さまざまな場で保育サポート事業を展開
宮城さんは、保育サポーター「ゆいkids」の代表です。「ゆいkids」は、「ゆとりある保育をめざし、地域での保育支援活動を行う」ことを第1の目的として、2003年4 月に発足しました。2006年2月現在、登録会員は正会員41名、休会会員1名、賛助会員33名、学生会員20名で、20代から50代と幅広く、日常的に保育活動しているのは39名程です。保育士の他、幼稚園教諭免許、看護師、
チャイルドマインダー資格など有資格者もいます。
活動の中心は、沖縄県女性総合センター「てぃるる」の託児室である「こどものへや」で、毎週木曜日におこなっている無料保育です。 広報誌やチラシなどで情報を伝え、予約に応じて会員の保育サポーターが待機して託児をします。場所は無料提供してもらっており、保育サポーターも無償で活動しています。
この他、公民館などが事業をする際の保育サポートや、個人や企業からの依頼にも応えています。依頼はすべて携帯電話で受け付け、宮城さんが依頼者と保育サポーターをつなぐコーディネート役をします。
宮城さんはかなりの時間をこの仕事に割いていますが、年収に換算すると40万円程度で、経費を計算すれば、純収入はもっと少なくなります。「ゆいkids」の活動と同時進行で和装着装士の資格を取得し、自宅での「きもの教室」開業をめざしていましたが、「ゆいkids」の活動量が徐々に増えていき、子育て支援の多忙なニーズを感じた宮城さんは「ゆいkids」の活動に専念することを選択しました。
「子どもに関わる仕事」にこだわり続ける
両親は宮城さんが幼い時に離婚しました。2人の兄は親戚のもとに預けられ、宮城さんは最初父親のもとで、後に母に引き取られて育ちました。当時は家族の事情を誰も説明してくれなかったため、家族の周囲で起こるさまざまな揉め事について「わけがわからないまま」でした。
周囲からはしっかり者と見られ、読書好きで国語の成績が良かった宮城さんは、やがて将来は国語の教員になるものと期待され、それにひきずられる形で県内の大学の国文科に進学しました。
大きな内面的変化が起こったのは、大学2年生の時でした。教職課程の必修科目で児童心理学を学んだ宮城さんは、「自分が何かわからないまま引きずっていたもの」の中身をはっきりと理解し、国語の教員ではなく、もっと直接に子どもに関わる仕事に就きたい、自分と同じような経験をしている子どもがいたら支えたいと強く思うようになりました。
すぐに方向転換して保育を学びたいと希望しましたが、周囲から強く反対され、ひとまず国文科を卒業。卒業後に保育園で勤務しながら、3年がかりで通信教育の教材で独学し、国家試験に合格して保育士の資格を取得しました。そしてその後も同じ保育園で4年間、仕事を続けました。
仕事を辞めたのは、出産と子育てがきっかけでした。それまで別々に暮らしていた夫と同居するため、夫の勤務地である那覇市に転居。当初は子育てが終わったら仕事に戻るつもりでしたが、3人の子どもを育てるために長い時間が経ちました。その間、自治会や小中学校のPTA などの地域活動にも積極的に関わり、パートタイムでホテルのパン屋さんに3年間勤めました。しかし、パートの仕事で満足感を得ることはできませんでした。
保育サポーター「ゆいkids」
保育園の仕事から離れたものの、「子どもに関わる仕事をしたい」という意思を捨てきれずにいた宮城さんは、2002年、新聞紙上で「てぃるる」で開催される一時保育者養成講座((財)おきなわ女性財団主催)の受講生募集の記事を目にして、すぐに応募しました。それ以前にも興味をひいた生涯学習の講座には参加しており、「てぃるる」で開かれた講座に参加したこともありました。
講座は4回で、参加者は30名ほどいました。そのなかから、学ぶだけでなく、さらに保育の場で実践したいと考える受講生の有志が集まり、サークル結成の準備を始めました。講座の企画担当者のアドバイスを受けながら、学習会などの会合を重ね、活動方針や内容、会則を固め、ついに受講修了の半年後に「ゆいkids」が発足しました。宮城さんはその立ち上げにあたって、中心的に活動しました。
「ゆいkids」の事業は、現在のところ那覇市内を中心に展開していますが、市外にもニーズはあります。県の女性施設の講座をきっかけに誕生したので、市内だけでなく、沖縄県全域に支部をつくっていきたいという構想もあります。また将来は、障碍のある子どもたちの保育も視野に入れています。そこで、保育内容を充実させ、保育者としての力をつけるために研修もおこなっています。
そんな「ゆいkids」が直面する課題は、運営資金です。特に難しいのが、日常的な運営資金の調達。現在宮城さんが担っている事務局としての仕事やコーディネート業務は会員に保育サポート料の10%を還元してもらいコーディネート料に充てていますが、業務量に見合わないわずかな金額です。このままでは負担が大き過ぎ、コーディネーターとしての仕事を次の人にバトンタッチすることができないのが悩みです。「ゆいkids」立ち上げの際に、運営資金の調達について情報不足のままスタートしたことが尾を引いています。
宮城さんは打開策を模索しています。これまでさまざまな生涯学習講座を受講し、「役に立たないということはなかった。出かけていけば必ず見つかるものがあるし、持ち帰って実践するうちに、その成果がまた膨らんでいく、その体験が生涯学習だと思う」と話しています。
市のNPO支援センターが実施している講座でNPO活動の展開方法を学び、また女性センター企画の講座にも積極的に参加し、「ゆいkids」の保育目標にも「ジェンダーフリーの保育」を掲げています。2005年度には市の社会福祉協議会からの助成金で「保育サポーター養成講座」を開催しました。地元のラジオ・テレビ、新聞等でも活動が紹介され、ボランティア団体や女性施設からの依頼に応じ講師として自らの生き方や子育て支援活動を紹介する機会も増えてきています。こうした積極的な行動は、宮城さん自身のエンパワーメントを通じて、「ゆいkids」の今後の展開にも反映していくことでしょう。
(注)
チャイルドマインダー
家族や母親と緊密なコミュニケーションをとりながら、少人数の子どもを預かる保育者(自宅開業、企業内保育、イベント保育など)。発祥地のイギリスでは、1948年に国家資格として認定されるが、日本では国家資格ではない。
(平成15年度インタビュー、平成17年度修正)