生物の教員を目指して
「生物の教員になりたい」と思ったのは高校生のときでした。所属していた美術部の顧問が生物の先生で、愉快で熱意あふれる個性に強くひかれたそうです。笹川さん自身、生物に興味があり、加えて「学校という空間が大好き」で「自分の感じたことを人に伝えることが好き」だったことから生物の教員を目指すようになりました。
大学を決めるにあたり調べてみたところ、生物学科のある国公立大学はいずれも遠く、自宅(佐賀県)からは通えないことがわかりました。そして「どうせ家から離れるのならば遠くへ」と選んだのが茨城大学理学部生物学科でした。
茨城大学の理学部は男性7女性3の割合、生物学科は男女が半々の割合でした。大学在学中は、研究職もいいな、アセスメント系の会社に就職するのもいいな、と選択肢は広がったそうです。けれども元来「人と接することが好き」な性格から、当初の目的どおり高校の生物教員へと進路を定めました。ところが1回目の教員採用試験に失敗。このとき、「自分に子どもたちを引きつけるような魅力があるだろうか」「伝えられるような経験があるだろうか」と考えたそうです。そして「今しかない」と選んだのが、青年海外協力隊でした。
青年海外協力隊でケニアへ
青年海外協力隊では理数科教員として派遣されることになりました。国はフィリピンとケニアのどちらかの選択。ここでも「どうせ行くのなら遠くへ。なかなか行けないところへ」とケニアを選びました。約3ヶ月の研修を経て赴任。現地では中学3年生から高校3年生に化学と生物を教えました。言葉や知識よりも「伝えようとする気持ちがないと伝わらない」ということを実感したそうです。2年半の派遣を経て帰国したのが26歳のとき。運悪く教員採用試験が終わってまもなくでした。
このとき、教員という仕事にとらわれず「人と接する仕事」をと考えたそうです。青年海外協力隊の研修で老人ホームでの介護研修があり、そのときに「教員とは違うけれど、人と接することによってこそ自分も成長する」と実感していたため、教員採用試験の準備をしながらアルバイトという形で老人ホームに就職しました。3年が一区切りのアルバイトだったため、3年をメドに頑張ろうと思いました。
ところが、1年半で結婚し、その後出産。老人ホームでのアルバイトをやめることになります。
大妻嵐山中学校・高等学校の教員に
結婚と出産、子育てのために約3年間、教員目指しての試験勉強をしながら専業主婦をしていました。そして子どもが3歳と2歳になったときに産休代用教員に登録していたことがきっかけで大妻嵐山中学校・高等学校からフルタイムの教員の話をもらいます。働くことは決めていたものの、子どもがまだ小さかったため当初は非常勤の仕事を希望していた笹川さんですが、仕事をしたいという気持ちは強く、夫の「二人でできる限りの努力をしよう、できないことはできないと周りにきちんと言って理解を求めていく努力をしていけばどうにでもなるよ」という言葉で踏ん切りがつき、就職の決心をしました。
仕事と子育て、そして夜間大学に通学
笹川さんも夫も実家が遠いため祖父母の手は借りられず、子どもの急な発熱やおたふくかぜなどで一週間近く保育園を休まなければならないときは、夫婦で交代に仕事を休んで協力しあいました。
幼い二人の子の子育てと仕事の両立に忙しい毎日でしたが、さらに新宿にある大学の夜間部に2年間通うことになりました。中学校の理科の教員免許を取得するためです。高校の教員を志望していた笹川さんが取得していたのは高校の教員免許でしたが、大妻嵐山中学校・高等学校が中高一貫校であることから、中学校の免許の必要性を強く感じ、取得することになりました。
大学は、1年目は週2回の通学と夏休みに集中講座を受講、2年目は前期のみ週1回と夏休みに通学しました。大学の授業は夜の7時から9時すぎまであり、帰宅は12時近くになりました。大変な日々でしたが、夫の応援が心強く、乗り切ることができました。
そしてこの経験は、再度生徒の立場になることで教員として非常にプラスになり、また社会人になって初めて学ぶ楽しさがわかった気がしたといいます。
校長先生に励まされて
就職一年目、仕事と子育ての両立が思いのほか大変だったころ、校長先生に「何か悩みはありませんか」と声をかけていただきました。「自分は他の先生方と同じように働きたいけれど、子育てがあるのでどうしても同じようにはできない。先生方に申し訳ないと思うと同時に、自分も悔しい」と思わず本音を言ったところ、「自分も同じ経験をしているのでよくわかります」と言われたそうです。自分は休みたくて休んでいるのではなく、休まざるを得ない事情で休んでいるという状況を理解してもらっているというだけで救われたそうです。校長先生の存在にも支えられて大変なときを乗り越えることができました。
また校長先生からは、「あなたが仕事と家庭を両立していけば、後からくる人たちが安心して仕事ができる」と言われ、自分の存在意義は後からくる人へのモデルとしてもあるのかなと感じました。
「世の中は広い」ということを知ってほしい
笹川さんは中学生・高校生の皆さんに「世の中は広い」ということを知ってほしいと言っています。「今自分がいる世界がすべてではありません。「世の中は広い」ということを知っていれば、友人関係や職業選択などで悩むことがあってもいろいろな道を見つけられるはずです」。青年海外協力隊などの経験を踏んだ笹川さんならではのメッセージです。
(平成18年度インタビュー)