地域活動を熱心に行った子育て期
山梨市議会議員でありNPOの活動も精力的に行っている小野さんは、その時々の生活環境に合わせて職種や就労形態を変えながら、一貫して仕事を持ち働いています。それは、戦時中に農家に嫁いだ母親が、手に職さえあれば、経済力さえあれば自分の生き方は違ったと、自立の必要性を長女である小野さんにたびたび語っていた影響が強かったといいます。
高校を卒業後、東京の美容学校に通い、結婚までは美容師として働いていました。山梨市出身の高校の同級生と結婚し、埼玉県に住むようになってからは、都内の会社で事務の仕事に就きました。2人の男の子を出産、第1子が2歳の時に、長男である夫が実家に戻り、「無理のない程度に」パートタイムで働きました。その後、夫が1983年に土木関係の仕事で独立してからは、社員となりました。
子育て中には、PTAや子ども劇場の活動を熱心に行いました。居住地域の峡東に「峡東子ども劇場」を設立。設立時は代表として、その後は事務局として、12年間活動を継続しました。演劇鑑賞だけでなく、夏の親子キャンプや春の子ども祭り等、さまざまなイベントを実施するために、母親同士のつながりは強く、活動を通して築いた地域の女性たちとのネットワークは、現在の人的資源の原点となっています。
子どもの上京を転機に男女共同参画センターの講座に通う
子育てと地域活動を一所懸命に行っていましたが、子どもが2人とも大学進学のため上京すると、虚脱感に襲われました。夫の会社で仕事もしていましたが、このままでいいのかという気持ちが大きくふくらみ、今までの生き方を見つめ直す気持ちで、山梨県男女共同参画センターのいろいろな講座を受講するようになりました。
1996年当時は、国が男女共同参画施策に注力している時期でした。センターの男女共同参画に関する講座を受講し、自分の今までの気持ちや生き方は、学問的にも社会的にも裏づけがあることを理解したことは、大きな収穫でした。子育て期を振り返ると、夫は小野さんが家を留守にすることを嫌い、PTAや子ども劇場の活動にどちらかというと反対でした。自分のやりたいと思うことをやりたいという気持ちを夫に話すと、いつもけんかになりました。夫から怒られても地域活動を続ける一方、こんな気の強い自分でよいのか、自分がまちがっているのではと疑問を感じてきました。センターで学習することで、自分の生き方や考え方はまちがっておらず、これでよかったと捉え、それを説明することができるようになりました。
議員を輩出するための勉強会に参加、翌年議員に
1998年に県内の農業女性の団体が主催する半年間(月2回)の勉強会「リメイク・ノウソン」に誘われ受講しました。この講座は、当時いなかった女性の市議会議員をうむことを目的とし、男女共同参画や環境、まちづくり等、充実した内容でした。会場は甲府市であったため、自分が学ぶことを自分の住む地域の仲間とも一緒に学んでいきたいと、山梨市内の会議室を借り、連続講座の勉強会も始めました。メンバーは、子ども劇場やPTAの活動で知り合った友人が主でした。
講座で学んだ翌年に統一地方選挙があり、仲間から議員を出そうと推されて立候補し、1999年に山梨市議会議員になります。女性議員は20名中0名でしたが、その時に3名が当選しました。
立候補すると決めた際、夫と義父母は大反対でした。夫からは離婚すると言われ、義父からはおれたちの夕飯はどうなるのかと言われました。議員の活動を家の食事のことで反対されるのは納得できない、負けたくないと強く思いました。これに対し2人の息子は、離婚してもかまわないよ、50歳からあと20年、一生懸命やりたいと思うことをがんばってみたらと後押ししてくれました。
議員になってからは、夫と義父には仕事の様子を丁寧に詳しく話すようにすると、だんだん応援してくれるようになりました。夕食も以前よりきちんと用意するように努めました。義父は亡くなる前に、議員の仕事をがんばるようにと言ってくれました。
まちづくりの勉強会から朝市開催の団体設立へ
山梨市で始めた勉強会は、議員になってからは小野さんの名前から「鈴の会」として、住みよいまちづくりについてみんなで考えるために、まちづくり、環境、ゴミ問題等をテーマに継続しました。勝沼町で朝市を実施している団体の代表を講師とした際、山梨市でも同様の取り組みができると考え、動き出しました。当時、都市区画整備事業として山梨市駅前の整備が完了しましたが、人通りが少なくて活気がなく、さみしく感じていましたため、駅前広場を活用して朝市を開催し、活性化につなげることになりました。男性も含め約30名の勉強会参加者に、朝市の準備会の設立をしたいというハガキを送り、集った約20名をベースに2005年10月に準備会を立ち上げました。その後すぐ、賛同者50名で任意団体「やまなしし朝の市の会」を設立、2006年3月には駅前広場にて第1回朝市を開催、以降毎月第2日曜日に開催しています。
みんなが気軽に立ち寄れるコミュニティサロンの運営
2007年10月には、駅前の空き店舗を活用した市民の交流スペース「みんなのおみせ ひとやすみ」を開店しました。常設店舗開設の拠点づくりの企画が、山梨県商工総務課の「コミュニティビジネスモデル事業」に採択され、50万円の補助金を得て、開店資金の一部としました。
「やまなしし朝の市の会」は2009年に法人格を取得。現在、メンバーは理事10名、会員約30名、朝市の会員が約80名います。理事のうち半数は、子ども劇場にかかわってきた頃から一緒に活動している仲間です。「みんなのおみせ ひとやすみ」には、理事8名が週1、2日ずつ交代で入っています。スタッフはこの他、ソーシャルビジネスに対して県から交付される3年間の助成金を活用して、2名を雇っています。助成金のあるうちに経験を積んでもらい、人材育成するとともに、そのノウハウを引き継いで経営基盤を強化していこうと考えています。
さらなる地域活性化の夢に向けて
2008年からは、4月上旬の桃の花の時期に「桃の花まつり」を開催しています。普段は月1回開催している朝市を、この時期は土日2回の4日間ミニ朝市を開き、桃の花畑までの道には出張朝市も出しています。市内の他の団体と連携して実施していますが、今後はもっと多くの任意団体やNPO法人と連携して、より多くの観光客に来てもらえるように発展させようと考えています。
小野さんは活動を広げていくにあたり、家族や団体のメンバー、地域の人たちとの話し合いを地道に行っています。朝市の開催や常設店舗の開設では、駅前の関係者は初め協力的ではありませんでしたが、一生懸命活動を続け、駅前商店会に加入する等つながりを深め、理解者を増やしています。山梨市をより暮らしやすい活気のあるまちにしていくために、賛同者を広げて成果をだしています。
(平成22年度インタビュー、平成24年度追記し掲載)