携帯電話のゲームを作る仕事
皆さんがいつも手にしている携帯電話のゲーム。それはどのように作られているのでしょう?
ゲームの開発には多くの人が関わります。ゲームのコンテンツ・ストーリーを企画する人、ゲームの絵を描くグラフィックデザイナー、その絵を動かすプログラムを考えるプログラマーです。これらの人たちが連携してゲームが出来上がります。家庭用のゲームになると、企画から完成まで2年半といった時間がかかることも少なくありません。
そしてゲームが完成するには、ゲームのコンテンツを作るための資料収集、設計図の作成、ゲームの内容・デザイン・音楽の選択、スケジュールの調整、できたゲームの試作や確認、広告やゲームショーへの出展準備、雑誌などへの取材応対、予算管理など、ゲームの内容やメカニズムを知ってコーディネートする人が必要です。樋口さんは、そうしたゲームの企画から完成までに関わる仕事をしています。
阪神淡路大震災での転機
樋口さんは、ゲーム開発のために、特別な勉強をしてきたわけでも、ゲームにこだわっていたわけでもありませんでした。ただ、自分の頭で考えたことを形にしたいとの思いをずっと持っていたのです。
実は樋口さんは高校の時、理系を選択はしていましたが、大学は得意な数学を活かして経済学部に進んで、楽しく遊べる大学生活を送りたいと思っていました。しかし、高校3年生の夏、技術者の父親から「将来何になるのか、ちゃんとした理由がなければ大学にはいかせない」といわれて、自分はずっとどうしたかったのだろうということを考えます。そして身近にある理系で、生活に密着して人の役に立つものが作れそう、手に職をつけることができそうと考えて、応用化学を学ぶことにし、自宅から通える私立大学の工学部応用化学科を受けたのです。
大学入学後は、塾で小・中学生に、小さい頃から好きだった理科を教えるアルバイトに精を出しました。また学生生活を楽しんだ結果、大学3年の時、留年が決定してしまいました。その時、転機が訪れました。阪神淡路大震災です。それまで当たり前に思っていた生活が一瞬にして消え去り、元気だった友人が亡くなりました。このとき樋口さんは、それまでの自分の生き方を根底から考え直しました。「きちんと大学を卒業して、社会に出るという苦労を味わおうと思った」のです。
ゲーム会社に就職
折しも就職氷河期といわれた時期。樋口さんは、それまでの自分の経験を活かせる会社がどこかにはあるかもしれないと思い、水産、衣食住関連、ゲーム・コンピュータ関係、新聞、テレビと業種を選ばず就職活動をしました。そして、最終的に残ったのがゲーム会社だったのです。そこで樋口さんは、「人が殴ったり蹴ったりするゲームは何も残らない、でも例えばロールプレイングゲームの呪文で英単語が覚えられた、勉強と遊びを近づける、こういう切り口で新しいゲームを作りたい。」という自分の経験を話し、採用されました。
徹夜し会社に泊まって働く状態からの転職
大手のゲーム会社に入社し、ゲームの企画・開発チームに入りました。そしていきなりこれ特許とっておいて、これ商標登録しておいてなど、やったことのないことを次々と言われたそうです。いつもノートとペンを持ち歩き、先輩に仕事の仕方を聞きまくりました。「真っ暗闇の中を走らされている」ような状態でしたが、1年間経って、人に聞かずに仕事ができるようになっている自分に気がつき、本当にいい経験をしたと思っているそうです。
しかし、残業が増え続け、3年目には土曜・日曜も家に帰らない、会社に「住んでいる」というような状態になりました。樋口さんは「それでも3年はいないと、と思っていました。どんなに辛くても、最初の1年頑張ったときに少し光明が見えたのと一緒で、3年やると何か変わるし、自分に役に立つ」と考えたそうです。そしてその3年間が過ぎ、自分のこれから先の人生で仕事しかしない人生でいいのか、と考え始めました。そして「この生活は、仕事と普段の生活の両立ができないので見直そう。仕事だけの生活を続けて結婚できないと、後悔するかもしれない。まずは仕事を改めよう」と考え、小規模の携帯電話のゲーム開発をする会社に転職しました。そして考えたとおり、時間的なゆとりができて、出会いがあり、結婚しました。その後出産し、子育てをしながら働き続けています。現在は、転職した会社がゲーム開発を止めてしまったため、さらに会社を変わりましたが、ゲーム開発の総合プロデューサーを務め、9時からみっちり働き、6時には退社。子どもを保育園に迎えにいく毎日です。最初は、仕事の相手先とのやりとりが、6時以降は翌日の対応になるということが許されるか、不安に思っていたのですが、実は他のところがきちんととしていれば、先方がそれに合わせてくれることがわかったそうです。そして現在、自分自身が理科を勉強したいと思い、毎週土曜日の午後、塾で小学生に理科を教える仕事も再開しました。
悩むのではなく考えることの大切さ
樋口さんが、今までで一番悩んだのは高校の時。「大学に入学して初めて社会に出て道が拓ける、だから、いけなかったらどうしよう」と思っていました。けれども、これまで生きてきて、「何もしないと何もならないが、何かすれば何とかなる」と思うようになりました。悩んでいる時間をどうすればよいのか、悩むのではなく考えることが大事だといいます。
でも考えるとは?樋口さんはゲーム業界に入ってからわかったことがあります。ゲームを開発するときには、フローチャートを使います。Aボタンを押すと次の画面に進んで、Bボタンを押すと前に戻る。ひとつを選択したら進む。これを自分の人生でも活用できるのではないかと思ったのです。例えば理系を選ぶか文系を選ぶか。理系を選んだら次はどうなるのか、どんな選択肢が待っているのか。漠然と悩むのではなく、具体的な選択肢を出してみる。具体的な流れをイメージし、フローチャートで選択肢を考え、対処できる生き方を決めていく。それが考えることだといいます。「結婚した途端に、私には離婚の選択肢ができました。相手との問題ではなく、離婚は選択肢として存在するということ。だから、それにも対応できるように、私は働き続けています。でも、大切なことは、自分の人生の最終目標をイメージすること。ちょっとした夢は忘れずに持っておくこと、書きとめておくことも大事」と話されました。
(平成18年度インタビュー)