企業勤務の後起業 がんサバイバーのためのオアシスをつくりたい~大塚 美絵子(おおつか みえこ)さん

企業勤務の後起業 がんサバイバーのためのオアシスをつくりたい~大塚 美絵子(おおつか みえこ)さん
<プロフィール>
大学でドイツ語を専攻した後、外資系銀行に就職する。女性が補助的な業務しか担当できないことに疑問を感じ退職。米国公認会計士資格を得て、46歳で監査法人に勤務。企業法務のスペシャリストとして活躍していた2012年に卵巣がんを発病。抗がん治療と手術を経て社会復帰の道を探る過程で、リンパ浮腫の症状を緩和するための弾性着衣を販売する「リンパレッツ」を起業し、現在に至る。
大塚さんのこれまで
1984 ~ 1987 外資系銀行に勤務
1990 ~ 2000 司法試験受験と並行してパソコンソフトの翻訳に従事
2000 ~ 2005 米国公認会計士受験と並行して英文契約書の和訳業務に従事
2006 ~ 2012 監査法人に勤務
2012 ~ 2013 卵巣がん治療
2017 リンパレッツ開店
企業勤務の後起業 がんサバイバーのためのオアシスをつくりたい~大塚 美絵子(おおつか みえこ)さん
音楽家になりたかった高校時代

  大塚さんは幼少期よりピアノを習っており、将来は音楽家を志したこともあります。高校生の頃、真剣に進路について考えた結果、プロの音楽家になることは難しいと判断し、音楽評論の仕事をしたいと思うようになりました。語学も得意でドイツ音楽が好きだったので、大学ではドイツ語学科に進学し、ゼミでは理論経済学を学びました。大学卒業後、1984年に外資系の銀行に正社員として就職しました。「男女雇用機会均等法」が施行される前に就職した、いわゆる「均等法前」世代にあたります。そのため、銀行での業務も、ディーラーの補助的な業務に限定されており、仕事のおもしろさややりがいはあまり感じられませんでした。
  学部在学中に外交官試験の最終面接まで残った大塚さんは、まじめな勉強家であり初職の銀行でも、上司や同僚から依頼された翻訳業務も大学のゼミで学んだ知識を生かして、精度の高い仕事をこなしました。しかし仕事を依頼した人の中には、「これは誰に手伝ってもらったのか」という女性の能力を認めないような発言をする人もおり、仕事へのモチベーションを保つことが難しいと考えるようになりました。入行前には四年制大学を卒業したのだから、大卒として扱われるものと考えていましたが、実際に働いてみると組織の中では四大卒の男子と女性事務員という区分しかなく、女性は補助職という考え方が根強く残っていたのです。このまま銀行内でのキャリアパスを追求するのではなく、転職してステップ・アップした方がよいと、助言してくれる先輩にも出会いました。

専門職を目指して資格を取得

  新卒で勤務した銀行を3年で退職した大塚さんは、社会人となって1年半後父が他界し、母、妹と女性だけの家庭になりました。すると、親戚や周囲からも「女性だけだから信用できない」とか、「早く結婚して世間から信頼される家庭を築け」などという言葉を浴びせられました。しかし「信頼やお金を得る手段としての結婚」は考えられなかったため、世間からの信頼が得られるような資格の取得を目指して、司法試験に挑戦しました。司法試験予備校には通わず、10年間独学で勉強を続けました。この期間は司法試験の受験勉強と並行して得意のドイツ語を生かして、パソコンソフトの取扱説明書の翻訳をしました。残念ながら合格はかなわず、新司法試験制度が導入される前に司法試験はあきらめて、2000年以降は米国公認会計士(Certified Public Accountant、以下CPA)資格の取得に目標を切り替えました。5年後の2005年に米国デラウェア州のCPA資格を取得し、同じ年に日商簿記2級やビジネス実務法務検定2級も取得、再び企業への転職活動を開始します。

企業での経験

  コンサルティング会社でのアルバイト勤務を経て、2006年に大手監査法人に正社員として就職します。転職先ではJ-SOX導入に際して海外子会社向けの内部統制システムの試験運用マニュアルの翻訳や、米国における先行事例の調査、株式上場を予定している企業の上場前監査等の業務に従事しました。2008年以降は、企業のコンプライアンス(法令遵守)やガバナンス向上を目的としたセミナーの企画や、上場企業を対象とした不正実態アンケート調査の実施、企業内での不祥事に関する調査プロジェクトなど、多岐にわたる業務を担当しました。
  CPAの資格を活かしてキャリア・アップを果たしたものの、監査法人でもいくつかの問題に直面しました。ひとつは大塚さんが米国のCPAを取得していたことに対し、日本の公認会計士資格はCPA試験より難易度が高いと考える人もおり、大塚さんの知識を一段低いものと見なす人もいました。また46歳で新入社員として入社したため、20代でCPAを取得した同僚との間に仕事に関する考え方の違いも感じました。大塚さんが強い倦怠感等、身体の異常を感じたのは、このような経緯から退職を考えていた2012年夏のことでした。

卵巣がんの発病と闘病

  20代の頃から体型がほとんど変わっていませんでしたが、この頃には洋服のサイズが合わなくなるくらい太り出しました。当初は仕事のストレスか更年期障害だろうと軽く考えていましたが、腹部だけが妊婦のように異常にふくらみ(手足は逆に痩せてしまい)医療機関を受診したところ、卵巣がんのステージ3-cと診断されました。がんは、腹腔内の広範囲に飛び散っている(腹膜播種)ことがCTでもはっきり確認できる状態で、5年生存率は35%(当時)という危機的状態でした。
  2012年7月末で監査法人を退職し、治療に専念します。治療開始時には手術が困難であったことから、まずは月1度の抗がん剤投与を3回実施、腫瘍が縮小したことから11月に手術、そして2013年1月から再び月に一度、3回の抗がん剤治療を実施しました。抗がん剤が非常によく効いたため、副作用も激しかったものの、2013年3月末には治療を「卒業」することができました。
  同時期に発病した患者さんの多くは亡くなっていることを考えると、大塚さんの回復は周囲の人たちから祝福されました。主治医の先生や病院のスタッフからは「おめでとう」と声をかけられ、自身も手術の成功と化学療法の終了を喜ばしいものと捉えていましたが、実際には手術前の期待値と現実のギャップの大きさに苦しみました。手術前には、治療が終了すれば病前の状態に戻り、日常を回復できるだろうと考えていたのです。しかし治療終了は「体内からがん細胞を駆逐した」に過ぎず、終了時の身体の状況は発病前とは全く違っていました。著しい体力の低下、ケモブレインと呼ばれる判断力や言語能力の低下、貧血の症状が出て、治療終了当初は足が痺れて15分以上歩くことが困難となりました。足の痺れはその後2年以上続きます。

治療終了後のギャップに苦しむ

  身体的な不調に加え、会社を退職し、治療終了後は病院という拠り所もなくなったために、アイデンティティの危機に陥りました。戻るところがない孤立感や、体調が万全ではないため社会復帰も難しく、相談先もわからず、自分が生きていることの意義を見出すことができません。当時を振り返って、周囲の人々が何気なく放つ「もう治療は終わったのでしょう」という一言に、とても傷つきました。手術の傷も外からはわからず、化学療法の終了に伴い髪の毛も生えてきたため、一見すると「普通の人」に見えました。しかし内心では多くの葛藤を抱えています。働きたいという気持ちは持っていましたが、50歳過ぎという年齢やキャリアのブランク、がん患者であったことを伝えると、企業からのオファーはありません。体調にも波があり、前職でのハラスメントの経験も再び「組織」の一員になることへためらいを生みました。社会の中で自分の居場所を見つけられないという実感が、ネガティブな思考へとつながっていったのです。
  このがんサバイバーとしての体験が、大塚さんが次のステージに向かうきっかけとなりました。日本国内のがんの新規罹患者は101万人(2016年の推計値)。そのうち年間数十万人近い人ががんサバイバーとして社会復帰の壁に直面しています。治療が終了したがんサバイバーは医療機関の支援の対象とはならず、サバイバーの多くは大塚さん同様、治療後の経済的自立や再就職、周囲との関係構築に悩んでいると思われます。
  大塚さんは術後の負の連鎖を断ち切るために、次のことを実行しました。まず心がけたのは発想の転換です。人生に起こるすべてのことに意味があり、物事には必ずよい面と悪い面がある。こう考えて前向きに今の自分を生かす道を探しました。次に、キャリアや能力、スキルの棚卸しをおこないました。これは自分の人生観が問われる作業で容易ではありませんでしたが、時間をかけて取り組んだ結果、自分が本当に今、何をしたいのかを整理することができました。また患者会や勉強会にも積極的に参加し、がんで闘病した先輩の話をうかがったり、転職セミナーも受講しました。

「リンパレッツ」の立ち上げ がんサバイバーのオアシスをつくりたい

  いろいろなセミナーに参加しているうちに、患者会でスピーカーとして自分の体験を話す機会が増えてきました。こうした経験を経て、術後に経験したリンパ浮腫についての情報が極端に不足しており、情報が必要な人に届いていない現実を認識するようになりました。2014年秋に失業手当が切れたことを機会に、医療用弾性ストッキングや弾性スリーブを扱う店を開業することを考え、本格的に独立の準備を開始しました。がん治療のためリンパ節を郭清した後、リンパ浮腫という症状がでる患者さんが相当数存在します。現在のところ有効な薬はなく、圧迫とドレナージ、軽い運動が治療の柱となります。患部圧迫のために、特殊な製法で作られたスリーブ(乳がん)やストッキング(婦人科がんや直腸がん等)が必要となりますが、高額な商品でかつ治療目的なので体にあったものを着用する必要があるにもかかわらず、病院の売店では品数が少なく試着ができません。そこで大塚さんは、複数のメーカーの商品を一ヵ所で、ゆっくりと試着してから体にもっともフィットするものを選べるような店舗を開店しようと考えたのです。
  2015年は起業の構想を固めることに力を注ぎました。商工会議所が主催する起業セミナー等に頻繁に出席して勉強を重ねると同時に、主要顧客はがんサバイバーと想定していたので、各地で開催されているがんサミットにも参加し、がんサバイバーのニーズを探りました。2016年、これまで温めていた独立構想を実行に移します。店の名前は「リンパレッツ」。店のロゴも卵巣がんと子宮頸がんのキャンペーンカラーのティールと、乳がんのアウェアネスリボンのピンクを組み合わせて作成しました。開業準備や税務署への届け出、個人事業主としての口座開設や、取引先業者との契約締結など、やるべきことは少なくはありませんでしたが、監査法人で働いていたころの知識と経験が役に立ちました。地方から上京されるがん患者の方が立ち寄りやすいように、東京駅から近い八重洲に女性専用のシェア・オフィスを借りました。
  開業当初は事業の周知が行き届かず、顧客の獲得に苦労しましたが、最近ではがん専門病院を通じてリンパ浮腫で悩む患者さんの紹介があったり、SNSでの発信を見ての問い合わせも増えています。今後の展望としては高齢化社会を見据えて、リンパ浮腫だけでなく静脈瘤等、様々な浮腫みを煩っている高齢者用の商品販売にも力をいれる予定です。将来的には、がん治療中の方や治療を終えた方が、リラックスして過ごせるような患者さんのオアシスのような場を提供していきたいと考えています。

(平成29年度インタビュー)

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