南極に行きたい
坂野井さんは中学生の頃から地球の自然環境が好きで、ヒマラヤや砂漠、南極など地球の珍しいところに行きたいと思っていました。ちょうどその頃越冬隊員が書いた本を読んだり、NHKの「地球大紀行」を見たり、南極観測隊に初めて女性の夏の隊員が出たことなどが重なり、南極に行きたいという思いが強くなりました。
高校は県立高校に進学。男性2対女性1の割合でした。中学から南極に行きたいと思っていましたが、国語が得意だったこともあり国文科に行こうかと迷ったこともあるそうです。けれども最終的に南極への道を目指します。
高校の先輩から「東北大学に行くと南極に行ける」という情報を得、大学は東北大学理学部に進学、地球物理を専攻しました。当時理学部の物理系に在籍する女性の割合は約1割、地球物理専攻は2割程度だったそうです。
大学院博士課程に在籍、女性初の南極越冬隊員へ
南極に行ったのは博士課程の1年生、26歳のときでした。当時は博士課程の学生にならないと南極には行けませんでした。越冬期間は1年半。総勢60名のうち女性は2名、日本人初の女性越冬隊員です。南極ではオーロラの観測をしました。
研究者で南極に行く人はめずらしくなく、南極に行ったことそのものが直接将来の展望にはつながらなかったと言います。南極に行ったことの利点としては、講演会や一般の方に話しをする機会が増えたことでアウトリーチ(啓発活動)の能力が培われたことだそうです。
博士課程卒業後の就職
博士課程の3年生の頃から将来の就職先が見えず、「3年後に自分は何をやっているかわからない」という不安が常にありました。博士課程を修了した後、坂野井さんは3年という任期つきの研究員として独立行政法人情報通信研究機構に入りましたが、決まらない場合は1年契約の職につくこともあるそうです。それというもの当時、政府が「ポストドクター等1万人計画」を推進し、大学院生を増やし、卒業後の職場として任期つきの臨時雇用的な研究職までは整備したものの、国立系の研究所などのいわゆるアカデミックポストの就職先が増えなかったことによります。
坂野井さんは任期つきの研究職を1回経ただけで、駒澤大学に就職しましたが、これはごく稀なケースで、通常は任期つきの臨時雇用的な研究職を2回、3回と経てうまくいけば就職という状況ということです。
けれども坂野井さんは博士課程に進むことに否定的ではありません。勉強の継続である修士課程とは違い、博士課程では研究を進めるスキルやマネジメントなどの能力も含め実力が養われるからです。就職については、研究職だけにとらわれず、企業への就職や博物館などで科学を伝えるサイエンスコミュニケータ、科学系雑誌の編集者など、自分の能力を生かせる道を幅広く考えみることが大切だということです。
坂野井さん自身は、現在、駒澤大学でコンピュータや自然環境系、自然科学系、数学といった講義を担当し学部生に教えています。その一方、研究者として研究活動を続け、国内外の学会に論文を発表しています。研究者として仕事をしていくのであれば、よい研究をし、論文をたくさん書くことが第一だそうです。
夫と二人三脚の子育て
結婚は大学4年生の時でした。同じ研究室の先輩で1年半南極に行くことが決まっており、続いて自分も南極を希望していたためしばらく離れ離れになること、また同じ研究職であることから同じところで仕事に就くことはほぼないと予測できたため、結婚に踏み切ったそうです。夫はそのまま大学に残り、自分は東京の独立行政法人情報通信研究機構に入りました。出産は33歳のときでした。産休明け1ヶ月で現在の駒澤大学に就職。生後7ヶ月までは夫が育児休暇を取得し子育てをしました。その後夫は大学のある仙台に戻り、2006年12月まで平日は別々の生活でした。
子どもが生まれてすぐに仕事と子育てが両立できるような保育所を探しました。保育所は無認可で最長夜22時まで預かり、夕食も手作りの食事を出してくれます。坂野井さんの一日は、朝7時前後に起床、9時までに子どもを保育所に預け、10時から夕方6時前後まで仕事、夕食を食べつつ保育所に迎えに行くのが7時頃、自宅に戻り子どもをお風呂に入れたりし、子どもが寝るのが9時過ぎ。その後家事をしながら12時から1時まで仕事ということです。金曜日の夜からは、夫か自分のどちらかの家で家族3人一緒に過ごしているそうです。
しかし別居生活は解消、2007年1月からは仙台への転居が決まっています。今度は夫が大学内にある保育所に子どもを預けて一緒に生活をし、坂野井さんは週3日から4日講義や会議に応じて上京、その間は実家に泊る予定だそうです。
自分のやりたいことをとにかくやってみること
進路選択を考えている女子中高生に向けて坂野井さんからのメッセージは「自分のやりたいことをとにかくやってみること。もしやりたいことが見つからなかったら、自分の好きなものを選ぶこと」です。そして「もし得意でなくても、好きなことがあれば諦めずにやり続けることが大事」ということです。
(平成18年度インタビュー)