、夫は家事や子育てに非常に協力的でした。そして、家族の誰かに我慢のしわ寄せをしない、できる人ができることを引き受けるという方式で乗り切ってきました」と仕事と家庭生活の両立について語っています。

使命感から社会活動に参画、女性のネットワークを形成

  フルタイムの仕事を持ちながら、社会活動に関わった動機は、何かしなければというやむにやまれぬ気持からでした。「I(アイ)女性会議」の活動に参加したのは、国際婦人年の1975年。1970年代から80年代は、日本社会に活気があり、さまざまな女性の活動も熱気がありました。活動の中で、特に印象深く覚えているのは、1985年の男女雇用機会均等法の制定です。法の制定に強い関心を持ち、働く女性たちにとっての法律がより良い内容になるよう願って仲間と上京し、国会へのロビー活動などにも積極的に参加しました。その頃活動を通して「目標を共有する仲間との活動は、新しいつながりを手に入れた楽しさと1人ではなく共に行動している充実感を得ることができ、仕事に対する活力ももらえました」と、自分と違う職業や所属の人との交流が広がる社会活動の楽しさに目覚めました。
  1980年には、現在活動している「みんなの学校in松本企画委員会」の前身の「松本市婦人のつどい実行委員会」に参加しました。女性団体と力を合わせ、大きな催しを企画、女性主体のネットワークを形成しました。女性団体が力を合わせて活動をしたことが、活動の拠点として女性センターを求める要望活動にもつながり、1999年のパレア松本、松本市女性センターの設立に結実しました。女性センターは男女共同参画の発信の拠点であり、多くの人が交流する団体活動にとっても拠点なので、今後ますます充実させたいと願っています。

原動力は、仲間とのつながりと強い意志

  現在代表を務めている「みんなの学校in松本企画委員会」は2002年に設立された団体で、男女共同参画社会の形成の促進を図る活動、子どもの健全育成を図る活動、社会教育の推進を図る活動をしています。
  社会活動への参加を妨げる要因として、活動する時間がないことや家族や職場の理解がないことが挙げられますが、田口さんは有給休暇を活用し、1日を午前・午後・夜間と分けてしっかり管理をし、時間を徹底的に有効に使っています。1989年に保育園園長に就任してからは、働く人の働きやすさや環境整備に一層力を入れており、「それは、自分自身の社会活動との両立のしやすさにもつながった」と言います。
  活動については、「団体活動は人間の集まり、メンバーとのつながりが大切です。そのためには相手を信頼することが基本です。会議の場ではお互いに考えていること、思っていることなど意見を良く聞き、気持ちをキャッチすることが重要と考え、代表として少数意見も大事にすることを心がけてきました。「みんなの学校」では、やりたいことがやれることが重要で、活動には楽しさも必要です。また学んだことを政策提言し、反映されることもやり甲斐につながっています。」
  困難の乗り越えは、「活動していく中では周囲の無理解などもありましたが、いちいち気にしません。活動を続けていくのだという強い意志と、共に活動している仲間がいるという信頼感があれば、困難は乗り越えられます。そのためにも、コミュニケーションを良くとることが重要です。」

市議会議員に押し出され、政治参画

  同じ職場でずっと働き続け、2009年に定年を迎えました。2年の定年延長で嘱託園長をしていた2011年に、松本市の市議会議員選挙がありました。長く議員をつとめた信頼のできる女性議員が引退することになり、女性議員を継続させたいという仲間から候補に押し出されました。家族の応援もあり、無所属で立候補、市民型選挙で38人中7位で当選しました。現在、議員として男女共同参画の推進と教育問題に重点的に取り組んでいます。また、ライフワークとして取り組んでいる保育園の仕事も、保育支援を医学部教職員対象にとどまらず、大学の女性研究者のために全学に広げていこうとしています。

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