地域開発への関心から、地方公務員、国際協力を経て、大学教員に~甲斐田 きよみ(かいだ きよみ)さん

地域開発への関心から、地方公務員、国際協力を経て、大学教員に~甲斐田 きよみ(かいだ きよみ)さん
<プロフィール>
大学で地域開発に関心を持ち、卒業後は地方公務員になる。ジェネラリストであることへの違和感と国際協力への関心から、青年海外協力隊でアフリカへ。国連ボランティアも経験後、英国の大学院で開発とジェンダーを専攻。国際協力機構(JICA)の専門家として再度アフリカのプロジェクトに携わった後、国際開発学で博士号を取得。現在は、大学で国際開発を教える。
甲斐田さんのこれまで
1993~1995 東京都庁
1995~1998 青年海外協力隊(ニジェール)として家庭科教師養成校で手工芸を指導
1999 英国で語学と大学院進学準備コースに1年在籍
2000~2002 国連ボランティアとしてレソトの職業訓練校のインストラクター
2002~2003 英国イーストアングリア大学大学院修士課程
2004~2006 JICAジュニア専門員
2007~2010 JICA派遣専門家(ナイジェリア)
2010~2012 名古屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程
2013~2014 開発コンサルタント(ナイジェリア)
2015 龍谷大学社会科学研究所 博士研究員
2016~ 文京学院大学外国語学部助教
地域開発への関心から、地方公務員、国際協力を経て、大学教員に~甲斐田 きよみ(かいだ きよみ)さん
国際協力や地域開発に関心をもった学生時代

  甲斐田さんが国際協力に関心を持ったきっかけは、大学時代に地域社会学のゼミで国内や海外の地域活性化について学んだことです。大学3年の夏休みにエジプトに旅行し、観光地ではない普通の人々の貧しい暮らしを見た時に衝撃を受けました。ただ、住民はみなとても親切で、国際協力に携わりたいとその時強く思いました。当時、国際協力といえば、JICAや国連しか思い浮かばず、高い語学力や留学経験がない自分は無理だろうと思いました。そこで、国際協力にはボランティアとして関わり、仕事は国内で地域開発に関わる地方公務員を目指しました。

都庁に採用、水道局に配属

  東京都庁の事務1類に採用され、水道局に配属されます。全体で100人程度の営業所に女性は5人だけで、男女の差を感じる場面は少なくありませんでした。配属先の都心の営業所では、料金未払いで水道を止められた住民が怒鳴り込むこともあり、それまで女性は料金徴収係は危ないからと配属はありませんでした。甲斐田さんが採用された年に、初めて女性が配属されます。しかし徴収に出向くのは男性で、女性は、主に電話と窓口対応を担当しました。料金徴収の仕事は都民と直に接することが多く、支払う気がない人もいれば、支払う資力がない困窮住民もいて、「水道を止められてしまう」「どこかで漏れている」など、何をどうすれば良いかわからず困っている人のあいまいな話から、何がこの人にとって問題かを見極め、聞きだす力が必要とされました。この経験は、その後、開発現場で住民の話を聞く力につながりました。
  都庁職員は、1類、2類、3類という職階に分かれて採用されます。多くが3類で局内で異動しますが、1類は他の局に異動します。職階間、性別、年齢など、複雑な関係性の中で自分がどう振る舞うべきか、難しかったといいます。幹部候補として育つことを求められる一方で、女性役割も求められていました。
  日々の仕事に励んでいましたが、もともと希望していた国内の地域開発に携わるというビジョンが見えません。1類の男性の先輩から、2年ごとの異動で、上司として配属されても長年いる部下に教わりながら仕事をする繰り返しはつらいと聞いた時に、自分は本当にジェネラリストになりたいのかと自問しました。

国際協力の専門家を目指して青年海外協力隊に

  社会人になってからは、卒業論文でお世話になったNGOでボランティアを始めました。バングラデシュの女性たちが手工芸品で生計を立てるために、国内ボランティアは日本人が使いやすいデザインを提案します。社会人2年目の夏、1週間の休暇を取り、NGOのスタディツアーで現地を訪ねました。青年海外協力隊は、看護師や農業の専門性が必要と思っていましたが、バングラデシュの協力隊が手工芸デザインで活動するのを見て、自分にも機会があるのではと思いました。青年海外協力隊を手工芸の職種で受験し、面接に自分の手づくり作品を持参しますが、勉強して再挑戦するように言われます。早速、仕事帰りに週3回洋裁学校に通い始め、パターンの取り方の基礎から学びました。
  翌年の1月に阪神大震災が起きました。地震の日から職員が応援に出て、現場は大忙しでした。事務系の職員を2年間、兵庫県庁に出向させる話が持ち上がり、各局に割り当てがきました。甲斐田さんは、率先して「行きます」と手を挙げましたが、結局、別の男性が派遣されます。今となっては、何も整っていない場所に女性を送ることに対する不安が組織にはあったのだろうと思うものの、当時は、何の説明もなく「男性である」ことで派遣が決定したことに、ここにいても自分の望むことはできないと思いました。1月に再度受験した協力隊に合格します。職場に退職する旨を伝えると、同僚や上司らが頑張れと応援してくれました。

青年海外協力隊としてフランス語圏のニジェールに派遣

  仕事を辞めて海外に行くことを決断した甲斐田さんに、家族は驚きこそすれ反対はしませんでした。長野県の駒ヶ根の訓練所には、アフリカ、中南米、中東や東欧圏などに派遣される若者があつまり3ヶ月間の研修を受けました。大半は派遣予定国の語学研修で、国際協力や医療関係の講義、地元農家での実習もありました。その後フランスでの語学研修を経て、フランス語圏ニジェールに派遣されました。
  職場は、地元の女性リーダー育成を目的とした、大学に準ずる家庭科教師養成学校です。全国から高校を卒業した女生徒(ニジェールの女子1%に相当)が集まり、寄宿学校も併設されていました。甲斐田さんは家庭科教師養成のクラスと、付属施設である女性センターで、女生徒を対象に編み物や刺繍を教え、もう一人の隊員が洋裁を教えました。生徒たちは識字率が低くノートもとれませんが、口頭の説明を覚えてしまう記憶力は抜群でした。指導法マニュアルや、テキストはなく、甲斐田さん自身が洋裁学校で学んだことを工夫して教えました。
  現地には、贈り物を交換する文化があり、生徒は身につけた技術で作ったものをプレゼント用に販売しました。特に、赤ちゃん用品のセットは好評でした。隊員の自主活動として、現地にある女性センターの巡回や、製品を販売するためのイベント開催もしました。ニジェールでの生活では、生徒たちひとりひとりの成長を感じ、目指していた活動に従事できた充実した2年間になりました。

国際協力分野に進むと決意し、留学の準備

  協力隊の活動を経験し、これからも国際開発の道に進もうと決意します。そのためには開発学修士の学位が必要という情報を得ました。1年コースがある英国の大学に留学先を定め、ニジェールの任務終了後、英国で語学と大学院進学準備コースに1年在籍しました。そこでいったん資金が尽きて帰国する途中に寄ったニジェールで、国連ボランティアについての情報を得ます。日本に戻り、国連ボランティアの英語圏の仕事に登録しました。同時に、大学院の奨学金も探し始めました。
  まもなく国連ボランティアとしてアフリカの英語圏レソトで、テキスタイル・インストラクターとして働くことが決まります。青年海外協力隊OB枠で派遣されることができたため、給与面では恵まれました。

国連ボランティアとして英語圏レソトへ

  新しい派遣先は高校卒業後の学生対象の職業訓練学校です。同じアフリカでもレソトの現地語識字率は8~9割と高く、学校の同僚とは英語で会話ができました。生徒の学習に識字率が及ぼす影響を実感します。はじめて人種差別問題にも直面しました。同僚の先生と一緒に南アフリカに材料の買い出しに行くと、黒人の同僚が南アフリカの白人から完全に無視されることに衝撃をうけました。アパルトヘイトが1994年に終わり、6年経った時期の現状でした。
  一緒に働く現地の女性達は自立心が高く、女性が収入を得る必要性を強く主張することも印象的でした。当時はHIV感染がピークで、生徒やその家族・親戚が次々と亡くなっていく状況です。山の中で農業もままならないため、男性の多くは南アフリカの鉱山に出稼ぎで不在でした。生き残った女性が働いて収入を得なければ、家庭が崩壊します。都市部の工場に出稼ぎにいく女性もいますが、そうなると家族が離散してしまいます。職業訓練校は地元で働くためのスキルをつけたい女性たちにとても人気がありました。
  2年間のレソトでは、女性が手に職をつける支援はできました。しかし起業のためには材料購入や販売のために都市部との繋がりが必要です。つくったものを周囲の人に売るだけでは収入にも限界があります。女性たちが継続して収入を得るにはどうしたら良いのだろうと常に考えるようになりました。

英国の大学院に留学 開発とジェンダーの修士号を取得

  レソトにいる間に英国の大学院に入学する準備をしました。専攻はジェンダーと開発です。留学にはJICAの海外研修員としての奨学金を得ました。1年間の大学院で、ニジェール、レソトでの体験を理論化していく勉強は大変刺激的でした。クラスメートは、先進国途上国問わず世界各地から集まっており、多くが実務経験豊富な30代でした。

JICAの専門家としてナイジェリアで女性の生活向上支援

  帰国後は、JICAのジュニア専門員(3年間の任期)となり、東京の本部に配属されます。JICAを選択した理由は、国際機関に比べて説明責任が問われる日本の機関で働きたいと思ったことです。まもなくナイジェリアの女性センター活性化の要請に対応することになりました。ナイジェリアの女性課題省の付属機関である国立女性開発センターへ短期の専門家として、またナイジェリアのJICA事務所に短期の企画調査員として、ナイジェリア出張と本部での業務を行き来していました。ジュニア専門員の任期が終わるころに、女性たちの生活向上のための女性センター活性化を支援する技術協力プロジェクトが開始することが決まりました。そしてJICAと個別の契約を結ぶフリーの専門家としてナイジェリアに赴任し、この技術協力プロジェクトの実施、運営、管理、女性センター職員の能力開発と、州の女性センターの活性化に携わりました。
  それまでの経験や大学院で学んだ知識を充分に生かすことができました。一人専門家として、自分の考えで仕事をすすめていくことができ、やりがいもありとても面白かったといいます。

開発学での博士課程を取得し、大学教員の道へ

  ナイジェリアで仕事をするうちに、それまではまったく念頭になかった博士課程への進学を考え始めます。女性たちの話を丁寧に聞きだすことの重要性に気づき、腰をすえてきちんと研究したいと思ったのがきっかけです。女性が自分で得た収入で生計をきちんと立てることができるのはもちろん、得た収入の分配をどう決めているのか気になりました。女性たちが夫や家族と話し合える環境も重要です。女性たちが色々な戦略を持っていることも調査を通じてわかりました。離婚の際の子供の親権問題など日本も途上国も似たようなことが課題になっていました。
  博士論文は日本語で書こうと思い、ナイジェリアの本邦研修でお世話になった開発学専門の研究者がいる日本の大学院を選びました。学部時代の卒業論文のテーマにとりあげた内発的発展論が指導教官の専門でした。
  大学院の学費にはそれまでの貯金をあてて、フルタイムで学生に戻りました。博士課程の生活は研究室と自宅を往復する日々でしたが、調査でナイジェリアを訪問した際には女性センターに顔を出すこともあり同僚との再会を楽しみました。3年半で無事博士論文を書きあげ、学位を取得しました。
  博士課程修了後については、教員ポストは難しいと聞いていたので、国際協力の現場に戻ろうと考えていました。コンサルタントとして再びナイジェリアに戻りました。ただ、コンサルタントという立場は、現地の人が自ら発揮できる力をつけるまで「待つ」ことはできないことに気づき、自分のやりたい方向性は違うと思います。大学に籍を置きながら研究と教育に関わっていきたいと思いました。その頃、指導教官からの誘いで、帰国後、関西の大学で1年間博士研究員としてナミビアでの農業プロジェクトに関わりました。後から振り返れば、大学院終了後すぐに研究職を探せばよかったとも思いましたが、やったからこそコンサルタントは向かないことがわかりました。

大学での研究と学生指導をしながら途上国支援も続けたい

  現在は、都内の大学でジェンダーと開発など国際協力の科目を教えています。国際協力について授業ではじめて学ぶ学生が多く、同じ女性として、自身の恵まれている状況と途上国の違いに驚き、何かしたいと関心をもつ学生も少なくありません。
  振返ると、甲斐田さんが開発分野でキャリアを重ねた背景に、2年間の協力隊経験が大きかったといいます。隊員として生徒の家庭を訪問した先ではさまざまな矛盾や問題がかいまみえました。せっかく手に職をつけて稼げるようになったとたん、年の離れた人の三番目の妻にさせられてしまった女性や、家事育児に追われて学んだことを活かせない女性もいました。本人も何とかしたいと思っていながら、抜け出せない例をいくつもみました。当時ジェンダーと開発についての知識はないものの、協力隊員としてニジェールで気づいたのは、まさにジェンダーに根差した問題でした。
  キャリアの転換期に役立つ助言や情報、励ましをくれたのは、隊員仲間や留学先のクラスメート、JICAの専門員や専門家など同じ業界の仕事仲間です。開発分野でいろいろな立場で仕事をする中で、関わってきた人たちとは時に連絡をとり、相談をし、情報交換をしています。
  今は大学での仕事に忙しくしていますが、いずれはアフリカで、女性の収入向上活動の支援に関わりたいと考えています。また、自分が現在暮らしている地域で活動する社会活動の時間も増やしたいと考えています。

(平成29年度インタビュー)

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