有機農業ひとすじ ~「感動できる仕事」との出会いから~農業 ~小嶌 一美(こじま かずみ)さん

有機農業ひとすじ ~「感動できる仕事」との出会いから~農業 ~小嶌 一美(こじま かずみ)さん
<プロフィール>
島根県で有機農業の農園で働いています。実家は稲作中心の農家。短大を卒業し、3年間の会社勤めの後、「自分にとって感動できる仕事」は有機農業だと気づき、退社。地元の滋賀県で有機農業を始め、女性農業者のネットワークを立ち上げました。その後、活動拠点を移動。副業として、マッサージ師の仕事もしています。(30代)
小嶌一美さんのこれまでと
生涯学習との関わり
高校卒業後、いずれ就職することを考えて、短期大学の情報学科に進学。
地元に帰り、企業に就職。上司の言葉がきっかけで、このまま同じ仕事を続けていいのかどうか迷うようになり、情報収集や資格取得を始める。
有機農業を始めるために、退社。
実家の農業を手伝い、アルバイトをしながら有機農業を始める道を模索。
アルバイト先で、肥料の設計を行っている人と知り合い、新しい有機肥料を入手。有機栽培を開始。
農業を基礎から学ぶために、就農準備校に通う。
若い女性農業者の交流の場を作るため、女性農業者ネットワーク「ソレイユ」を立ち上げ。
独立の準備を始める。生活基盤を確保するために、マッサージ師の資格を取得する。
実家を離れて有機農業の農園で働く。
有機農業ひとすじ ~「感動できる仕事」との出会いから~農業 ~小嶌 一美(こじま かずみ)さん
儲からないけれど、感動できる仕事

  小嶌さんは「農薬、化学肥料は使わない」をポリシーに、島根県にある有機農業の農園で働いています。有機農業というのは、有機肥料、つまり動植物の有機質から作られる肥料を用いる農業です。しています。化学肥料や農薬、大型機械などを使って効率を高め、生産量を拡大していくいわゆる「現代農業」と違い、安全な作物がとれる一方、形の統一や大量生産には向いていません。
  実際、農業だけで食べていくのは厳しく、副業として、マッサージ師の仕事もしています。けれども、小嶌さんにとって、有機農業は「感動できる仕事」なのです。

「仕事とは、感動するもの」

  滋賀県の農家に生まれ、幼い頃から農作業を身近で見て育ちました。高校生の頃は、実家が農家であることを「恥ずかしい」と思っていました。通っていた地元の高校では、同級生の進路は就職と進学が約半々。すぐに就職したくなかった小嶌さんは進学を希望し、都会への憧れから大阪の短大を選びました。はっきりした将来の目標はなく、パソコンができれば就職に役立つだろうと考えて情報学科に進学しました。
  短大での2年間はあっという間に過ぎ、就職活動の時期になりましたが、やりたい仕事は見つかりません。大阪での都会生活にも満足できたので、両親の勧めで「なんとなく」地元の優良企業に就職。仕事は「毎日パソコンに向かうような、まったくのOL」でしたが、給与も悪くなく、週休2日制でボーナスや有給休暇もあったため、特に不満も感じませんでした。
  ところが、約半年たった頃のある日、「仕事とは、感動するもの、感動を見つけるものだ」という男性の上司の言葉に、ふいをつかれた小嶌さんは、初めて仕事について真剣に考えるようになりました。今のOLの仕事が感動できるかというと、それはない。じゃあ自分にとって感動できる仕事は何だろうか。どんな仕事が自分に向いているかわからず、派遣社員への転職を考えてワープロの資格を取ったりもしましたが、今ひとつ踏みきれませんでした。

有機農業を志し、会社を辞める

  ちょうどその頃、農薬の環境や健康への影響がメディアで取りざたされ始め、こうした問題に関心を持つ友人にも会って、自分の両親が作っている野菜にも農薬や化学肥料が使われていたことを思い出しました。「農薬、化学肥料がかかっている野菜は大丈夫かな、私が化学肥料や農薬を使わない野菜を作ったら喜んでくれる人がいるかもしれないな、と考え出して、農業をやろうと。」やりたい仕事が見つかったため、小嶌さんは、3年間勤めた会社を迷わず辞める決心をしました。
  しかし意気込んではみたものの、最初はどうしていいかまったくわかりませんでした。周囲にもその方法を知る人は誰もいません。農協や農業改良普及センターでも、「農薬を使わずできるわけがない」と一蹴され、やむなく、両親の手伝いから始めることにしました。

有機農業に踏み出す

  実家の農業を手伝い、アルバイトをしながら、有機農業への道を模索して約半年経った頃、偶然アルバイト先で、肥料の設計をしているお客さんに出会いました。新しい有機肥料を作ったが誰も使ってくれず困っているというのです。効果が実証されている既存の化学肥料や農薬に比べて、作物への影響が未知数な新しい有機肥料は、導入を敬遠されるようです。小嶌さんが、自分が有機農業を目指していることを話すと、データを取ることを条件に、新しい肥料を無償で提供してくれることになりました。さっそく両親から、10m×30mくらいの小さな畑を借り、大根の有機栽培を始めました。
  3ヵ月後、「絶対無農薬でなんかでできないと言っていた普及センターとか農協の人もびっくりするぐらいの」立派な大根を収穫。「配った友達が、みんなすごいおいしかったと喜んでくれて、ああ私こういうことがやりたかったんや、みたいな」。それが自分にとって有機農業が「感動できる仕事」である確信を抱いた瞬間でした。
  しかし、その後は失敗の連続でした。小嶌さんは、農業を基礎から学び直そうと、就農準備校に通い始めました。就農準備校とは、農業を始めようとする人に農業の基本的知識や技術を教える学校です。小嶌さんは、有機農業を学べる三重県の愛農学園で10日間の入門コースを受講し、さらに隔週土曜日の実践コースに通い、土作り、野菜作りの基礎を身につけました。

女性農業者ネットワークを立ち上げる

  1998年、滋賀県内の若い女性農業者の交流の場をつくろうと、女性農業者ネットワーク「ソレイユ(フランス語で太陽の意)」を立ち上げました。仲間探しには、県庁の農産普及課や農業改良普及センターを訪ね、10名ほどが集まりました。
  女性のネットワークを作ろうと思ったのは、「農業青年クラブ」のような既存のネットワークでは、「農家の跡取り息子」が中心となっていたからです。また、女性が農業をやりたいと言うと、まず「農家に嫁に行きなさい」と言われるのが現実です。小嶌さんが農業を始めたときも、お見合いの話がたくさんきました。女性が単独で新規就農する道は非常に厳しいのです。こうした現状が、女性農業者のネットワークが必要だと感じた理由の一つでした。

一人旅、そして再出発

  30歳を迎える頃、小嶌さんは一人暮らしを始めました。その頃ちょうど体調を崩したこともあり、自分の農業のあり方を見つめ直したいと考え、九州の農家をめぐる一人旅に出ました。大分県の循環農法(完全無農薬・無化学肥料)の農場や、宮崎県の耕さず、肥料農薬をせず、草や虫を敵としない「自然農」を実践している「賢治の学校」など、各地の農家を訪ねて回りました。さまざまな農業の形にふれて戻ってきたとき、自分の行くべき道は決まっていました。故郷を離れること。「一人旅をきっかけになにか全部開放されたというか、その土地に縛られる生き方はもう辞めようというか」。家族と離れ、一人で農業を営む厳しさは承知の上です。そのため、手に職をつけようと、マッサージ師の資格も取りました。
  現在、小嶌さんは島根県に移って有機農業を続けています。自分の可能性を封じ込めず、常に変化する勇気を持つということが、夢を実現していくことにつながっているように思えます。

(平成17年度インタビュー、平成19年度掲載)

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