小学生の頃から「医者」を志望
吉田さんは小学生のころはスチュワーデスになりたいと思っていたそうです。しかし高学年になるにつれ、育ったところの近くに病院がなく両親が苦労していたこと、テレビでベトナムの女医さんが、船に乗って各家庭を回って歩くといった、地域医療に従事する姿を見て印象的だったこと、そして父が家庭の事情で断念したが、医者を目指していたことなどから、医師になりたいと思うようになりました。
高校は県立高校に進学。男子と女子の割合は3対1だったそうです。医学部を目指していた吉田さんは理系クラスに入りましたが、女子の8割が文系に進むため、理系クラスの女子は少数で、物理を選択した女子は、吉田さん一人でした。高校は当時自由な雰囲気で、進路指導も情報提供もほとんどなく、生徒は自分で調べて行きたい大学を決めていました。家庭の経済状況から国立を目指していましたが、社会科は地理を選択したため、受験できる大学が限られました。そして一浪してもよいと考え、東京大学を受験。結果浪人し、翌年合格し、進学しました。
医局の生活
東京大学理科III類に入学したのは90名、内3名が女性でした。医学部への進学となりますが、理科II類から入ってくる女性がおり、10名くらいになって少ないとは感じなかったそうです。
専門を選ぶときには、体を動かし、手を動かして病気をなおしたいという思いがあったため、外科を希望しました。外科には一般外科、胸部外科、脳外科、整形外科、産婦人科などがありますが、当時の東大はまだ保守的で、メインの外科に女性はほとんどいませんでした。このため、産婦人科ならば患者は女性、お産にも携わりたかったことから産婦人科を選びました。
卒業と同時に東大の産科婦人科の医局に入りました。医局ではほぼ1年単位で、医局と外の国公立の病院を交互に勤務します。医局勤務は激務と思われがちですが、当時は医局での1年目、2年目の仕事内容が決まっており、それを同期の人数で分担することになっていました。吉田さんのときは同期が12名とたくさんいたため、そんなに大変ではなかったそうです。
医局を経て、1990年に結婚、翌年、夫と現在の吉田産科婦人科医院を開業しました。
多忙な毎日
吉田さんの毎日は非常に多忙です。子どもが生まれるまでは、ベッド数19床の産科で、年間の出産件数が1,000件を越えていました。夜のお産も日常的にあり、そのほかに手術もあり、365日、家をあけることがなかったそうです。
1995年に、双子を出産。その後は常勤の医師も入り、出産件数も900件以下にしています。けれども2004年所沢に、不妊治療中心のレディスクリニックを開業したため、忙しさは今も変わりません。
現在の吉田さんの仕事は主に外来患者の治療、お産、不妊治療の3つです。
通常は朝8時半ころから夜の8時まで仕事。午前中吉田産科婦人科医院、午後さくらレディスクリニックといった感じで仕事をしています。
そんな多忙な吉田さんですが、「一にも二にも仕事。仕事が面白くて仕方がない。天職だと思っています。」と言います。最近、患者さんのニーズとして女医さんに診てもらいたいということがあり、吉田さんを希望する方がとても増えているのだそうです。
子育てしながら働く
そんな多忙な吉田さんが、双子の子を育てるにあたっては、ベビーシッターを2人雇ったそうです。そして心がけているのは「朝はきちんと子どもに食べさせる。そこだけは徹底しています。あとは弁当とか。野球をやっていますから、だから野球に行くときは、朝起きて弁当をつくってあげるといったことはしています。」と話してくださいました。そして、保護者会や授業参観は極力行くことにしているそうです。
一生できる仕事を選び、続けるためにできる限りの努力を
女子中高生の進路選択に向けて吉田さんからは二つのアドバイスをいただきました。
ひとつは「一生できる仕事を選ぶこと。可能であれば男女の区別のない仕事を選ぶこと」です。昔父親に「仕事の見返りとしては精神的なものと、物理的なものがある。精神的に満足していても物理的に満足できないと、精神的にも満たされなくなったり、達成感を感じなくなることがある」と言われたことを、よく覚えているそうです。そういう意味で、吉田さんは医師というのはよい職業と考えています。
もうひとつは、「一生仕事を続けるために、できる限りの努力をすること」です。女性は子どもをもったときに、子育てと仕事の比重のかけ方に迷うことがあります。たとえ仕事を中断したとしても、そのブランクを埋めるためにどれぐらい努力できるかで、その人の仕事に対する真価が問われる、と吉田さんは言います。理系の仕事、特に医療の仕事は日々進歩しているため、常に最新の医療を勉強し、実地に携わっていることが求められます。「子どもを持って仕事を続けたいと思ったら、お金をかければ子どもを大事に育ててくれる人もいますから、そういうところに惜しまないで使って、それで子どもに愛情をもって育てる。そして仕事も続けるという、非常に欲張りなのですが、そういうふうにして行かないと、こういう理科系の仕事は中途半端になるのではないでしょうか。」と話してくださいました。
(平成18年度インタビュー)