日本語教育の専門からITを勉強して、米国で有名サイトを運営する個人事業主に~岩田 リョウコ(いわた りょうこ)さん

日本語教育の専門からITを勉強して、米国で有名サイトを運営する個人事業主に~岩田 リョウコ(いわた りょうこ)さん
<プロフィール>
兵庫県生まれ、名古屋育ち。高校時代の短期留学で英語嫌いを克服、大学で「学ぶこと」が好きになる。教育に関心を持ち、米国の大学院で日本語教育を専攻。在米日本領事館の日本語教育専門調査員として、日本語教育を推進する事業に携わる。IT教材の必要性を感じプログラミングを学び、練習で立ち上げたコーヒーのサイトが米国で有名に。現在は日本に拠点を移して活動している。
岩田さんのこれまで
1997年 高校の交換プログラムでカナダに短期留学
2001年 大学の交換プログラムで米国に半年間留学
2002年 TESOLの資格取得のため1年間米国イリノイ州の大学に留学
2006年  コロラド大学大学院東アジア言語文明科修士課程修了
2009年  外務省専門調査員として在シアトル日本国総領事館勤務
2012年  IT資格取得のためコミュニティ・カレッジ(シアトル)に入学
2012年  シアトルでコーヒーサイト I LOVE COFFEE を立ちあげ、個人事業主に
2015年  米国で『COFFEE GIVES ME SUPERPOWERS』を出版
2017年  日本に一時帰国
『シアトル発ちょっとブラックなコーヒーの教科書』出版
日本に拠点を移す
日本語教育の専門からITを勉強して、米国で有名サイトを運営する個人事業主に~岩田 リョウコ(いわた りょうこ)さん
嫌いだった英語や勉強が好きになる

  アメリカで働いた期間が長い岩田さんですが、中高時代は英語がとても苦手でした。高校時代に母親のすすめで、2週間のホームステイをカナダで経験したことが転機となり、はじめて自分から英語を勉強したいと思います。
  地元の外国語大学の国際経営学部に進学するとそれまで嫌で仕方なかった勉強が初めて面白くなりました。在学中に半年間の交換プログラムにも参加して教育分野に関心が強まったため、将来は英語教授法を勉強して日本もしくはアメリカで教えたいと思うようになりました。

英語教授法を学ぶために米国に留学

  大学を卒業後、英語が母国語ではない人々向けの英語教授法の資格(TESOL, Teaching English to Speakers of Other Language)を取得するために、米国イリノイ州の大学に留学しました。就職しないで留学するという選択を後押ししてくれたのは、自身も若い頃海外に行きたいと思っていた母親です。
  TESOLの資格取得のためには言語学や教科指導法として授業の組み立て方やアクティビティのつくり方、教材の選び方などを学びます。学習者を設定した模擬授業など実践的な授業を行いました。1年で資格は取得しましたが、英語教育よりも母国語である日本語教育に進んだ方が、働ける場の可能性が広がると思い始めます。
  そこでコロラド州の大学院に進学して、日本語教育を専攻することにしました。コロラドを選んだ理由は、学部生に日本語を教える条件付で学費が免除され、給与も支給される奨学金が得られたからです。大学院では第二言語教育としての基礎は共通なため、TESOLの知識をいかすことができました。教授の授業で学んだ指導方法を、翌日は自分が学部生に教えるという実践を毎日繰り返すことによって教える力もつけました。

日本語教育の専門家として外務省の専門調査員として働く

  2年間の修士課程を終え、1年間コロラドの大学で日本語を教えた後、いったん査証が切れて帰国しました。アメリカで日本語教育に携わることができる仕事を探していたところ、在シアトル日本国総領事館で日本語教育の専門調査員の仕事が見つかりました。仕事内容は、現地の高校や大学が日本語選択や日本語学科を作るための日本語教育推進や支援、JETプログラム(注1)の募集から派遣、国費留学生の選考など多岐にわたります。日本の組織で働くのは初めての経験でしたが、文部科学省からの出向者や現地職員と一緒に領事館で働いた2年間は、自分の専門分野という自信もあり、上司にも恵まれ、のびのびと仕事ができました。特に、仕事を通じて知り合った多くの関係者や団体には、日本語教育を進める上で有用な情報を提供してもらうなどさまざまな形で助けられたといいます。現地の大学教授や学校教員からは、各地域の学校事情や教育委員会に関する情報を得ました。日本語を教える人たちで構成している日本語教師会を通じて多くの日本語教育関係者とも知り合うことができました。日本語関係のワークショップの開催などさまざまな活動に協力を得ました。日本語教師のポジションは空きが少なく競争が激しいことも先生たちと話す中で知りました。
  ところでシアトルは、マイクロソフトの本社のほか、ゲームや航空機などIT技術関連の先端企業で働く人材が集まっています。職場以外で知り合った友人たちはみなプログラマーやデザイナー、ウェブマーケティングなどの仕事に就いており、友人たちと話す中で、これからはあらゆる分野でIT化が重要になることを強く意識するようになりました。そのような中で、専門調査員の仕事で高校や大学を回りながら気づいたことがありました。日本語に関心のある子どもたちは、YouTubeやアニメから最新の情報を次々に得ており、教材内容の更新が追いついていません。岩田さんは、ITを勉強して、日本語を教えるために役立つ教育ツールを作ろうと思い立ちます。作った教材をインターネットで提供できれば、更新も簡単で、指導者、学習者双方に役立つと夢が広がっていきます。

ITを活用した日本語教材をつくるために、プログラミングを学ぶ

  領事館の任期を満了し、ITを活用した日本語教材作成に必要なプログラミングの勉強をするためにコミュニティ・カレッジに入りました。当初は、1年間の予定で自分が必要とする単位を取得しようと考えます。最初の学期には、学校でイラストレーターの使い方とそれをホームページで動かすプログラミングを学びました。大学院では自分自身が学びながら学生に教えることで日本語教授法を身につけていきました。イラストとプログラミングの技術も実践した方が早いと考え、最初の学期が終了するとすぐにサイトを開設します。シアトルにいるのだから、コーヒーを主題にしようと立ち上げたのがI Love Coffeeというサイトです。コーヒーに関するさまざまな情報が得られるエンターテインメントサイトを開設すると、訪問者がまたたくまに増えました。夏にはサイトの仕事で手一杯となり、資格は取らずに予定より早く半年で学校を辞めました。

I Love Coffee サイトの立ち上げ ー テーマえらび

  サイトのテーマを何にするか決めるまでに色々考えました。洋服などのファッションでは好みや性別で関心がわかれてしまう。有名コーヒー店の本拠地シアトルにいるわけなので、みんなが飲んでいるコーヒーについて発信すればだれもが興味を持つだろうと考えます。当時、コーヒーを扱ったエンターテイメントサイトは他に見当たりませんでした。
  コンセプトは、コーヒーに関する情報を、簡単かつ楽しく学べるサイトです。インターネットサイトのページ滞在時間は短いため、すぐに理解できるように、文字だけでなくイラストや図表を多用することにしました。当時ネットの世界で流行り始めていた、情報を視覚的にあらわす「インフォグラフィックス」の技術を自分で勉強して、取り入れました。コーヒーに関する面白い情報や知識をイラストと共に日々更新して提供していきます。毎日コーヒーについて何をとりあげ、どのように描こうかと考えました。「コーヒーは人間しか飲まないのかな」と疑問がわくと、ほかにコーヒーを飲む動物がいるか文献を集めて、調べて、解釈し、わかりやすく伝える文章と絵を考える作業の積み重ねです。ちょうどFacebookでシェアする文化が流行り始めの頃で、可愛いイラストでコーヒー情報を発信するI Love Coffeeのサイトは、米国で爆発的な人気となりました。

ウエブサイトで個人事業主となり、査証を取得

  インターネットは、分析ツールを使ってサイト訪問者の属性を把握できます。サイトで面白いコーヒーカップを紹介し、それに関心をもった訪問者がリンク先でオンライン購入をすると、岩田さんのサイトにマージンが入ります。最初は、ただ「面白いな」と思って紹介していたことが収入になることに気がつきました。サイト訪問者の増加に伴い、モノの購入だけではなく、サイトを通じた広告収入も増えて、個人事業主として生活できる稼ぎになりました。
  一方で、外国で働いて生活するためには、収入はもちろん、その国の滞在許可証が必要です。当時アメリカではインターネットで得た収入に関わる法律は明確ではなかったので弁護士に相談したところ、アーティストビザの取得をすすめられました。米国で映画撮影をする俳優や強化合宿のために滞在するオリンピック選手など特殊技能を持った人に交付されるビザです。審査ではいかに自分のブログが有名で、アメリカで「こんなに仕事がある」と証明しなければなりません。証拠となる書類を収集して行う申請手続きは大変でしたが、いったん査証を取得すると、米国への出入りが自由となり便利になりました。

迷いながらもサイトの仕事をつづけ書籍出版へ

  ビザ取得後はシアトルで在宅でのブログ更新を本業に、夜間の社会人大学で日本語も教えていました。サイトの仕事は、営業も不要で、全く人に会わない生活です。本来は、専門知識と経験をいかして教育ツールを作るはずが、いつのまにかコーヒーのサイトが本業になっていました。
  ただ、ウェブ関係の仕事といっても、日本の家族にはあまり理解してもらえません。知人にも、サイトは収入を得られる職業として認知されずに、「本業は何?」と聞かれることが多くありました。
  流行っているからこれでいいかなと思いつつ、日本語教育の道から外れたことにどこか引け目がありました。それまでの学歴と経歴を捨て、無駄なことをしているのか、失敗したら日本語教育に戻れるのかと心配は尽きません。不安な気持ちを打破するためには、目の前の仕事に全力投球しました。毎日、コーヒーのことを考え、調べて、この方向にいったから失敗したとならないように、やるならとことんやってやろうと思って頑張りました。わかりやすく伝えることで、ウエブサイトを通じて教育につながっていると思い始めたのはだいぶたってからでした。
  そんなある日、人気サイトとして着目してくれた米国のイラスト系に強い著名出版社から、サイトを書籍化しないかと声がかかります。出版社と契約して刊行した、"COFFEE GIVES ME SUPERPOWERS"は、英語版と同時に中国語、韓国語、ロシア語への翻訳も決まり各国で出版されました。I Love Coffeeが本という形で出版されたことで、今までウエブサイトの仕事をしていると言っても、よくわかっていなかった家族や周囲が理解できる形で活動の成果を示せたという意味でもほっとしました。
  一人でサイト運営の仕事をしていると、誰からもフィードバックがないので、自信がもてずに何度も見直し、思い悩む時期もありました。あるとき相談した友達に「それは完璧にしたいという向上心だよ」と言われてほっとしました。常に「もっとよいものを書きたい」と考えながら仕事ができるようになりました。

10年ぶりに日本に拠点を移してーフリーランスの個人事業主として今後について

  書籍の日本語版を出す話が進み、出版プロモーションのために一時帰国したことがきっかけとなり、翌年から10年ぶりに日本に本拠地を移しました。アメリカにいる間は1日中自分のサイトのために、コーヒーのことだけを考えていましたが、日本では他の媒体に寄稿する仕事も増えています。日本語だと文章を書きやすいので好きな映画など自分のサイトやコーヒー以外のテーマもとりあげるようになりました。
  実は日本に戻ることは少し怖かったといいます。I Love Coffee のサイトがアメリカでは広く知られていても日本では無名。年齢を考えても、日本に戻ってやっていけるか心配で、まずは3ヵ月と思って一時帰国しました。しかし日本を離れていた10年の間に日本の状況は大きく変わっていました。フルタイムで仕事をする子育て中の女性や独立してクリエイティブな仕事に就いている女性にも多く出会うことになりました。
  現在は日本に拠点を移して色々試しながら仕事の内容や活動の幅を広げているトランジションの最中です。新たに知り合った人から「これをやってみれば」「こうしたらよいのでは」と言われて、気づくことも多くなりました。コーヒーをテーマにする中で、コーヒーを販売している人、バリスタ、コーヒー農園の人など、面白い人たちと繋がりました。個人事業主としての作業自体は孤独な一人仕事ですが、さまざまな分野の人と出会う広がりから影響を受けてきました。誰しも知らずに嫌がったり、試さないことがあると思います。今後は、そういったことを打破する企画を誰かとコラボレーションしながら取り組んでいきたいと思っています。もちろんフリーランスの仕事は自由な反面、組織に所属する会社員に比べて不安もあります。ただ最近は、フリーランスの人向けの保険や組合、年金の制度が米国でも日本でも少しずつでてきています。自分の希望に合う働き方を探していこうと思っています。


  *JETプログラムとは、語学指導等を行う外国青年招致事業(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略で、外国青年を招致して地方自治体等で任用し、外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図る事業

(平成29年度インタビュー)

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