「多文化共生センター・きょうと」の活動
「多文化共生センター・きょうと」は、全国に5つある「多文化共生センター」のひとつです。多文化共生センターは、阪神淡路大震災の際に生まれた外国人支援のNPO団体で、外国人に対する情報提供や生活相談から出発して今日にいたっています。
多文化共生センター・きょうと(以下“きょうと”と略)の活動は、大きく分けると2つあります。(1)日本で生活する外国人への支援活動と、(2)多文化共生に関する研修、調査、研究および広報です。
外国人への支援活動では、(1)多言語による生活相談事業、(2)外国人を対象にした医療保健事業(医療通訳モデル事業、医療通訳研修ビデオの製作)、(3)外国人の子どもへの支援事業などをおこなっています。現在は特に(2)の比重が大きく、医療通訳事業には、今後さらに力を入れていきたいといいます。
調査研究活動としては、(1)セミナー、ワークショップの開催(「医療通訳・受診サポーター研修会」)、(2)講師派遣などをおこなっています。
国際交流を求めて
鈴木さんは、高校まで愛知県の碧南市で育ちました。教員である両親からの影響で、小さいころから国際関係や社会問題に関心があり、高校時代には自分から、1ヶ月ほどアメリカへ語学研修に行きました。ホストファミリーの父親が戦争に出かける様子などを見て、頭で理解していた世界情勢を肌で実感することができたといいます。
その後、大学ではアジア文化を専攻。大学院でも国際協力コースを選び、国際的な事柄についての興味を深めていきました。
大学院卒業後は、草の根レベルでの国際交流や国際協力活動ができることを期待して、(財)京都市国際交流協会(以下交流協会と略)に就職。
ここで、ニュースレターの作成に携わることになり、仕事上さまざまな人と会う機会を持つようになりました。そして、原稿を依頼するという形で、多文化共生センターの創設者である田村太郎さんと知り合いました。
多文化共生センター・きょうとを立ち上げる
多文化共生センターには、田村さんに出会う前から興味を持っていました。運動体的な雰囲気があまりなく、事業体としてしっかりしているところに、魅力を感じていたといいます。
1998年、田村さんから「多文化共生センター・きょうとの立ち上げに参加しないか」との誘いを受け、交流協会の仕事を続けながら、立ち上げに参加。事務局長を務めました。
とはいえ、当初、“きょうと”での活動は全てボランティアでした。その後、28歳になったとき(2000年)に、有給スタッフとして勤務できることになり、交流協会を退職。NPO活動の方に足場を移しました。
転職の決め手となったのは、仕事の性質でした。交流協会も多文化共生センターも、理念は同じです。ただ、多文化共生センターでは、自分のやりたいことをやりたい方法で実行でき、責任も自分で負うというところに違いがあります。鈴木さんは、自分のやりたい方法で仕事ができる方を選びました。
勤務は週4回。しかし、この給料だけでは生活できないため、週2回、医療事務の仕事をして補いました。
NPOで働くことのメリット、デメリット
NPOの有給事務局長に転職した当時は、一人暮らしで、結婚もしていませんでした。そのせいか、とくに周囲で反対する人もいなかったといいます。
その後、2002年に結婚。2003年に出産し、事務局長は退いて、2006年春まで理事として活動しました。
転職したときの一番の問題は、お金のことでした。NPOだけでは生活できないので、医療事務の仕事もしましたが、収入は両方合わせても、交流協会時代の約半分。当時結婚して子どもがいたら、転職の決心はできなかったかもしれない、と鈴木さんはいいます。
しかし、収入が少なくても、自分のやりたいことができるというのは、鈴木さんにとって大きな魅力です。また、交流協会時代の経験も、組織運営において活きているといいます。NPOを通じてさまざまな人と出会い、経験を重ねたことで、自分がどんな仕事に向いているかが分かってきたことも、1つの収穫でした。
最近の動向として、一般企業に就職するのが嫌で、NGOやNPOを就職先に希望する人が増えましたが、NPOは「就職」よりも「起業」だと思った方がよい、と鈴木さんはいいます。「雇われる」という発想ではなく、自分がNPOで何をやりたいかを明確にしておくことが必要だということです。
今後に向けて
どのような形でかはまだ決めていませんが、今後もNPO活動には関わっていく予定です。NPOの中では珍しい、「パートタイム専門職」を、新しい働き方のモデルとして試してみようかとも考えています。“きょうと”の事務局長は、すでに後任にバトンタッチしてありますし、子どもが小さい間フルタイムで働くことは、精神的、体力的に厳しいと思うからです。
もう少し長期的な展望としては、人材育成に関わるという目標に向けて、勉強と実践を重ねること。社会問題に取り組む人びとのキャリア支援をしていきたいといいます。
インタビューの中で、鈴木さんは、自分やNPOの位置を客観的に冷静に分析し、さまざまな問題点や課題をわかりやすく整理して提示してくれました。これから日本において、NPOは成熟期を迎えるはずですが、そのときにこそ鈴木さんのような人材が必要とされるに違いありません。今後の活躍が期待されます。
(平成16年度インタビュー、平成18年度修正)