企業で専門職として活躍、「土木技術者女性の会」の設立
岩熊さんは1972年に千葉大学園芸学部を卒業後、建設コンサルタント会社に入社しました。当時は、日本各地で公害や環境汚染が社会問題として認知され始めた時期であり、化学物質の環境への影響調査の需要は多く、岩熊さんは様々な仕事のチャンスに恵まれました。入社6年目の1978年、建設省(当時)が統括するプロジェクトの仕事に関わり、経験を積みました。通常は20年程度の職業経験がないと受験合格が難しいとされる技術士の資格を、入社9年目で取得しました。資格保持者となったことで会社内での業績の認知度も高まり、仕事をしていく上での自立性の獲得につながりました。
女性技術者間のネットワーク作りに関わったきっかけは、土木学会誌が1982年に主催した、土木建設分野で働く女性技術者の座談会です。このときに知り合った同業の女性たちと意気投合し、志を共有する同士で専門性を高め、研鑽の機会を作るために、1983年、約30名で「土木技術者女性の会」を設立し、関東地区の世話役となります。1991年〜1997年は事務局長として、当時はまだ数少ない土木分野で技術士として働く女性の活躍を支援しました。立ち上げた頃は、「山の神が怒るから女性はトンネルに入れない」という考え方が、業界内で広く受け入れられていた時代でした。そのため、たとえ専門資格を所持していても、女性が技術者として現場の経験を積むにはさまざまな困難がありました。問題を解決するために、「土木技術者女性の会」では土木の現場の見学会や女子学生との交流を企画し、こうした試みは現在まで続いています。
「女性技術士の会」の設立
立ち上げから約15年間にわたり「土木技術者女性の会」の中心メンバーとして活躍してきましたが、いつまでも同じ団体にいるのはよくないと考え、1993年に任意団体「女性技術士の会」を立ち上げました。会員の業績発表の場の提供や、建設事業などの見学会、技術士全国大会への参加などの活動を展開し、会員同士の交流を深めてきました。また女性技術士の実態把握を目的としたアンケート調査を実施、会員向けニュースレターを発行して情報発信に努めています。
1999年、技術者教育の質的同等性を国際的に担保する必要性が叫ばれ、日本技術者教育認定機構 (JABEE)が設立されました。翌2000年技術士法が改正され、技術者教育プログラムの審査・認定を行う制度が導入されました。「女性技術士の会」は社団法人日本技術士会と連携しつつ、JABEE課程に在籍している女子学生や女性修習技術者(技術士補の有資格者)の支援をしています。公的な活動範囲を広げるために、会は2007年11月にNPO法人になりました。
会員の力量形成と次世代リーダーの育成
「女性技術士の会」の活動の幅は海外にも広がっていきました。1999年第11回国際女性技術者・科学者会議(以下、ICWES)が幕張で開催され、「女性技術士の会」は協賛団体として会議を運営しました。その後、2002年ICWES12(オタワ)、2005年ICWES13(ソウル)、2008年ICWES14(リール)、2011年ICWES15(アデレード)に参加し、報告を通じて力量を形成し、段階的な成長を遂げてきました。
「女性技術士の会」では会の次世代を担うリーダーの育成にも力を入れています。意志決定機関である理事会を構成する理事の年齢層は50代半ばが中心ですが、理事会の中に40〜50歳代の会員を中心とした「リーダー会」を設置し、将来の理事候補の育成に努めています。メンバーはプロジェクトごとに、理事会より指名され、プロジェクトを実施します。終了後は各リーダーが報告書を提出し、理事との連携の中で行う一連の作業をきちんと遂行することで、意識の高いリーダーが育っていきます。
今後に向けた展望・課題
岩熊さんは「女性技術士の会」のメンバーは女性管理職であり、技術士というライセンスを持っている人たちの集まりなので、それにふさわしいことをやるべきであると考えています。専門職女性の集団という会の特性を活かしつつ、他のNPO法人と差別化をはかっていくことが願いです。今後の展望として、以下の3点を目標としています。第1点は、これまで以上の日本技術士会との連携の強化で、まずは日本技術士会に男女共同参画委員会の設立を働きかけていきます。第2点は次世代育成で、リーダー会のメンバーから理事になるような人材を輩出したいと考えています。そして第3点は、若い女性が国境を越えて活躍できるような環境を作ることで、具体的には、ICWESのような国際会議への参加に補助金が出せるような団体になることを目標としています。「女性技術士の会」は有職の女性専門職集団であるため、民間の助成団体からの助成金の交付対象となりにくいのが現在の悩みです。この点は、「女性技術士の会」の課題として、今後どのようにして財政基盤を強化していくかという点とも関連します。企業が資金を提供してもよいとみなすような団体になることが次の目標です。
岩熊さんのキャリア形成・家庭生活
岩熊さんは技術士という専門資格を基盤として、自身の職業キャリアを一歩一歩築いてきました。そして、その過程で出会った専門職の女性たちとのネットワークをゼロから作り上げ、「土木技術者女性の会」や「女性技術士の会」の活動を行ってきました。職業キャリアを構築する上で直面した困難が、それらの社会活動キャリアを推進していく力となっており、職業キャリアと社会活動キャリアが相互補完的な関係にあります。
岩熊さんは、結婚後も技術士として企業で働き続けてきましたが、上司や同僚、親族から「女性は早く家庭に入った方がよい」「奧さんが(夫の世話をせず)旦那さんがかわいそう」などと言われたことがありました。幸い夫はこうした周囲の意見を気にせず、育児にも協力的でした。子どもは、ある程度社内でキャリアを積んで課長に昇進した後、37歳の時に出産しました。ベビーシッターを雇い、母の助けも借りながら育児と仕事の両立を図ってきました。働く女性にとって、第1子の出産時期については若い時に産んで子離れの時期を早くするのと、ある程度キャリアを積んだ後、知恵もネットワークも資金も潤沢に蓄えた後に出産する、という2つの考え方がありますが、自分は後者を選択したと言います。
インタビューその後
インタビュー時点(2010年)、岩熊さんはセカンドキャリアとして、環境コンサルタント企業に技術者として勤務しながら、「女性技術士の会」の理事長を務めていました。その後、業界再編の中で新たな環境コンサルタント企業の上席技術者として勤務する一方、国立高専機構理事として教育機関の運営や女性研究者支援に関わり、また大学の非常勤講師として技術者教育の授業も担当しています。
今後の課題としていた日本技術士会男女共同参画委員会は2011年に発足し、その委員長を務めています。現在も職業キャリアと社会活動キャリアを両立しつつも、その比重は、社会活動キャリアに徐々に移ってきました。「女性技術士の会」もまた設立から20年を経て、企業からの助成の対象となり得るような、よりプロフェッショナルな集団へと転機の時を迎えています。理工系分野への女性の進出を後押しするような、岩熊さんたちの活動は、今後ますます重要なものとなっていくでしょう。
(平成22年度インタビュー、平成24年度追記掲載)