女性センターライブラリーの情報エキスパートとして働く~木下みゆきさん

女性センターライブラリーの情報エキスパートとして働く~木下みゆきさん
<プロフィール>
大阪府出身。大学に進学後、企業に就職。2年後に退職し、「つくば科学万国博覧会コンパニオン」となる。その後さまざま職を経て、大学図書館の嘱託職員(司書)に。1994年大阪府立女性総合センターを管理運営する大阪府男女共同参画社会づくり財団(現大阪府男女共同参画推進財団)職員となる。働きながら大学院に進学し修了。現在、大阪府男女共同参画推進財団企画推進グループアシスタントディレクター兼情報総括チーフ。(40代)
木下みゆきさんのこれまでと
生涯学習との関わり
大学を卒業後、企業に就職
「つくば科学万国博覧会コンパニオン」に応募し合格。色々な研修を受け、女性たちに刺激を受ける。
さまざまな職を経験しながら、大学の通信教育で司書の資格を取得し、図書館の嘱託職員(司書)に。
大阪府男女共同参画社会づくり財団(現大阪府男女共同参画推進財団)職員となる。
働きながら大学院に進学、修了。
女性センターライブラリーの情報エキスパートとして働く~木下みゆきさん
拒食症と闘った学生時代・問題意識もなかったOL時代

  生まれも育ちも「こてこての大阪人」と自称する木下みゆきさんは、現在、大阪府立女性総合センター(愛称ドーンセンター)の企画推進グループアシスタントディレクター兼情報総括チーフを務めています。
  両親、祖母からかわいがられて育ち、小学・中学校では優等生でした。トップクラスの高校に進学しましたが、周りは全て優等生という環境に挫折を味わい、物が食べられなくなりました。今でいう「拒食症」です。当時はそのような言葉もなく、原因がわからないまま「自分で立ち直らなければ仕方がない」と思いながら3年間を過ごしました。暗い高校時代を引きずったまま入学した大学では「しんどさを共有できる友達」に出会います。大学の社会奉仕団体にも所属し、男子学生とともに活動をしました。それまで「女の子らしく」と育てられてきた木下さんにとって、男子女子の区別なく活動できることは心地よい環境でした。しかし、フェミニズムという言葉さえも知らなかった大学時代、働く意識は高くありませんでした。母親は専業主婦であったし、身近に働く女性のロールモデルもいませんでした。就職は「社会勉強のため」というぐらいにしか考えず、一般の会社にOLとして就職しました。
  就職した会社では、女性社員は「〜ちゃん」と呼ばれたり、一人前に扱ってもらえなかったりもしましたが、特別嫌に思うこともありませんでした。「仕事に役立つから」と上司に勧められて簿記の資格も取得しました。OLの仕事には何の不満もありませんでした。転機は2年経ったときに訪れました。新聞に掲載された「つくば科学万国博覧会コンパニオン募集」の記事を見つけたのです。24歳でした。小学校5年生の時、地元の大阪で開催された「大阪万国博覧会」で見た「コンパニオンのお姉さん」は、木下さんの「あこがれ」でした。受かるかどうかはわかりませんでしたが、応募してみたら合格。会社の人からは、祝福と激励を受けて退職しました。

新しい生き方との出会い

  つくば科学万博での経験がその後の木下さんの生き方を大きく変えることとなりました。開催前に行われた数々の研修とそこで出会った女性たちの姿から、今まで自分が「井の中の蛙」であったことを思い知らされました。「就職後は結婚」としか考えていなかった木下さんは、彼女たちが博覧会終了後の目標をすでに見据えて、生き生きと行動していることに衝撃を受けたのです。「親とは、『博覧会が終ったら大阪に帰って結婚する』と約束をして家を出てきたのですが、筑波にいる間に結婚する気持ちは全然なくなりました」と木下さんは、当時を振り返って笑います。もちろん親は「約束が違う」と激怒。母親からは「わたしの娘は27歳で死んだ」とまで言われたそうです。
  大阪に戻った木下さんは、とにかく自分で生きていかなければならないと決意し、正規職員の仕事を探しながら、予備校の講師など、さまざまな職業を経験しました。その中で、図書館も好きだったこともあり、大学の通信教育で司書の資格をとったところ、大学図書館の嘱託司書として働くことになりました。そこで女性図書館員のグループや、京都の松香堂書店との出会いから、女性センターという仕事は面白そうと思っていたところに、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)の建設計画と職員募集を知ったのです。そして応募し、正規職員として採用されました。

情報ライブラリーのエキスパートとして

  ドーンセンターでは、開設当初から現在に至るまで情報ライブラリー(女性関係情報の専門情報センター)を担当しています。図書館の司書時代は、粛々と裏方に徹するのが図書館員の仕事だと思っていました。その視点を変えたのが、開設当初から一緒にライブラリーを担当した尼川洋子さんでした。講師やハンドブックの執筆など司書の枠を超えて、さまざまな経験をさせてもらうことができ、木下さんにとって、尼川さんは一緒に仕事をしながら人の能力を引き出してくれるすばらしい先輩だと思っています。
  そのような経験を積みながら、ドーンセンターのオープンから数年は、とにかく忙しく夢中で働いていました。仕事が落ち着いてきた4年目のころ、「実践してきたことを体系化し、まとめたい」と考え始めました。そのようなときに、「現職図書館員の自己研修の場」として大学院が紹介された雑誌記事を見つけたのです。「これってわたしのことやん。わたしが行かなきゃ、他に誰が行くのん?」と、心は決まりました。大阪教育大学大学院教育学研究科に入学し、自分が実践しているドーンセンター情報ライブラリーを基盤に、地域の図書館の現状を調査・研究をしました。木下さんが図書の専門分野にジェンダーの視点を取り入れたことは担当教授も関心を持ちました。教授の後の著書には「女性センター」という言葉が入るようになるなど木下さんの存在が影響を与えたそうです。大学院での研究が、実践事例研究『女性センター情報ライブラリーにおける地域ネットワークの現状』としてまとまり、国立女性教育会館研究紀要5号に投稿したところ、審査を経て掲載されました。自分が考えていること、研究していることを社会に発信し、多くの人に読んでもらいたいという思いがかなったのです。その後再び10号にも『NPOと女性センターの協働による情報機能に関する一考察:大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)情報ライブラリーにおける実践をもとに』を投稿、掲載されました。共著の堀久美さんとは、夏に国立女性教育会館(NWEC)で開催されたフォーラムの帰りの電車の中で構想を練り、研究ジャーナル掲載を目標にして書き上げたそうです。

これからの課題

  昨年、大阪府の大赤字による「ドーンセンター廃止の危機」という激震ニュースが走りました。存続とはなったものの運営の見直しが要求されています。木下さんは、そのような状況下で、50代を目前にして今後の自分の人生を新たに考える時期に来ていると思っています。ドーンセンターの行方とともに、組織のあり方、自分の立ち位置などを考えなくてはなりません。将来が見えず辛い毎日ですが、「けれど一緒に考えてくれる仲間がいます」と木下さんは明るく笑いました。


木下みゆきさんの掲載実践事例報告

「女性センター情報ライブラリーにおける地域ネットワークの現状」 『国立女性教育会館研究紀要』第5号
「NPOと女性センターの協働による情報機能に関する一考察」 『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号

(平成20年インタビュー)

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