今の仕事
安岡さんは現在NPO法人「サポートハウス年輪」の理事長として活躍しています。この団体は高齢者の生活を支援する団体で、ヘルパーの派遣、デイサービス、グループホームなどの活動を行っており、365日24時間体制が特徴です。安岡さんはこの団体の創設メンバーの中心人物です。2003年1月までは市議会議員の経験もしましたが、どれも高齢者の福祉を増進するという目的は共通しています。
つながりを求めて
安岡さんは島根県で生まれ、広島県尾道市で育ちました。両親とも面倒見の良い人で、祖父母も同居、他人がいつも出入りするような家庭でした。京都の大学を卒業後、尾道市へ戻り非常勤教員などをしていましたが、結婚して東京に転居。塾や予備校の講師をしましたが、子育てを機にしばらく仕事は辞め、再開の日を待つことにしました。
東京の町に引っ越してきたばかりの安岡さんは、友達もなく、外の社会と何のつながりも感じられずにいました。が、たまたま同じような状況にある人の投書を読み、その人に手紙を書いたところ、公民館の講座に誘われました。講座の初日は大雨。当時2歳の子どもも嫌がるのでやめようかと迷いましたが、思い切って出かけました。女性の自立や老後の問題、女性教育の問題などについて、講師の講義とディスカッションを行う1年間の講座でした。
この講座を受けっぱなしではもったいない、物足りないということで受講生の一部15人ほどで「バウムクーヘン」という名前の自主グループをつくり、学習を続けました。学習会はだいたい月に2回のペースで、15年間続きました。このときの仲間が現在の「年輪」の基礎となっています。この仲間こそ、長い学習グループ時代から得た最大の贈り物でした。
学習グループ
安岡さんは、子どもが生まれる頃から8年くらい専業主婦をしてきました。その間、いつか仕事を再開しようと、文章を書いて投稿したり、近所の人に洋裁を教えたり、通信教育でアートフラワーを勉強したり、できる範囲で自分の能力の向上を心がけてきました。東京への転居をきっかけに、もう少し社会に出て活動してみよう。そんな安岡さんが最初に参加したのが、先の公民館活動でした。
1979年、32才のときに学習グループ「バウムクーヘン」を結成。メンバーは30代から50代までさまざまで、既に何らかの活動に参加している人もいました。そして多くのメンバーが、ただの主婦でいてもいいのだろうかと疑問をもち、活動を続けながら自分の生き方を変えていきました。
家の中にだけいた生活を変えて活動を続けるには、家族の協力も必要でした。そこで、自分だけが活動に参加するのではなく、子どもや夫を交えて遊ぶ機会もつくりました。家族ぐるみの交流も、グループが長続きできた要因の1つだろうと安岡さんはいいます。
学習グループの最後の5年間くらいは、集中して福祉の問題に取り組みました。メンバーが年をとって、老後の問題への関心が強まったからです。講師の話を聞く、講演会を開く、市へ要望を出すといったことをしましたが、会にとって重要だったのは、1993年に行った高齢者の実態調査です。この調査で高齢者福祉がきわめて不十分である実態がわかり、メンバーの間で、福祉は学習だけではどうにもならない、実際に活動しなければという気運が高まっていきました。
「サポートハウス年輪」の誕生
その間、安岡さんは、1985年から特別老人養護施設のデイセンターで働き始めました。専業主婦から抜け出ようと、出版社で非常勤のパートとして働いていた安岡さんに、老人ホームでボランティアをしていた「バウムクーヘン」の仲間が声をかけたのです。出版社の仕事も楽しいけれど、老人福祉の現場を知りたい。そう思って、安岡さんはデイセンターの仕事を始めました。
デイセンターの仕事は1992年まで続けましたが、これからは施設で高齢者の面倒をみるより、在宅で世話をする必要があると感じ、退職。続いて在宅の高齢者を対象としたサービスを提供する仕事を始めました。自主グループの関心が福祉に向くのと同時に、安岡さんの仕事も変わっていきました。
1994年の3月、「サポートハウス年輪」が誕生。活動資金は、メンバー12人が1人10万円ずつ出資。中には20万円出した人もいました。学習グループ時代から、調査などでお金が必要なときは、メンバーの1人が用立てたり、どこかの助成金を集めてきたりして何とかやってきました。自分たちでいかにお金を工面するかは、仲間たちの意気込みと腕の見せどころでもありました。
組織を運営するための知識は、他の団体に行って学びました。今では安岡さんたちが、教える側になっているそうです。「年輪」の創設メンバーたちはホームヘルパーではなかったので、ヘルパーは募集しました。設立10日目に地域紙に募集記事を出したら、ホームヘルパーがたくさん集まり、利用者も急激に増えました。24時間365日体制が珍しかったため、テレビや全国紙にも取り上げられ、活動は定着していきました。
「年輪」設立から1年後、安岡さんは市議会議員となり、その後8年間にわたって政治の場で福祉を変えるために努力してきました。公民館で出会った女性議員の地道な活動や、北欧で福祉の状況を見てきたことなどを通じて、政治の重要性を感じたからです。
公民館での学習は税金を使っているのだから、いつかはその成果を社会に還元しなければいけない。そう安岡さんは思っていました。ただ勉強しただけでは世の中は変わらない。それをもとに自分を変えて、生活・生き方を変えて、さらに町を変える、というように広げていければいい。安岡さんの活動は、年輪のように静かに、しかし確実に、変化を刻みつつあるのでしょう。
(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)