常に女性のパイオニアとして土木業界で活躍~山の神は本当に怒るの?~ 天野玲子さん

常に女性のパイオニアとして土木業界で活躍~山の神は本当に怒るの?~ 天野玲子さん
<プロフィール>
鹿島建設株式会社土木管理本部土木技術部部長、東京大学生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター客員教授、土木学会土木学会誌編集委員会委員長。東京生まれ。1978年東京大学工学部反応化学科卒業、1980年東京大学工学部土木工学科卒業。1980年鹿島建設株式会社に入社、技術研究所、土木設計本部、土木技術本部等を経て2005年4月より現職。コンクリート橋梁、トンネル火災防災等を専門としています。工学博士。2006年土木学会土木学会誌編集委員会委員長に民間初、女性初の委員長として就任しました。(50代)
天野玲子さんのこれまで
中学2年生のとき、映画「黒部の太陽」を見て、「ダムを作りたい」と思う。
都立両国高校を卒業し、東京農工大学に入学。
ダムを作りたくて入学したが、「農業土木なのでダムは作れない」と知り、大学を受けなおすことを決意。
東京大学理科一類に合格。
反応化学科に進むが、やはり土木工学を学びたい思いが強く、学士入学で土木工学科に入る。
東京大学工学部土木工学科卒業
鹿島建設株式会社に入社。技術研究所に配属されコンクリートの研究に従事。
土木設計本部、土木技術本部等を経て、現職。
この間、社内では社長賞を5度、技術開発賞を1度、社外では土木学会から奨励賞、日本コンクリート工業協会から技術賞を受賞。
現在は東京大学で客員教授も勤めている。
常に女性のパイオニアとして土木業界で活躍~山の神は本当に怒るの?~ 天野玲子さん
小学5年、6年生のときに猛勉強

  小学校4年生のときに、ある算数の問題で解けたのは天野さんただひとりということがありました。担任の先生から非常に誉められたのを今でも覚えています。それまで勉強が嫌いでしたが自分だけが解けたということに自分自身驚き、それから急に勉強が面白くなり、猛勉強を始めました。小学校5年、6年生のとき人生で一番勉強したそうです。
  両親はともに東京大学の土質研究室の技官という経歴をもち、土質に関する仕事に携わっていました。そして中学生のとき、後にも先にも唯一父親に連れて行ってもらった映画が「黒部の太陽」でした。黒部ダム建設の苦闘を描いた映画でしたが、それを見て、自分も「ダムが作りたい」という思いを抱きます。
  高校は都立両国高校に進学。両国高校は9割が男子で理系を目指す生徒が多く、数学の好きな天野さんには合っていました。他の高校に進んでいたら、今の自分はいなかったかもしれないそうです。成績はあまりよくなかったといいますが、ダムづくりを目指して土木工学科を受験しました。当時の国立大学は一期校と二期校に分かれており、一期校は東京大学、二期校は東京農工大学を受験。東大には落ちましたが、東京農工大に受かり進学しました。

「ダムを作りたい」思いで農工大から東大へ

  東京農工大学に進み楽しく過ごしていたある日、先生に「ダムを作りたい」と言ったところ、「農業土木では堰(せき)を作る、ダムは作らない。」と言われ、大変驚きました。「ダムを作れないなら大学を受けなおそう」と思い、大学2年から予備校に通い東京大学の土木工学科を目指しました。無事東京大学理科一類に合格。当時の理科一類の男女の割合は100対1でした。2年生の終わりに専攻学科を決めますが、当時土木工学科は人気があり、結局そこには進めず、反応化学科に入りました。反応化学科では実験が面白かったそうですが、やはり土木工学を学びたい思いが強く、再度学士入学で土木工学科に入りました。土木工学科に入った初めてのそしてただ一人の女性であり、次に女性が入ったのは6年も後のことでした。
  唯一の女性ということで特別な扱いというのは特になかったのですが、一つだけ、当時、山の神という女の神様に嫌われるから事故が起こるという言い伝えで、トンネル内に女性が入れない時代であり、現場見学では男子学生は中に入って、自分だけトンネル内に入れて貰えず「なぜだろう」と思ったということがあったそうです。現在は女性も坑内に入れるようになっています。
  東京大学では6年間を過ごしたことになりますが、この間、体育会のテニス部に所属し、テニスにも打ち込んでいました。

男性社会の建設会社で数多くの実績を築く

  大学卒業後の進路については、当時、大手総合建設会社で女性総合職を採用する企業など全くありませんでした。唯一鹿島建設(株)から「とりあえず試験を受けてもし成績がよければ採用するかもしれない」という話がきました。試験までの1週間、猛勉強をしました。小学校以来の猛勉強です。その甲斐あって1番で合格、女性総合職の入社は一人でした。
  建設業の中でも土木は社会基盤を作るところです。ダムや上下水道の施設、電力の供給施設、橋、道路、トンネル、飛行場、港湾などすべて土木構造物です。また地震、津波、洪水などにより被害を受けた構造物を復旧するのも土木の仕事です。
  鹿島建設に入社した天野さんは、「ダムを作りたい、構造物を直接作る現場に行きたい」と希望しましたが、配属先はコンクリート構造の研究室でした。通常、建設会社は「作る」ことをしますが、研究所は唯一「壊して」研究するところでした。何百トンもの荷重をかけて壊すため、安全管理が必要な非常にハードな職場でした。しかしそのハードな職場で天野さんは結婚、1984年と88年の2回出産、職場復帰を果たします。出産後に職場復帰をした第一号でした。子育ては、両方の親の手を借りて乗り切りました。
  研究所では3年目に初めて自分で実験研究を手がけました。実験の計画をたてて実行し成果を設計式に導くことは非常に難しく、朝から晩まで研究のことを考え続け夢にも見たそうです。研究は成功し、後日、その成果は構造物に適用されることになりました。
  研究所には20年近く在籍し、主にコンクリート橋梁(きょうりょう)の仕事に携わりました。その間、1987年の技術開発賞をはじめ、1991年から2000年までに社長賞を4度受賞しました。新たな研究を企画し、成功に導き、成果をプロジェクトに適用したことが評価されたためです。男性社会の職場で当時は数少ない女性研究者が、しかも家庭を持ち子どもを育てながら着実に実績を築いていったのです。
  その後、土木技術本部を経て土木管理本部に所属し、2005年からは土木技術部担当部長に就任、2006年には5度目の社長賞を受賞しています。
  現在は、土木部門、特に新しい分野の研究開発テーマを選んで予算を配分し、開発状況をチェックし、成果を評価した上で、それを鹿島建設としてどう適用するか、世の中にどう役立てるかという研究開発全体を管理する仕事に携わっています。

「本を読むことが大事」

  天野さんは現在、東京大学生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センターで客員教授もしています。学生達と接していて感じるのは「学問と世の中を結びつけて考えられない」人が多いということであり、その理由を「本を読まないから」ではないかと考えています。「インターネットもよいが、情報が溢れかえりすぎている気がする。やはり理路整然とある程度シンプルに流れを見せていくのは本」ということです。
  「ものを考えるとか、イメージするといったことは非常に重要なことです。個々の専門知識が世の中のどこと結びついているのかということがわかっていれば、自分の将来をイメージすることができます。若い人には『本を読みなさい』と伝えたい」とメッセージをいただきました。

(平成18年度インタビュー)

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