仲間とともに「一歩踏み出す」活動を続けて~配食サービスが地域を変える~小田信子さん

仲間とともに「一歩踏み出す」活動を続けて~配食サービスが地域を変える~小田信子さん
<プロフィール>
「やつしろ配食サービスワーカーズパセリ」代表。高校卒業後、京都にある大手電機メーカーの子会社に就職。結婚後、夫の転勤にともない熊本県へ。生協活動をきっかけに地域問題に取り組み、1年間、市議会議員として活躍。1999年、生協の仲間などと共に、地域での配食サービスを開始。2000年にNPO法人化しました。(50代)
小田信子さんのこれまでと
生涯学習との関わり
高校卒業後、大手家電メーカーの子会社に就職。事務職を務める。
6年間働いた後、結婚。夫の転勤と出産を控え、退職。熊本県鏡町に転居。
主婦をしながら、さまざまなパートで働く。再就職に備えて、保母の資格を取得。
30代半ばで、生協活動に参加。その後約10年間、食・環境・平和の問題に取り組み、事務局も務める。
40代に入り、正社員の仕事を得る手がかりとして、ヘルパーの資格を取得。1年足らずヘルパーとして働く。
生協活動の中で、自分たちの声が政治に届かないことを実感。女性議員を送り出すために、1994年頃、「八代女性市民の会」を結成。
1997年、県の福祉会館で「リーダー研修」を受けて自ら立候補を決意。翌年、1年間、市議会議員を務める。
1999年、再度立候補したが落選。仲間と配食サービス立ち上げに取り掛かり、「パセリ」を結成。
2000年、NPO法人化。
仲間とともに「一歩踏み出す」活動を続けて~配食サービスが地域を変える~小田信子さん
配食サービスを行うNPO法人

小田さんが現在代表を務める「やつしろ配食サービスワーカーズパセリ」(通称パセリ)は、配食サービスを行うNPO法人です。熊本県八代市および八代市近郊で、食事作りに困っている高齢者・障害者のいる世帯を中心に、生活支援としての配食サービスに関する事業をおこなっています。
具体的には、日曜日を除く平日および祝日の昼食と夕食を調理し、弁当箱につめて会員宅に届けています。利用者は、高齢、障害、介護中、病気、出産前後、男性の単身者、などの世帯で、現在は1日あたり約220食を配っています。値段は一食530円から750円。食材は安全性を考えながら旬の食材を活かし、無添加の生協商品、産直品、減農薬米を使用。廃食油は、循環型リサイクルに回しています。
また、高齢者世帯への配食時には、安否確認と世間話などの交流もおこなっています。

色々な職業経験

別府市で育った小田さんは、高校を卒業後、京都にある大手家電メーカーの子会社に就職し、事務職として6年半勤めました。この職場で夫と知り合い、22歳のときに結婚。夫の転勤が決まり、子どもが生まれる予定だったので、仕事をやめて、現在住む八代市の隣の鏡町へ移ってきました。
その後は、主婦をしながら、国勢調査の調査員、産婦人科で使うオムツなどの営業活動・在庫調べなどの仕事、スーパーの販売など、パートやアルバイトとして仕事を続けました。25歳のとき、将来働こうと思い、保母の資格を取得。
30代半ば頃、生協活動にも参加するようになり、それから10年弱は生協活動が中心になっていきました。
40代前半で生協の事務局をやめ、カレー屋でウェイトレスのパートをするようになりました。その時期に、これからは福祉だと感じてヘルパーの資格を取得。1年に満たなかったものの、ヘルパーの仕事もしました。正社員の仕事も探していましたが、見つかった就職口は場所が遠く、当時は車の運転もできなかったのであきらめたといいます。

女性議員の応援活動を経て自ら市議会議員へ

生協活動で、食・環境・平和などの問題に取り組んでいた小田さんは、当時、学校の給食問題として、給食センターで合成洗剤を使わないよう運動を始めました。しかし、行政の窓口に行っても、議員にかけあっても、全く理解が得られません。これではいけないということで、自分たちの中から議員を送り出そうと考え、小田さんの呼びかけで、1994年前後に「八代女性市民の会」を設立しました。
その後、小田さん自身が市議会議員として立候補し、当選。50歳の年に、1年間活動しました。立候補のきっかけは、1997年に熊本県福祉会館(現在のくまもと県民交流館パレア)で受けたリーダー研修の影響だといいます。当初は、仲間の会員の出馬を応援する予定でしたが、この研修に参加し、過去に活動してきた女性たちの姿を見聞きして、自分が行動することが必要だと感じ、立候補を決意しました。
配食サービスに関心をもったのも、この議員時代。女性市民の会の仲間との会話や意見交換がきっかけでした。選挙のときには、仲間で実際に20人分くらいのお弁当を作ってみて、お互いに「これくらいならできるよね」と確認。配食サービス実現への手ごたえを感じていました。

パセリの誕生

2度目の立候補で落選した小田さんは、1999年頃から、生協や、女性市民の会の仲間たち有志6人で、配食サービスを立ち上げようと準備を始めました。保健所に話を聞きにいって条件を確認。生協が発行している新聞で呼びかけ、調理場を貸してくれる人を探しました。結局、ある組合員が、イ草を加工するために使っていた倉庫を貸してくれることになりました。これを、大家さんの資金協力を得て、調理場に改装。現在は大家さんもパセリのワーカー(職員)です。

事業の広がり

2000年3月から、配食サービスをスタート。最初の1年目は、平均で1日75食の配達でした。その後、口コミなどで徐々に利用者は広がっていきました。生協で募集したり、女性市民の会の会報に載せてもらったりしたこともありました。大きかったのは、2004年の夏、町内会の回覧板にパセリの紹介資料を挟んでもらったこと。利用者は大幅に伸び、現在は1日あたり220食程度配食しています。
当初は時給200円程度だったというワーカーへの報酬も、300円、350円と伸びて行き、現在は670円。事業として徐々に軌道に乗りつつあります。
とはいえ、借金はしないと決めた以上、ワーカーの出資できる範囲の資金でやりくりしなければならないもどかしさ、ワーカーどうしのコンセンサスづくりの苦労など、問題も絶えません。
将来的には、年末年始も含め、365日毎日の配食にしたいといいます。また、2005年4月から市の配食事業の受託が決定。そのためには事業所・調理場を増築しなければならず思案していましたが、増築費用の一部は生協の助成金でまかなうことができました。

「一歩踏み出す」仲間の大切さ

京都での事務職時代に「仕事は早く正しく美しく」を叩き込まれた小田さん。現在も、限られた時間内にてきぱきと仕事をするスタイルは変わりません。
活動を続けるコツは、仲間作り。お互いに智恵を出し合うためです。次の事業展開を見据えて新しいことにチャレンジしていく知恵と行動力のある人、いわば「一歩踏み出す仲間」が必要だ、といいます。
小田さんは仲間とのきずなを大切にしながらも、必要なときに必要な意見をお互いに出し合い、活動を育んできました。彼女たちの粘り強い地道な活動は、地域のあり方を確実に変えています。問題にぶつかりながらも何度もそれを乗り越えてきた小田さんたちの経験は、現在そしてこれからNPO活動を展開する人たちに、多くの示唆と刺激を与えてくれるでしょう。

(平成16年度インタビュー、平成18年度修正)

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