専業主婦からNPO法人に参画し、男女共同参画センタースタッフに~伊藤静香さん

専業主婦からNPO法人に参画し、男女共同参画センタースタッフに~伊藤静香さん
<プロフィール>
女子短大卒業後、商社に勤務、結婚のため退職。夫の転勤で岐阜県多治見市に転居。子育てに悩み「親業訓練講座」を受講。小学校の図書ボランティアグループを設立。NPO法人ウイン女性企画が名古屋市男女平等参画推進センター管理運営を受託し、スタッフとなる。NPO法人参画プラネット設立、常任理事となる。その後夫がカナダに転勤、家族で移住。在宅ワークでNPO活動を継続。カナダ在住中に執筆した実践事例研究が『国立女性教育会館研究ジャーナル』11号に掲載される。帰国後、NPOの職場に復帰。研究ジャーナル掲載の実績が認められ、名古屋市立大学大学院の受験資格を得て受験。人間文化研究科博士前期課程に入学。
伊藤静香さんのこれまでと
生涯学習との関わり
女子短大卒業後、商社に勤務、結婚のため退職。
夫の転勤で岐阜県多治見市に転居。子育てに悩み「親業訓練講座」を受講。小学校の図書ボランティアグループを設立。
NPO法人ウイン女性企画が名古屋市男女平等参画推進センター管理運営を受託し、スタッフとなる。
NPO法人参画プラネット設立、常任理事となる。
夫がカナダに転勤。家族で移住するも在宅ワークでNPO活動を継続。
カナダ在住中に執筆した実践事例研究が『国立女性教育会館研究ジャーナル』11号に掲載される。
帰国後、NPOの職場に復帰。研究ジャーナル掲載の実績が認められ、大学院の受験資格を得て、進学。
名古屋市のベッドタウンで過ごした学生時代

  『二十四の瞳』の大石先生にあこがれて、中学生までの夢は小学校の先生になることでした。身近な女性である母は、都会的で教育熱心で「男女の変わりなく、勉強したい子どもには高等教育を」と考えていました。ところが、父は「男には教育が必要だが、女には必要ない」という考え方でした。当時は「跡取りと考えられていた弟に優先順位があったのではないか」と伊藤さんは思っていましたが、46歳で大学院に進学したとき「お前が高校生のとき、4年制大学に行きたがっていたことを知っていた。あのとき本当に勉強をしたいと思っていたのはお前のほうだった。希望をかなえてやればよかった」と年齢を重ねた父が本音を話してくれました。
  住まいは、名古屋市のベッドタウン。伊藤さんは名古屋市内の進学校が希望でしたが、地元に新設校ができ優先的に入学するよう中学からアドバイスがあり、その高校へ進学します。高校時代は、典型的な管理教育で「イエスマン」しか生まれない状況でした。進路は1年生で決定しなければならず、数学が苦手という理由だけで私立文系を選択。その後、地元の女子短期大学へ入学します。
  短大時代は、「とにかく、2年間、楽しく過ごそう!」と決意。放送文化研究会に入部し、華やかな短大生時代を過ごすことになります。当時、短大卒の女子は就職がよく、希望していた商社に就職。バブル直前に入社し、4年後に結婚退職しました。

子育て、そしてボランティア活動へ

  子育て真っ最中の1994年、夫の転勤で多治見市へ転居。多治見図書館の「読み聞かせボランティア」として活動に参加し、最初の転機が訪れます。その後、学校における子どもの図書環境をよくしたいという気持ちが高まり、小学校の図書室ボランティアのグループを立ち上げることにしました。この背景には、保護者主導のグループで「学校を変えたい」という気持ちと、地域のボランティアが学校に関わることで「子どもを社会で育てる」ということにつなげたいという願いがあったからです。
  同じ頃、「親業(おやぎょう)訓練講座」に出会います。「親業」とは、親子のコミュニケーションスキルを学ぶ講座を通して、「自分が何を大切にしたいのか」を問うプログラムです。「親業」を学んだ理由は、育児をしている最中に、思うようにならない自分の子どもに出会ったことです。「親業」を学んだことがきっかけで、初めて「自分が育った」という実感をもち、親業訓練インストラクターになります。

仕事として、NPO活動へ

  次の転機がおとずれたのは、2003年6月。会員として登録していたNPO法人ウイン女性企画が、名古屋市男女平等参画推進センターの業務を名古屋市から受託することになり、スタッフを募集していたことが始まりです。「働くなんて無理」という思いのなか、ウイン女性企画の役員をしていた尊敬する女性から、「静香さん、スタッフになってみない」と誘われます。そして、その言葉に背中を押されてスタッフに応募し採用され、週に2・3回のペースで、市民と接するインフォメーション業務を担当することになりました。市民とのやりとりには常に臨機応変での対応が求められ、何度も失敗して「わたしには無理」と思ったことを今でも覚えています。
  専業主婦からの再出発の辛さを味わいつつ、「失敗を二度と繰り返さないこと」を心に決めて業務を担当する日々が続き、ボランティア活動とは違う、対価を得て働く社会的活動の意義を考え始めます。そして、NPO法人参画プラネットの設立に関わり、常任理事となります。
  そんなある日、夫から「カナダへ転勤することになった」との連絡。NPO活動としての仕事を得て、自分の未来を描き始めることができたときの転勤です。「夫だけに行ってもらう」という選択肢も考えましたが、やはり家族一緒にという結論を出し、2005年8月、カナダのトロントへ。再び、仕事を失うことになりました。

在宅業務という選択

  トロントで参画プラネットのメンバーたちの毎日を考えると、自分が取り残されていくような気持ちになりました。その気持ちを伝えると、「在宅で、ホームページ作成をしてみては?」と業務依頼がありました。とはいえ、ホームページなど一度もつくったことがないうえに、カナダに住んでいるので学ぶ場もない状況です。でも「とにかく、やってみよう!」と、ホームページ作成ソフトと初心者向けマニュアル1冊で参画プラネットのホームページを立ち上げました。ホームページの中身がふえて、作成ソフトの高度な機能を使いこなす技術が必要になると、インターネット上に掲載されているウエブサイト作成に関するさまざまな情報を入手して、自分の技術にしていきました。
  さらに、離れているからこそできることをと、男女共同参画センターの指定管理者となった参画プラネットのメンバー、かつて専業主婦だった自分たちの再チャレンジについて論文をまとめることにしました。そしてそれを『国立女性教育会館研究ジャーナル』の実践事例研究に応募し、掲載されました。そしてジャーナルに掲載されたことが評価され、名古屋市立大学大学院の入学試験にチャレンジする資格を得ることになります。ジャーナルに掲載によって、自分たちの活動を社会発信することに手ごたえを感じた伊藤さんは、本格的に自らの活動実践を研究し、論文執筆に取り組みたいと考えたのです。

NPO活動と研究との両立

  2007年に帰国し、事業型NPOを目指す参画プラネットでの仕事と活動、そして、名古屋市立大学大学院での研究を両立させるという、伊藤さんの毎日が始まりました。女性のエンパワメントをサポートする「新しい働き方」が基盤となっている参画プラネットの活動だからこそ両立が可能と、現在は修士論文の執筆に励んでいます。
  修士論文のテーマは、「NPOの女性と労働」です。次代を担う女性たちへ、一歩先行く先輩からのメッセージを伝えたいと、伊藤さんは、実践と研究を両立しつつ、社会に向けて情報発信を続けています。


◆伊藤静香さんの掲載実践事例報告

「再チャレンジする女性たちの現状と課題−男女共同参画センターにおける人的資源活用をめざす実践事例から−」
『国立女性教育会館研究ジャーナル』第11号

(平成20年度インタビュー)

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