夢を変えながらたくましく生きる~製薬会社正社員から起業家的仕事へ~自然食品販売 大村友里さん

夢を変えながらたくましく生きる~製薬会社正社員から起業家的仕事へ~自然食品販売 大村友里さん
<プロフィール>
家族で運営する自然食品販売のお店で、仕入れと販売を担当しています。高校卒業後、製薬会社に正社員として就職。勤めながら青年団で積極的に活動し、地域社会とのつながりを深めるとともに、豆腐料理屋の出店を計画。しかし土地がみつからず行き詰まっていた折、父親が起業。現在は会社に出資しつつ豆腐販売部門を手伝っています。(30代)
大村友里さんのこれまでと
生涯学習との関わり
商業高校で情報処理を学びつつ、アナウンサーを目指して準備を進める。
アナウンサーを諦め、県内の製薬会社に就職。
会社で働きながら、地域に青年サークルを立ち上げ、青年どうしが交流する場の企画運営に励む。
静岡県青年団連絡協議会が主催する「青年の船」に役員として参加。これをきっかけに、県の青年団活動に積極的に関わっていくようになる。
岡部町のまちづくりグループ「豆腐の里研究会」に参加。活動から着想を得て、豆腐料理の店の開業準備を開始。
父親の会社が破綻。父親が新しく設立した会社の出資者の1人に加わり、豆腐の部分を担当させてもらうことに。
新会社設立と結婚という転機を迎え、退社。現在の仕事に専念。
夢を変えながらたくましく生きる~製薬会社正社員から起業家的仕事へ~自然食品販売 大村友里さん
健康食品店の仕入れ販売  −経営者的視点から仕事を楽しむ−

  大村さんは、2004年に開店した静岡県焼津市にある自然食品店で、仕入と販売の仕事を担当しています。お店で扱っている商品は、パン、麺類、調味料、卵、牛乳、納豆、豆腐など。豆腐は、安全な水と原料を使う名古屋のお豆腐屋さんから仕入れています。その他に、浄水機の販売とメンテナンス、備長炭の販売、備長炭の販売や埋設工事の仲介なども行っています。
  店を経営するのは父親ですが、大村さんも開店資金の一部を負担し、起業のプロセスから参加してきました。接客も仕入も経験がなかったので、最初はやっていけるのかどうか不安でした。でも、この仕事の楽しさは、お客さんとのやりとりで、人との付き合いが好きな大村さんにとっては、あっているようです。

アナウンサーにあこがれた高校時代

  お茶とみかんの産地である静岡県の志太郡岡部町で生まれ育ちました。高校時代は、自宅からバスで約40分かけて静岡市にある商業高校に通い、情報処理を学びました。岡部町から見ると、静岡市は都会。中学では生徒会等で活躍していた大村さんでしたが、高校では自分が小さい人間に思え、クラスではまじめでおとなしい人で通っていました。しかし、本当は話をするのが好きで、NHKの加賀美幸子アナウンサーにあこがれ、中学のときから将来はアナウンサーになりたいと思っていました。
  商業高校ということで、就職に対しては学校側の強力なバックアップがありました。アルバイトも許可されており、職場体験や月1回の適正検査も実施され、就職に関する講座や本もそろっていました。
  当時は、まだバブルがはじけた直後で就職状況は良好でした。アナウンサーを目指す大村さんは、地元静岡の放送局を志望。高校2年生の頃から具体的に準備を進めましたが、放送局には、市内在住で朝4時までに出勤できる人という条件があることが判明。迷った末、結局、校内選考を辞退してしまいました。その後、先生が県内の製薬会社を勧めてくれ、大村さんはアドバイスに従って、そこに正社員として就職しました。

製薬会社に就職する

  入社した製薬会社は、医薬品とトイレタリーという2つの部門に分かれており、大村さんは医薬品の包装工程に配属されました。最初は流れ作業の機械を操作するオペレーターでした。その後、GMP(=Good Manufacturing Practice 医薬品の製造管理及び品質管理に関する基準)の資料作りを担当し、新しい機械を導入するときに必要な資料を作成しました。さらに、全ラインを統括するライン管理に移り、ラインごとに包装資材の種類や品数を指定する指示書の作成を担当しました。
  入社時の同期は、男性の方がやや多めで、全部で約200人。正社員採用のピークでした。現在(2005年)は、女性にはパートタイムの仕事しかなく、正社員としての採用は、研究職のみだといいます。勤めて10年目ぐらいまでは、「女性は途中で辞める」という声も聞こえてきましたが、日常的に仕事をする上では特に不都合も感じず、産休も取りやすいので、正社員の女性には、それなりに恵まれた環境でした。大村さんは、仕事を始めるときに、仕事と余暇をはっきり分けたいと考えました。そのため会社はお金を稼ぐところと割り切り、貯まったお金で好きなことをしようと考えていました。

青年団でネットワークを広げる

  1994年(22歳)、大村さんは地元の青年団の活動を始めました。父親がかつて役員をつとめたほど熱心だった影響で、誰もが青年団に入るものだと思っていたそうです。ところが、残っているのは名前だけで、活動は休止中。仕方がないので、同級生を集め、5人で青年サークル「森のたね」を発足、活動を再開させました。最初は、青年団の理念など全くわからないまま、旅行やバーベキュー、カラーコーディネートの勉強会など、メンバーどうしの交流の場を企画運営することに専念していました。
  やがて人数も増え、メンバーの関心は仲間内の交流から地域へと徐々にシフトしていきました。そのように活動していた2000年(28歳)ごろ、静岡県青年団連絡協議会の「青年の船」という事業に役員として参加。これをきっかけに、大村さんの活動範囲は岡部町から県の青年団にまで広がり、青年団の理念も学んで、ますます活動にのめり込むようになりました。翌年には県の常任理事を1年間務め、さらに副会長を2年間、事務局長を1年間、最後に副会長を1年間と、全部で5年にわたって県青協の仕事をすることになりました。

お豆腐のお店を目指す

  青年団で、教育委員会や県のプログラムに関わるうちに、岡部町のまちづくりグループである「豆腐の里研究会」に誘われました。岡部町は、昔からお豆腐屋が多い町です。研究会では、減りつつある岡部町の豆腐を見直し、これを新しい「町の顔」として立ち上げようと苦心していました。研究会に参加するうちに、大村さんは、大好きな岡部町で、小さな豆腐料理の店をやってみたいと思うようになりました。ところが、応援者もおり実現間近のところまで来て、肝心の土地がなかなか見つかりません。
  そんな折、2003年の12月に、水の浄化を請け負っていた父親の会社が破綻。父親は再就職を考えていました。しかし、静岡県に住む多くの顧客から、ぜひとも再開してほしいと懇願され、家族・親戚の協力もあり、関係者とよく話し合った上で、今の会社の設立を決意しました。
  会社設立を決めた父親に、大村さんは豆腐屋を開くという夢があることを話し、今はまだ自分で店を出せそうにないので、店をやるなら豆腐の部分を任せてもらえないかと持ちかけ、出資者の1人に加わりました。2004年9月、自宅を事務所がわりにして、新会社がスタート。結婚という転機も迎え、大村さんは2005年3月末に13年間勤めた製薬会社を退社しました。

起業をするということ

  将来の進路を迷っている人は、「環境や世代の違う人と会って視野を広げることが大事」といいます。これは大村さんが青年団活動で得たことです。仕事については、「自分の中に何か信念がある人は、独立して起業したほうがいいと思う。会社員のほうが、責任も軽く、時間とお金の交換に近い。その方が安全でいいという人もいるが、私は満足できなかった。でもその状況を脱することができたのは、協力者と出会えたおかげ。目標があるなら、色んな人にあって話しをし、自分からチャンスの種をまくことが大事」と語ってくれました。

(平成17年度インタビュー、平成19年度掲載)

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