結婚、子育てをしながら物理の教員として教え続けて~教員の仕事はいつも新しい~田中若代さん

結婚、子育てをしながら物理の教員として教え続けて~教員の仕事はいつも新しい~田中若代さん
<プロフィール>
日本女子大学附属高等学校教諭。担当は物理。中高大学一貫の女子校で過ごし、学生時代の10年間、合唱にうちこみました。大学では物理を専攻し、大学院修士課程に進学。教員となり、高校生に物理を教えるほか、2002、2003年には、教員教育分野の専門家として、アフガニスタンの女子教育支援プログラムに関わり、カブールを訪れ、物理教育指導を行いました。(60代)
田中若代さんのこれまで
中学生の頃は漠然と、自分で働いて自分で稼ぐためにも教職も考えていた。
高校2年生の時、大学の進学で、実験のある理系の勉強は学校でないとできないと考え、理系進学を決める。
大学2年生で学科を選択する際、物理を選ぶ。
大学院へ進学。修士課程2年間、研究生として3年間を過ごす。
26歳の時に、結婚。研究を続ける。
1年後、高校の恩師から、母校の高校の物理の職を紹介され、研究職か教職かで悩むが、教職に就く。
翌年、長男出産。仕事と子育てを両立する女性教員の第1号として仕事を続ける。
2002、2003年、アフガニスタン女子教育支援プログラムにおいて、アフガニスタンの教員指導のため現地を訪れ、ワークショップ等を実施。
現在は教員を続けながら、アフガニスタン女子教育支援や、女子の理系進学支援にも携わっている。
結婚、子育てをしながら物理の教員として教え続けて~教員の仕事はいつも新しい~田中若代さん
高校の物理の教員として、海外でも教える

  皆さんの学校には、理科や物理の女性の先生はいますか?田中若代さんは、高校で物理を教える先生です。どうすればわかりやすく、興味をもってもらえるか、生徒自身が物理の楽しさを発見できるような授業を工夫しています。例えば、生徒自身に論理回路を自由に作らせ、実験し、その結果を一緒にディスカションします。そこでは、実験を通して得られる目の前の結果だけでなく、現れる現象の本質はどのようなことなのか、話はミクロのレベルから宇宙まで広がっていきます。「同じ授業をしていても一人ひとり生徒の反応が違っていて、教員の仕事はいつも新しい。教えている私の方が、ゾクゾクしてきちゃう」とおっしゃいます。
  田中さんの創意工夫に満ちた授業は、アフガニスタンでも人気だったとか。2002年と2003年の2回、田中さんはアフガニスタン女子教育支援プログラムの一環で、現地カブールを訪れ、高校や大学の先生向けに理科や物理の授業を行い、指導してきました。このプロジェクトは、お茶の水女子大学や日本女子大学など5つの女子大が、これまで日本が培ってきた女子教育を、戦禍から再生しようとしているアフガニスタンの女性たちに役立ててもらおうと始めたものです。田中さんは、アフガニスタンからの研修員も受け入れ、理科教育を通して国際交流を実践しています。

学生時代−自分の「感覚に合った」物理

  田中さんは、どのような学生生活を過ごしてきたのでしょうか?
  中・高・大学一貫の女子校に学んだ田中さんは、数学や理科が好きで、将来理系の分野に特定した勉強をするだろうから高校時代ぐらい文系をやっておこうと、高校時代はこれも好きな日本史や日本文学を熱心に学びました。またクラブ活動の合唱に夢中で、声楽家になって合唱指揮者になりたいとも考えていました。その中でいよいよ大学の学部をどうするかとなったときに、音楽は身体的にも厳しいという現実があり、理系を選びます。「歴史や文学は自分でも学べるけど、理系には実験があって、実験って絶対に学校に来ないとできない。学校に行くのだったら、学校でなければできないことをしたいと思った」そうです。さらに、「自分で働き、自分で稼ぐ。そのために、男性と同等の職業といったら教職しかない時代だった。教えるのなら、理科かなと思った」と言います。「自分で働いて生きていく」ことはこれまで田中さんが疑ったことのない一貫した大切な価値観で、意識の底には、それを実現する教職への思いがあったのです。
  附属の高校から、数学・物理・化学の学べる理系の学部に進学した大学2年の時、何を専攻しようとかと迷いました。現象だけでなく物事の本質を解き明かしていく数学も物理も好きでした。しかし、現実の世界と切り離された理論だけの数学の世界でやっていけるかとの不安もあり、実験を通して何か解決できる物理の世界なら「自分にもやれそう、自分の感覚に合っている」「就職での選択肢が広がる」と物理を選びました。大学を卒業後、さらに物理を学びたいと、関心のあるテーマで指導してくれる教授のいる他大学の大学院へ進学。大学院時代は男性と一緒に、重たい旋盤回しや深夜に及ぶ実験を何日も続けたそうです。研究職も目指しての研究生活でした。

やりたいことの原点−母校で教職に就く

  修士課程、そしてその後3年間研究生として研究を続けました。研究生の2年目、同じ研究室に企業から研修に来ていた現在のパートナーと結婚。その後もそれまで同様、研究中心の生活が続きました。そこへ、高校の恩師から母校の物理の教員にならないかとの声がかかったのです。研究職か教職か、どちらを選ぶかの厳しい選択を迫られました。そこで、田中さんは自分の研究者としての「能力」を自分に問いました。その「能力」とは、実験の結果をどのように見て類推していくか、その思考の展開に独創性があるか、「能力」は男女差ではなく、個人の差。その「能力」が自分にはあるだろうか…。一方で、正直なところ、男性と同じに、それ以上に研究を続ける今の生活で定年まで働けるか、「家庭や子どもを持ってやっていけるか」悩み続けました。
  そうこうしているうちに、恩師が、夫が就職に反対していると誤解して直接話をして、夫の承諾で「就職」が決まってしまったのです。最初は驚いたものの、「もともと原点に返れば私が理系に行ったのは教職に就きたかったからだった。まあいいか、こんなものか」とすっきりし、夫の一言で、背中を押してもらったと思ったそうです。

キャリアを積むこととは、仕事を長く持続すること

  母校に就職したものの、それまで職場の女性教員は独身か、結婚か出産で辞めてしまうかで、田中さんが子育てをしながら仕事を続ける女性教員の第一号でした。就職して1年後、子どもが生まれ、田中さんは後へ続く人のためにも、色々我慢しないで普通に仕事と子育てをできる生活をできるようにしたいと考え、実践してきました。
  そして今、田中さんは「女子高校生夏の学校」のような、理系の女性を育てる活動にも参加しています。「私などの時代と違って、今、すごく女性の理系を育てようという機運が高まっている、それはすごく大事なチャンスだと思って欲しいのね。どこに行っても厳しい。でも、そこをあえて厳しいものを選択して、必ず開けるものがあると思います。自分自身が少しでも理系に関心があったら、理系っていいかもしれなと思ったら、躊躇しないで進んで欲しいと思います。私たち大人は、それを支援していく、うまく軌道に乗るように応援します。とにかくあまり心配しないでその分野に積極的に進んで欲しいと思います。」
  そして、「キャリアを積むこととは、仕事を長く持続すること、プロであること」だと今、考えていらっしゃるそうです。仕事のプロとして大切なことは、自分自身の分野に責任を持って長く続ける視野を持ち続けること。目先の結果だけを求めず、あせらず時間をかけることが大切だと話されます。そして、そのうちに田中さんの「アフガニスタン派遣」のように、違う分野から新たな仕事が来ることもあります。
  「将来、どんな仕事がやってくるかわからない。だから、若い時こそ語学を学んでほしい。使える語学はキャリアと完全に並行する。使える英語。国際語としての英語というのをトレーニングしていって欲しい」と、最後に田中さんは力を込めて話されました。

(平成18年度インタビュー)

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