女性科学者のたまごたちへの支援
鳥養さんの専門は、ミュオン科学とスピン計測の先端研究です。聞きなれない言葉かもしれませんが、子どもの頃のコマや磁石で遊んだ時の身近ななぜ?が発展した研究テーマだそうです。現在、山梨大学工学部内にある研究室に、小型の原子加速器のある実験室をつくり、学生たちと日夜研究をしています。
また、鳥養さんは科学とか技術の魅力をどうやって中学生や高校生に伝えられるかということにも取り組み、平成17年に仲間を募って「女子高生夏の学校」を始めました。理系をめざす女子高校生と科学者が交流し、女性科学者の卵を育てるプロジェクトとして全国にもその活動が広がっています。
得意な文系か、趣味の絵画か、好きな理系か迷った高校時代
鳥養さんは小さいころから、鉄腕アトムや、湯川秀樹、朝永振一郎のノーベル賞受賞、アポロの月面着陸など科学技術が話題になるなか、理系に憧れをもっていました。
しかし得意なのは文系で、好きな美術に進もうかとも、高校での進路選択は、ぎりぎりまで迷ったそうです。高校2年で文理を選択するときは、文系コースに入ってしまうと理系への道が閉ざされてしまうと思い、理系のコースを選びます。高校時代に一番打ち込んでいたのは、テニスでした。
そして大学を選ぶとき、鳥養さんはとりあえず何にでも使えそうかなと物理を選び、物理をやるなら他大学だと紅一点になってしまうかもと、お茶の水女子大学の物理学科に進学します。そこで、恩師であり生涯にわたる助言者である伊藤厚子先生と出逢いました。伊藤厚子先生は女性科学者の草分けで、磁性の研究をしていました。また大学でもテニスにも打ち込み、体力だけは誰にも負けないという自信がつきました。女子大では力仕事でも何でも自分でやるので、男性の目を意識しないで、いろいろなことをやれたそうです。
宇宙開発に取り組んだ日々
大学時代、物理に進んだからには宇宙開発をという憧れを持ち続けた鳥養さんは、4年生の就職活動の時には進学などということは全く頭になく、宇宙開発をやりたいという一心で、当時宇宙開発のシステムメーカーとして伸びていた三菱電機にアタックし、希望通り就職します。
そして、日本初の実用衛星の開発チームに入りました。当時の鳥養さんの担当は衛星を取り巻く熱環境の制御、設計の仕事でした。女性の設計者は少なく、鳥養さんが行くところ行くところで女子トイレができる、といった時代だったそうです。
その数年後、鳥養さんたちが開発した実用衛星が、打ち上げ後に宇宙で消息を絶つという大事故がおきてしまいました。各新聞では早速この事故を大きく取り上げ、批判的な意見が渦巻く中、ねむの木学園の宮城まり子さんだけは「これは成長のためには必要な失敗でしょう」と言ってくれました。その言葉が、鳥養さんを科学の世界に釘付けにした一言かもしれません。
物理を学びなおすために大学院へ進学、そして大学で先端技術の開発に取り組む
1年半後、打上げの成功を見届けた鳥養さんは、30歳を目前に勉強しなおしたくなり、今しかないと思って会社を辞め、伊藤厚子先生のいる母校の大学院に進学しました。そして、物質のミクロな磁性の研究に取り組みながら、この先に何をやるかを一所懸命探し、素粒子のミュオンと出会います。その研究で博士号をとって母校で助手を2年務めた後、37歳のとき山梨大学工学部で初の女性の助教授となりました。
そしてそこで、ライフワークとなる新しい計測技術の開発に取り組みます。物質は違う測定手段で見ると、全く違う要素が見える、その一見矛盾する姿を解読して、本当のありかたを調べていくための技術なのだそうです。宇宙開発や加速器を使った大型実験の経験が、独自の発想を生んでいるようです.
学会での男女共同参画活動、そして母の介護
40代後半になった鳥養さんは、学会での活動を通して「男女共同参画」に関わることになります。それまでジェンダーをあまり意識したことがなかった鳥養さんですが、男女共同参画ワーキンググループで、研究者の男女別人数をグラフにすると、助教授、教授と地位が上がると、女性研究者がグラフで見えないくらい少なくなるということに疑問をもちました。
その頃、鳥養さんは母の介護をすることになりました。父、姉、家政婦さんや地域の方たちに助けられながら介護をした半年間を通して、育児や介護をする人への支援が必要だということ、その人たちが気持ちよくいられることが介護される側にとっても大切だ、ということを強く思ったそうです。
そしてこれらが、若い女性科学者・技術者、そのたまごたちを応援したい、という鳥養さんの現在の取り組みへとつながっていきました。
科学は、毎日わくわくする楽しい生活を広げてくれる
鳥養さんからは、これから進路を選択する女子中高生へ「21世紀のキーワードはダイバーシティ(多様性)です。科学を選べば、どのページを開いても毎日わくわくするような楽しい生活が待っています。ぜひ科学の世界に飛び込んできてください」というメッセージをいただきました。
そして「大学も真剣になって女子学生を育てる、社会で女性が働くときには、まだ、女性だからという壁や、育児や転勤などで困難に直面するかもしれません。そういうところを支援する体制をつくりたいな、というのが、今、研究のほかに一生懸命力を入れていることです。」と語ってくださいました。
(平成18年度インタビュー)