引っ越しをきっかけに地域活動へ
大学卒業後は県教育委員会にて5年ほど非常勤講師として勤務しましたが、警察官の夫との結婚を機に退職しました。長女出産後、叔父が経営する建設業の会社で経理事務に就きましたが、夫は仕事の都合上転勤も多く、そのたびに一家で県内各地の官舎へと転居しなければならなりませんでした。子どもが小学校に通い始めたころ、このまま転居が続く状況は、子どもにとってよくないのではと、現在の高松市十河(そごう)地区に自宅を構えることにしました。講師をしていたこともあり、教える楽しみや喜びを感じていたことから、自宅を使って小・中学生を対象とした個人経営の学習教室を始めました。周辺が住宅地へと変わり、子どもの数も増えていきました。自宅にいる時間が増えたため、地元自治会の役員を引き受けたり、学生時代の経験を買われ、地域の婦人バレーボールクラブに誘われたりなど、地域での活動も増えていきました。
PTA活動と周囲のサポート
長女の小学校入学後、バレーボールクラブに参加していたためPTAの役員(保健体育部部長)となり、長年にわたる吉田さんのPTA活動がスタートしました。
月に3〜4回のPTA活動は平日の午後から夕方にかけてが多く、学校でPTA活動をしてから自宅に戻るやいなや学習教室で指導、終わると急いで運動着に着替えて、夜の体育館でバレーボールで仲間と汗を流す、という生活が続きました。今考えたらぞっとするほどの活動量でしたが、それを乗り越える支えとなったのは、家族とバレーボール仲間の存在でした。
PTA活動における大きな節目は、保健体育部部長から続けて引き受けた副会長職です。これをきっかけに、県PTA連合会役員、母親委員会委員長なども引き受けることとなり、全国大会や東京での会議への出席などで家を空けることもたびたびありました。そのようなときには、バレーボール仲間が子どもを預かり、サポートしてくれました。仲間同士で集まるときには、それぞれの家族や夫を巻き込むなど、家族ぐるみの顔が見える関係を作っておくことで、都合の良い関係ではなく、お互いの家族を安心して任せたり任せられたりできる関係ができました。夫のサポートも大きく、警察官のため、変則的な勤務時間となることが多い反面、勤務明けは丸一日空くことから、普段から家事にはよく協力してくれました。夫がPTA役員を受けるときもあり、PTA活動には第2子が高校を卒業するまで関わりました。
競技スポーツから生涯スポーツへ
30代後半に入りバレーボールを続けるなか、指導者としてもさまざまな講習を受け、体育指導員などの資格を取得しました。このとき高松市で指導者研修を受けた女性は12〜13人ほどで、女性指導員としては第1期生でした。
この学びがそのままになってしまうかもしれないことを惜しく感じていたところに、市職員から、同好会をつくって、スポーツを通じて仲間づくりをと、市内の生涯スポーツ体制づくりに対する後押しがありました。これを受けて、高齢者の健康づくりに貢献できるように、キャンプやフォークダンスなどのレクリエーションを含め、地域のコミュニティ活動の一環としてのスポーツの振興を図るため、1980年に仲間と共に高松市コミュニティ・スポーツ指導者会を立ちあげました。
女性の会の新たな試み
吉田さんは、2005年に地元の十河地区女性の会の会長就任の打診を受けていましたが、急遽ペースメーカーの埋め込み手術を受けることになりました。手術直後はマイナス思考になり、「この状況では会長は受けられないな」と思いましたが、体力が回復して気持ちも徐々にプラス思考に変わり、やはり会長を引き受けることにしました。
2011年現在、十河地区女性の会は会費を集めていません。吉田さんが会長を受けた前後は会員の高齢化が進みつつあり、会員は仕事量の多い役員を受けたがらず、就任を避けるために周囲を巻き込んで、まとまった人数で退会することもたびたびありました。そんな危機的状況のなかで会長を引き継いだ吉田さんは、新たな試みとして、会費の徴収をなくすことを提案しました。女性の会を自治会女性部として組織の中に位置づけてもらうことで、自治会の助成金やバザーによる収入で女性の会の活動資金をまかなうことにしたのです。「組織の一員として認めてもらうためには、公の仕事も持ってこなければなりません。保健委員会、日赤奉仕団、女性防火クラブ、その他にもゴミ収集所や川の清掃、さまざまな自治会活動に女性の会が全部関わってきました。いずれは自分たちが思うことをやっていく会にならないといけないとは思っているのですが…。」と吉田さんは語ります。
「人の和、心の環、地域の輪」
十河地区の人口は引っ越してきた当時は4,000人ほどでしたが、今では田園地帯も住宅地に変わり、約2倍にまで増えています。新しく十河地区に迎えた住民を地域活動やコミュニティのなかにいかに取り込むかが現在の課題です。
2010年、市の「ゆめづくり提案事業」募集に対し、十河地区コミュニティ協議会として「ふるさと十河音楽祭」の企画提案をしたところグランプリを獲得し、3年間の補助金を受けられることになりました。この事業は音楽祭の開催を通じて地域のつながりを深めるとともに、新しい地域住民に対して自治会の加入促進につなげようというものです。
実行委員長を選出するにあたって、「女性が裏方でやるだけではなく、アイディアを出すチャンス」と、吉田さんは思い切って手をあげ、実行委員長となりました。企画・運営はコミュニティ協議会のなかの実行委員会が担当しました。音楽祭には地域の小・中学校音楽部や吹奏楽部、中高年男性の「おやじバンド」をはじめ16団体と個人が出演、約500人が参加、地域のさまざまな年代や立場の住民が参画して作り上げた地域の一大イベントとなりました。
後進の育成に向けて
吉田さんとともに活動する仲間のうち、40代、50代の仲間はPTA役員の任期が切れると地域活動との関わりが切れてしまうことが多いといいます。今後は、3世代交流を進め、子どもたちの世代、その親世代を地域活動に巻き込みたいと考えています。活動するなかでいろいろな人に支えてもらった分、今度は自分がバックアップに回って若い世代の活躍の場を作りたいと思うからです。
スポーツを軸とした人間関係・つながりは「宝物」であり、活動そのものは「命の恩返し」と考えています。時間の余裕ができたら、誰でもお茶を飲んでおしゃべりできるようなサロンをコミュニティセンターに開けたら、と今後の新たな活動に向けても意欲的です。
(平成22年度インタビュー、平成24年度掲載)