人とふれあい、仕事を深める~建築士 金野美穂さん

人とふれあい、仕事を深める~建築士 金野美穂さん
<プロフィール>
大学の建築科を卒業後、不動産会社や設計事務所、工務店に勤務。さらに自分の設計事務所を経営し、さまざまな経験を積み重ねてきました。現在は、一級建築士として住宅販売会社に勤務し、リフォームを担当。建築の技術だけでなく、人とのふれ合いやコミュニケーションを大切にしながら、設計・設備の仕事をしています。(40代)
金野美穂さんのこれまでと
生涯学習との関わり
高校卒業後、上京して大学の建築科に入学。
大学卒業後、地元に帰り、不動産会社に就職。働きながら、2級建築士の資格をとるために準備講座に通い、資格を取得。
資格準備講座で知り合った講師の誘いで、設計事務所に転職。助手を務めながら、1級建築士の資格を取得。
切迫早産により、医者から仕事を諦めるよういわれ、退職。
工務店に再就職。1級建築施行管理技士の資格を取得。
独立し、設計事務所を開業。
無理が重なり、やむなく仕事を中断。
設計事務所を閉業し、住宅販売会社に再就職。地元を離れ、再出発。
新設されたリフォームのセクションに異動。
人とふれあい、仕事を深める~建築士 金野美穂さん
住宅販売会社でリフォームを担当

  金野さんは、現在、四日市の住宅販売会社でリフォームを担当する建築士として、営業と設計の仕事をしています。リフォームの部署は、2003年の入社から約半年後に新設され、自分を含め、ある程度年齢の高い「中年組」3名が配属されました。リフォームの場合は、住んでいる人の生活を維持しながら工事を進めなければならないため、経験を積んだ人が依頼者の心のケアしながら仕事を進めることが、ポイントだといいます。
  金野さんが仕事上何より大切にしているのは、お客さんや職人さんとのふれ合いです。何か問題や心配事が起きたら、その都度相手の話を聞いて解決するという地味な努力を重ねながら、信頼関係をつくっていきます。そのため、休日でも携帯電話を切らず、場合によっては現場にも出かけていきます。
  振り返ると、30代の頃は、技術や限られた予算の中でいかにいいデザインのものを完成させるかばかり考えていました。しかし、今の会社で働くようになって、技術だけではなく、お客さんや職人さんとのとのふれ合いやコミュニケーションが大切なことに気づきました。
  建築の仕事のいいところは、年齢を重ねるうちに知識や経験が増え、人間に丸みも出てきて、やればやるほど仕事に深みが出るところだと思っています。その分、勉強にはきりがありません。メーカー、素材、加工の仕方など、さまざまな知識が必要で、知識が1増えると分からないことが10増えていくような感じがするそうです。

大学の建築学科に進学

  高校生の頃は絵を描くのが好きで美大志望でした。しかし、父親から、絵を描いても食べていけないから、ものを描くなら図面などの方がいいのではないかと建築を勧められ、納得して志望を変更。女子高だったため、「男の世界」という未知の世界への興味もありました。当時はまだ、卒業後の職業について具体的に考えていたわけではなく、建築士についても、何となく格好がよくて、高収入の安定した職業というイメージしか持っていませんでした。そして、東京へのあこがれもあり、東京の私立大学の建築科に進学しました。
  大学では、技術的なことよりも、建築士としてのものの見方や概念、仕事に対する態度などを教わりました。その経験が役立つようになったのは、実際に自分で仕事をするようになってからのことです。あれこれプランを練っているときに、講義で聞いたことをふと思い出し、そういうことだったのかと初めてその意味に気づくこともあるそうです。

建築の世界でキャリアを重ねる

  大学卒業後は、地元の山形に帰り、父親の紹介で不動産会社に就職。4名だけの小さな会社で、電話の応対から設計、接客、何でもやりました。図面の描き方に始まり、基礎的な技術はここで身に付けました。約3年勤め、その間に二級建築士の資格を取得しました。
  その後、二級建築士の資格をとるための講座の講師だった建築士から、小学校の設計を手がけるので手伝ってほしいと声をかけられ、設計事務所に転職。助手を務めながら、実際に打ち合わせが進行する様子や、他の関係者との調整の中で図面が変化していくプロセスを知り、設計の行程の全体像をつかみました。ところが、一級建築士の免許を取得し、それを区切りに2度目の出産に踏み切ったときに、切迫早産のため2ヶ月入院。医者から仕事を諦めるように言われ、約3年勤めて退職することになりました。
  その後、子どもと一緒に家で休養していたところ、父親が工務店の働き口を探してきてくれ、産休明けに再就職しました。現場に携わる工務店の仕事は未経験だったので、興味がありました。当時、会社では公民館を手がけており、一級建築士の資格をもつ金野さんは、さっそく現場に出され、書類整理、職人さんの人数や進行具合の確認、工事写真の撮影、役所への届け出などを行いました。その後も、公共事業や民間の住宅を担当。一級建築施行管理技士の資格も取得しました。

独立開業の夢を実現

  工務店で5年働いた後に退社し、1997年に自分の設計事務所を開業しました。仕事がどれだけ入るか見当もつかず不安でしたが、30歳を過ぎたら一度は開業してみるつもりでした。自分で色々と考えて、つくりたいものをつくってみたいと思っていたからです。約100万円の資金は、勤めていたときの貯金でまかないました。
  開業してからは、受注、図面の作成、大工さんの手配など、ほぼ1人で全部やりました。あまりにも忙しい時は若い人にも手伝いを頼み、「24時間営業」で働きに働いたといいます。
  しかし、働きすぎからか体調を崩し、精神的にも疲労困憊。開業6年目頃から事務所は開店休業状態となりました。今思えば「男性に負けてられない」と頑張り過ぎたことが原因でした。仕事上、女性ということで人から不利を被ることはありませんでしたが、「他の人に笑われたくない」また、現場の職人さんにバカにされてなるものかと、精一杯背伸びをして、つい無理を重ねてしまったのです。

働き方を見つめなおす

  仕事を休み、山形県の建築士会やNPOの活動に取り組むうちに、生活を変えて立て直そうと考えるようになりました。そして、設計事務所をたたみ、会社に就職することにしました。就職先を選ぶ基準は3つ、(1)規則正しい生活と安定した収入が見込めること、(2)営業をしっかり学べる会社であること、(3)心機一転をはかるため山形を離れること、でした。30代は仕事と子育てで終わってしまったので、40代に入り、定年までに何か新しいことをやってみたい、また、下の子も小学校を終る頃で、子育てに手がかからなくなるということもありました。
  情報はインターネットで探しました。年齢制限はありましたが、一級建築士の資格があるので、求人は複数ありました。しかし、それでも45歳では厳しい印象だそうです。

人生のモットー

  仕事時間の長い生活をしているので、実際の行動からはそう見えないかもしれませんが、金野さんにといって気持ちの上では「母であること」が第一の優先事項ということです。1992年に離婚し、子どもたちが成人するまでは、何があっても手放してはならないと思っています。そのためにも建築士という仕事はとても大事なものです。
  金野さんは、人生は一度しかないのだから色々やってみたらいいと思っています。やってみると、問題もたくさん出てきますが、問題から逃げずに1つ1つクリアしていけば、自分のステージも1つずつ上がっていきます。様々な経験を経た金野さんの設計は、機能だけでなく、気持ちの入ったものとなっていることでしょう。


*設計事務所と工務店の仕事の違い

  設計事務所は、図面を描き見積もりを出すこと、お客さんとの打ち合わせ、現場での施工チェック、役所への確認などが主な仕事である。工務店は、職人や材料の手配、工事の段取り、スケジュールの組み立てを行い、施工するのが主な仕事である。
  一級建築士の仕事は、建築物に関する設計・工事監理、建築工事契約に関する事務手続き、建築工事の指導監督、建築関連法や条例に基づく手続の代行などである。300m2を超える大きな建物が対象となる一級建築士に対し、二級建築士は延べ面積30m2以上〜300m2以下の鉄筋コンクリート造、鉄骨造、木造建築などが対象となる。一級建築施行管理技士は、建築工事の指導監督が主な仕事で、実質的には、一級建築士の資格の中に含まれてしまう。公共事業の場合は、建物の規模に応じた人数の一級建築士あるいは一級建築施行管理技士を現場に置かなければならないという指導がある。

(平成17年度インタビュー、平成19年度掲載)

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