海底の様子を探りながら
私たちが住むこの地球は、どのような過去を経て、今ある姿になったのでしょう?
海の底の様子を様々な観測機器を使って探りながら、海底の成り立ちを調べて研究し、地球の歴史を解明しようというプロジェクトに木戸さんは関わっています。大きな船に乗って海に出て、海底付近や海底下数百メートルまで掘りながら、データを取り、研究所に持ち帰ってデータを分析しています。
またこのプロジェクトの根底には、日本周辺にある地震の巣とは、どういう状態か、どのようにして岩石内に亀裂が入っているか、どのように物質が変わっていくのか、ということを探る目的があります。そのために、過去に起きた大地震の化石を探し、過去からの手紙を解読したり、自然相手に大実験を行ったり、地道にデータを蓄積することによって、地球の今の状況を探り、より精確な地震現象の理解につなげていきたい、と考えているのです。
自分の身近に地学を感じる
木戸さんは中学2年生の時、天文研究会の部長になり、活動をしていくうちに将来もこういうことを続けていけたらいいなと思い始めました。また中学・高校の理科の先生が野外調査に連れて行ってくれたり、中学の修学旅行で、富士火山周辺の自然環境と保護活動といったテーマに取り組むといった環境があったことから、理系に進路を決めました。
その中で地学を選んだのは、高校三年生の時、地学の先生の授業が面白かったことが大きな要因でした。「地下鉄の階段を下りて行く途中で、急に水が出ている所がありますが、そこがちょうど地下水の地下水頭なのですよ」、「学校までの道筋にある高級マンションの庭石は、非常に珍しいアフリカの変成岩です」などなど、身の回りに目を向けると地学の教材がいくらでも転がっているという話がとても斬新で印象深く、この分野の勉強をしたくなりました。親は、この分野は、特に小さい頃から化石については誰にも負けない、といったマニアの男の子が来るので、好きなのはわかるが、女の子が実際に入ると大変苦労する、と心配しましたが、ちょうど教育実習で地学を担当してくれた女性の先輩が、貝化石の専門家だったこともあり、最後には木戸さんが選んだ進路にしぶしぶ賛成してくれました。そして自宅から無理なく通える範囲の千葉大学理学部に進学しました。
プロジェクトの面白さに触れて
大学では、具体的なテーマをなかなか見つけることができず、1、2年の間は一通りどの講座にも顔をだしてみましたが、大きな対象を何人もの人が一緒になって調査をしに行く、一緒にフィールドに入って長期間観測する、といったプロジェクト指向のものに魅力を感じるようになりました。船に乗るという普通ではできない体験もでき、目では見通せない海の底を、船上から間接的に測定できたら、とても面白いのではないかと考えて、地球物理学の講座へ進むことに決めます。
乗船研究に加えてもらえるようになりましたが、同じ講座は、男性ばかりで、昔から機械いじりが好きであったとか、機械工学、電気電子の専門に近いような人ばかりの中で自分はハードウェアに弱く、挫折を感じました。しかし先生に相談をすると、ハードウェアもあるけれどソフトウェアもある、取って来たデータを解析するということは非常に重要なこと、というアドバイスを得て、コンピュータの勉強を始めます。この後、乗船してデータを取り、取って来たデータを陸上で解析する、という研究の流れを体験しました。
生徒の質問に答えられない—もう一度自分の学問を問う
中学・高校の先生にこの世界の魅力を教えてもらったこともあり、職業として教員になることも考えていました。教育実習で母校に行き、現地調査や海洋観測の話などに中学生の反応がとても良かったため、もう少し研究をしたい気持ちもあり迷いましたが、教員として就職することにしました。
3年間教職を続けましたが、素朴な疑問を生徒から投げられた時に、4年間の大学で得た知識では、回答できない問題が沢山あることに気付きます。そして教員をするにしても、基礎を積み重ねて、もう少し専門を極めなければ駄目だという思いから、大学院に行き直すことにしました。
国際プロジェクトのなかで
大学院では、日本海や中国の南シナ海などの海域を、米国、ロシア、韓国、中国などの国と一緒に調査して研究する国際プロジェクトに参加しました。これらの国々と国際協力するためには、当時はCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)の問題があり、性能の良い機械を国外に持ち出す場合は、外務省に申請するといったサイドワーク的な準備がかなりありましたが、それも含めて本当に楽しい、極めて貴重な体験をした大学院時代でした。
さらに研究を続けたくなり博士課程に進みました。いくつもの国際プロジェクトへの参加を通して、いろいろな国の研究者と交流することができ、相互に協力し合い、様々な条件下で観測してプロジェクトを行い、その成果を一緒にまとめて公表する、といったマネージメントの仕事とその面白さを覚えていきました。プロジェクトでは、女性は1割程度と少なかったのですが、各国の女性たちが活躍しており、将来目標としたい憧れの女性研究者も現れました。
その後、博士課程まで行くと就職は厳しいと言われた通りで、もう一度教員に戻るか悩みましたが、中途半端な思いがして、研究を続けました。日本学術振興会特別研究員として研究費を得ることができ、国際プロジェクトの乗船研究調査にも参加し、3年間を過ごしました。そして1997年4月に海洋科学技術センター(現、独立行政法人 海洋研究開発機構)に立ち上がった5年間のプロジェクトに採用されることになりました。5年後にプロジェクトは発展的に広がり、さらに研究を続けています。
育児をしながら
その途中、ちょうど就職の時に出産の時期が重なりました。やはりこれはもう辞めなければ駄目かと思いましたが、女性の先輩から、「ここで一度辞めてしまうとなかなか研究職というのは復活が難しい。少しずつでも、とにかく続けて行くこと」というアドバイスをもらい、また長年見て来てくださった先生が「子どもを育てるというのは、一時期的なこと、何とか協力しながらやって続けなさいよ」と言ってくれたのです。それらの言葉を支えに、パートナーとの分担や親に助けられながら、研究を続けています。海上での研究も、昔のように長期間乗船する、という選択だけではなく、ヘリコプターや小型船舶などを使って、短期間の乗船も可能になったことが、追い風となりました。
「船の上」にはたくさんの仕事がある
海洋調査の国際プロジェクトは、いろいろな角度からアプローチできるので、沢山のプロジェクトに関わって自分の居場所を見つけて行って欲しい、と木戸さんは言います。生物が好きであれば、海底の微生物を研究する人、分析が得意であれば、船上に上がってくるコア(採取したサンプル)を分析する人、船が好きであれば船員として参加できます。そして船上の面白さは、国際的なコミュニケーションの場である、ということです。様々な国の研究者や船上で働く技術者と情報交換をしながら、海洋調査という目的に共に取り組んでいけるのです。一つのプロジェクトには国籍豊かな沢山の職業がぶら下がり、お互いに連携し、協力することで、始めてプロジェクトの成功が見えてきます。視野を広く持ち、自分の将来像と重ね合わせて見ると、「洋上の職場」に無限の可能性が広がりませんか。
(平成18年度インタビュー)