文系で受験し、入学後に理系を専攻
平田さんは小さいころから学研の雑誌「科学」が大好きでした。何かに打ち込んだり夢中になったりということはありませんでしたが、「考える」ことが好きな子でした。
高校は、高校の教師をしていた父親の意向で、家から一番近い公立の学校に進学しました。ほとんどの生徒が就職か専門学校に進むため、大学進学に向けてのガイダンスなどはまったくなく、また文系理系の選択もありませんでした。高校で一番好きな科目は家庭科でした。縫い物や編み物が好きだったため、家政科に進むことも考えましたが、親に「就職に困るのでは」と言われ、次に好きだった生物の方面に進もうと思いました。けれども理系の科目が高校で十分に学べなかったため、文系で受験して入学後に理系を選択できる大学を探しました。その結果選んだのが、広島大学総合科学部でした。高校から国公立大学に進んだのは平田さん一人でした。
卒業研究で研究の面白さに目覚める
広島大学での専攻は生命科学。大学に入った当初は「研究者」という職業があることも知らなかったため、将来自分が研究者になるなどまったく考えていませんでした。実習や実験も苦手で、人と一緒に実験をすると自分だけが最後になってしまい楽しいものではありませんでした。
ところが卒業研究に入り、自分の考えたとおりに実験をすすめるようになってから、急に研究が楽しくなりました。そして、卒業研究開始から1ヶ月後には、大学院に進むことを決めました。自分で仮説をたて、実験を組み立てることの醍醐味を卒業研究で知ったのです。
修士課程では生理学の研究室に在籍。もともと「不思議」に見えるものを数式で説明したり、法則を発見することが好きで、どちらかというと生化学的な分野が好きでした。研究室では貝にいろいろな薬品をかけて筋肉の伸び縮みを調べていましたが、実際に貝の体内で筋収縮を調節している生理活性物質は何なのだろうかと興味をもち、その解明に挑みました。毎朝、教授と広島湾で貝を採取し、何十万個という貝を調べていき、その結果、筋肉の伸び縮みには新規ペプチドが作用していることを発見。たぐいまれな探究心と好奇心が実を結んだのです。
修士課程修了後は、京都府立医科大学大学院の博士課程に進み、神経発生学を研究。博士課程修了後は学術振興会の特別研究員となり、研究奨励金を支給されながら大阪大学医学部病理学教室に1年半ほど在籍。その後名古屋大学で6年間助手をし、1999年、静岡県三島市にある国立遺伝学研究所に移りました。
脳の神経回路を研究
現在の平田さんの研究内容は、脳の神経細胞の回路を解明するとうものです。脳は膨大な数の神経細胞がつくる回路からできていますが、この回路の配線の正確さが、動物の行動や思考といった高次脳機能の基本となっているそうです。研究室では、「神経細胞が誕生し、突起を伸長して、標的細胞と神経回路をつくる」という複雑な発生過程を、どのような遺伝子が制御しているのか研究して います。
また、国立遺伝学研究所は総合研究大学院大学生命科学研究科の遺伝学専攻を担当しているため、大学院学生の教育も行っています。実際に講義をすることは年に何回もありませんが、研究を通して大学院生を指導しています。
孤軍奮闘の子育て
平田さんは大学院博士課程2年生のときに結婚、翌年女の子を出産しました。夫は大阪で仕事をしているため、大阪大学に在籍した1年半を除いてほぼずっと別居生活で、子どもは平田さんがほとんど一人で育ててきました。名古屋大学にいたときは、公的な学童保育がなかったため、親たちで指導員を探したり、保育室を借りたりと運営に携わりました。学会などで出張する際には、出張先でベビーシッターを手配し、ホテルで子どもの面倒をみてもらったそうです。そのため学会があるたびに、アンケートなどに「託児室をつくってください」と書いてきました。平田さん自身は利用できないうちに子どもは大きくなりましたが、その甲斐があってか、現在では託児室が用意されている学会会場が増えたそうです。「みなさんが尻込みしないでも大丈夫なように、今後は研究環境の育児支援も拡充されてゆくはずです。よくばって豊かな人生を歩んでくださいね。」と平田さんは話してくださいました。
研究者は、毎日何か発見がある、いい仕事
中高生の段階で研究者になることを決めるのは早すぎるかもしれないと平田さんはいいます。「絶対にやってみてから決めたほうが良いと思うし、私がそうだったように、今授業が嫌いだとか、実習が嫌いだといっても、すごく向いていたり、楽しくなる人もいます。」と伝えたいそうです。
平田さんが考える、研究者に向いている人は「探究心、想像力、知的好奇心があり、考えることの好きな人」です。
そして平田さんは研究者という仕事を「好きだったらすごくいい仕事だと思います。楽しいですよ、すごく毎日。毎日何か発見があるし、自分が思う通りに思うことができるのではないですか。自分が知りたいことが知ることのできる立場にある、試せる立場にある。すごくいい仕事だと思いますよ。」と話してくださいました。
(平成18年度インタビュー)