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検索ワード:NPO活動・地域づくり > 事例(ロールモデル)
1件~50件(全55件)
竹内千寿恵さんは、大学を卒業して2年ほど働き、結婚して仕事を辞めた後は、転勤族の妻として子育てをする専業主婦。10数年以上のブランクを経て、再就職を決意。このブランクが大きな壁だったが、公的機関の研修で簿記やPCの資格を得た後、オンラインコミュニティを通じて得た情報やスキルアップで就職につなげる。その後、コミュニティビジネスをサポートするNPO法人の事務局で働いた後、地元でNPO法人を立ち上げて、現在は自治体や地元の団体等と連携して女性のキャリア支援事業を展開中。
専業主婦としてのブランクを経て、地域で働くことを課題解決につなげるコミュニティビジネスを起業 ~ NPO法人マイスタイル代表 竹内千寿恵(たけうち ちずえ)さん
丑田香澄さんは秋田県で高校までを過ごした後、東京の大学に進学。外資系ITコンサル会社にコンサルタント職として勤務。やりがいがあるがハードな仕事を経験した後、同期の男性と結婚。仕事と子育ての両立のイメージが描けず転職活動に入った時に、妊娠がわかりいったん主婦に。育児中に参加した講座をきっかけに、助産師と一緒に被災地の母子支援事業を立ち上げた後、出産後の母親全般を支援する社団法人を起業。その後、一家で秋田県五城目町に移住。現在は町役場とも連携し、「地域おこし協力隊」の仲間と共に、移住や起業支援を行う。
外資系IT企業勤務を経て、地域おこし協力隊として秋田県に移住。企業の課題解決から人や地域の課題解決に取り組む ~ 丑田香澄(うしだ かすみ)さん
大学卒業後、小学校教員として数年勤務。結婚後は転勤族(海外を含む)の妻となり、結婚を機に退職。子育てを孤独と感じる中で、自分自身の生き方を模索。公民館の学習がきっかけとなり、地域での活動を開始。1998年、女性の自主学習グループ「あれあれあ」を結成。女性の自立や家族関係などをテーマとするワークショップを行う。2009年からさいたま市でコミュニティカフェ「ヘルシーカフェのら」の運営を通じて地域作りを行っている。
公民館学習で「孤独な子育て」から脱出。コミュニティカフェで人をつなげて、地域づくりを展開 ~ ヘルシーカフェのら 代表社員 新井純子(あらい じゅんこ)さん
専門学校卒業後、航空会社の地上職として8年勤務。結婚し第1子出産時に退職し、4年後にパートで再就職。子どもの小学校進学を機に、航空関係のフルタイムの仕事に派遣社員として勤務するが、派遣切りにあう。以降は正社員の仕事を見つけるためにハローワークに通うも、再就職の厳しさに直面する。その後福岡県の男女共同参画センターに嘱託職員として5年間、大野城市の男女平等推進センターに2年間勤め、女性の生きづらさにつながるジェンダー意識や男女共同参画について学ぶ。キャリアコンサルタントの資格を取得し、現在はキャリア相談員。一方、仕事とは別に、地元の友人と共に女性コミュニティCORALを創設し、地域活動にも取り組んでいる。
専業主婦から8回の転職を経て、キャリア支援を仕事に ~ CORAL代表 井上智美(いのうえ ともみ)さん
1979年大阪市生まれ。大学を卒業後、OA機器販売会社に就職。大阪で3年、東京で2年間勤務の後、ライターを目指し、結婚を機に退職。夫の転勤で鹿児島に転居。地域の公民館や男女共同参画センターの講座を経て、社会保険労務士事務所でパートタイム勤務を開始。2011年に講座修了生を中心に「鹿児島ウーマンライフ研究会」を結成し、女性が社会で自分らしく活躍できる場づくりを目指している。30代
やりたいことには手をあげて挑戦し、「伝えること」をテーマに、キャリアを切り拓く ~ 鹿児島ウーマンライフ研究会代表 矢野圭夏(やの けいか)さん
女子大学卒業後、銀行系のシステム会社に事務職として採用。人事部で勤務。3年後、子会社立ち上げに伴い現職の元となる部署へ異動。現在42歳で、6歳と3歳になる2人の娘と同い年の夫の4人暮らし。会社は入社20年目となる継続勤務で、2回育児休業を取得して復職しています。仕事は、人事給与部門のアウトソーシング事業で、顧客企業の人事、給与計算業務や年末調整などを担当しています。育児休業中につながった地域カフェで家族向けのワークショップも行っています。
悩みながらワーク・ライフ・バランスを図りつつ就業を継続する ~ 会社員 鈴木由美子(すずき ゆみこ)さん
堤香苗さんは、神戸で女子の中高一貫学校を卒業後、東京の大学で演劇を専攻。在学中からラジオやテレビのアナウンサーとして活躍。卒業後、演劇の道を目指すが、フリーアナウンサーに転身。自身の育児がきっかけとなり、地域で子育てをする多様な立場の女性や子どもを対象としたイベントを開催。その後、女性たちのネットワークが広がり、イベントやマーケティング事業、女性の在宅ワークを支援する株式会社キャリア・マムを立ち上げる。現在は新たに女性の起業支援も展開している。
フリーランスから「自分らしく働きたい女性」たちのニーズを事業化 ~ 株式会社キャリア・マム代表 堤 香苗(つつみ かなえ)さん
タイ・バンコク出身。タイの大学卒業後、日精樹脂工業のタイ事務所に勤務。一年後、カナダへ大学院修士課程に進学、国際開発協力学部修士課程修了。同期の日本人留学生と結婚し、1992年に来日した。慣れない国で結婚生活を始めました。日本語学習に苦労しながら、子育てと外国人コミュニティーに関わるボランティア活動に参加しました。2004年から14年間、長野県国際化協会の多文化共生暮らしのサポーターとして勤務し、在住外国人の支援活動に携わってきました。
タイで生まれ育ち、留学先で知り合った日本人との結婚で来日、在住外国人の支援活動に携わる~井田ピムテープ(いだ ぴむてーぷ)さん
中国遼寧省生まれ。14歳で、中国残留孤児だった母と来日。日本の中学校に編入後、職業訓練学校を経て美容師になる。出産のため仕事を辞めるが、子どもが幼稚園に入ったのを契機にパート、そしてフルタイムの仕事に。その間、小学校のPTA活動や地域の民生委員、主任児童委員などの仕事を兼務。地域で暮らす外国人を支援するボランティアとしても活躍。現在は横浜市の公益財団法人にて、福祉施設で働く外国人の研修や就労支援にコーディネーターとして携わる。
14歳で中国から来日し、日本と50か国の懸け橋に~福山 満子(ふくやま みつこ)さん
市民館の女性セミナー(婦人学級)参加をきっかけに誕生した自主学習グループ「ぷらす?」代表。年金をテーマにした学習、提言活動を継続しています。津田さん自身はグループの活動とあらたに就いた仕事を両立させる道を探っています。その後、2006年『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号に実践事例研究掲載。2007年、東京女子大大学院人間科学研究科博士後期課程に入学。(40代)
調査研究を通じた市民活動~学習グループ代表/調査会社パート社員 津田好子さん~
女性議員の支援活動をおこなうNPO法人「フィフィティ・ネット 女性と政治・政策センター」代表理事。専業主婦時代に、女性学の研究会に参加して問題意識が明確になり、大学の法学部に編入学。卒業後、男女共同参画分野の政策コンサルタントをしながら、「フィフティ・ネット」を設立。さらに、女性問題図書専門書店「ウィメンズブックストアゆう」の代表取締役にも就任。(50代)
「女性議員の数をフィフティ(50%)に」をめざして~問題意識を形にして、積み上げていく~森屋裕子さん
練馬区立男女共同参画センターえーる事業コーディネーター、国際女性の地位協会理事、ねりまジェンダー研究会代表。子育てや介護もしながら、区主催の女性学講座への参加をきっかけに、身近なジェンダー問題の解決の鍵となる女性差別撤廃条約に関心を持つ。短大で専攻したエディトリアル・デザインの知識を、男女共同参画を普及する活動にもいかしている。パートタイムで始めた再就職の仕事からチャレンジをし続け、現在、活動が仕事ともつながっている。(60代)
地域活動で得たネットワークと男女共同参画についての学習を経て、広がった活動と再就職~NGO理事 石﨑節子さん
大学卒業後、保育園で働きながら通信教育で保育士の資格を取得。出産後一時仕事を離れますが、女性センターが主催した一時保育者養成講座の受講をきっかけに、仲間とともに保育サポート事業を開始。現在、保育サポーター「ゆいkids」の副代表。(50代)
「子どもにかかわる仕事」にこだわって~有償保育ボランティア 宮城和代さん~
「まいまい塾ネットワーキング」というボランティアグループの代表をつとめ、朗読や紙芝居など、「語り」を中心にしたボランティア活動を行っています。地域の婦人会を立ち上げ、そこからできた人間関係を中心に活動の範囲を広げていきました。(60代)
「金持ち人生」ならぬ、「人持ち人生」を~表現ボランティア 星川叔子さん~
NPO法人「サポートハウス年輪」を仲間と結成、現在理事長を務めています。専業主婦時代に公民館の講座に参加した後、受講生で自主学習グループをつくり、それをNPOにまで発展させました。また、市議会議員として2期8年間、福祉問題を中心に活躍しました。(50代)
勉強から実践へ~サポートハウスを立ち上げる 安岡厚子さん~
社会教育施設で長年ボランティアに携わると同時に、フリーのライターとして、雑誌記事などの執筆も続けてきました。近年は、「Vnet」の代表として、社会教育施設でのボランティアのネットワークづくりに着手し、ボランティア養成講座などをおこなっています。(60代)
暮らしのなかのテーマを社会化する~社会教育ボランティア/フリーライター 大久保邦子さん~
首都圏の女性センター相談員。子育てに悩み、同じ悩みを抱える母親たちで市民グループを結成し、このグループを中心に、子育てやそれを取り巻く環境、ジェンダーなどの問題を議論・提案し、望ましい環境を実現しようと周囲の人々や行政などに働きかけてきました。そのためのミニコミも発行、ライターとしても活躍しています。(40代)
生涯学習をステップに人とつながる~女性センター相談員、ライター、ボランティア活動 川瀬千穂子さん~
名古屋市男女平等参画推進センター「つながれっとNAGOYA」の指定管理者を担当しているNPO法人「参画プラネット」代表理事で、同センターの管理運営室統括責任者。専業主婦にあこがれて出産時に退職。転勤の多い夫との生活で自分を見失いそうになったとき、「ウイン女性企画」(任意団体)と出会いました。2005年4月から名古屋大学大学院にて労働法を学んでいます。(40代)
つくられる人生ではなく、つくりだす人生へ~小さなつぶやきが社会につながるまで~渋谷典子さん
青森県弘前市で生まれ育ち、東京の短大に進学。都内を拠点に海外雑貨のバイヤーや店舗コンサルティングとして働いた後、30代半ばで弘前に戻り結婚。専業主婦として40代を過ごしました。40代の終わりに、「あおもり女性大学」に入学し、その仲間たちと「青森県男女共同参画研究所」を設立。現在、現在専務理事を務めています。(50代)
“頭脳派”集団が地域を変える~生涯学習からNPO活動へ~工藤 緑さん
子育ての合間を見つけて、足立区女性大学などの生涯学習講座を受講し、学ぶ楽しさや、多様な人々と一緒に活動する面白さを体験しました。現在、NPO法人あだち学習支援ボランティア「楽学の会」代表理事、区内のNPO法人連絡会の理事。講演会や学習講座の企画・運営によって、区民への多様な学習機会の提供を目指しています。
学ぶ中に楽しみをみつけて~生涯学習を支援する~早坂津夜子さん
NPO法人「特養ホームを良くする市民の会」理事長。大学卒業後、公務員として働き、夫の海外勤務に同行するため退職。帰国後、大学に編入学。ライフワークを模索する中で高齢者問題に着目し、40代で大学院の研究生となり、老年学を学びながら特養ホームの実態を調査。結果を自費出版したところ大きな反響があり、NPOを設立。(50代)
地道な実態調査からNPO活動へ~「特養ホーム」という制度と取り組んで~本間郁子さん
4年にわたって「冒険遊び場の会」代表を務め、現在もスタッフとして活動中。大学卒業後、教育委員会や養護学校で教員として働き、出産を機に退職。子育てをとおして仲間づくりを始め、親子で遊び場に通ううちに、型にはまった遊び場が多いことを痛感。理想の遊び場を実現させるために、考えつつ行動する毎日が始まりました。(50代)
小さな交渉の積み重ねを活かす~親も子どもも楽しめる遊び場づくりを目指して~角麻里子さん
京都市在住。京都の大学院を卒業後、(財)京都市国際交流協会に勤務。その後、外国人支援を目的とするNPO法人である「多文化共生センターきょうとの立ち上げに参加し、事務局長を務めました。出産のため活動を離れ、現在は、IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所]研究員、大学非常勤講師などを務めています。
やりがいと主体性を求めてNPO活動へ~NPO活動の専門家として~鈴木暁子さん
NPO法人「せんだい・みやぎNPOセンター」常務理事・事務局長。テレビの制作会社勤務を経て、コピーライターとなり広告制作会社に勤務。35歳でフリーになった後、広告制作に関わることへの疑問からNPOに興味を持ち、NPOの研究会に参加。同センター設立と同時にコピーライターをやめ、事務局長となりました。(50代)
コピーライターからNPOへ~興味あることを追いかけて~紅邑晶子さん
「大阪NPOセンター」理事・事務局長。大手商社に勤務した後、喫茶店を経営し、出産を機に廃業。子どもの自閉症をきっかけに、子育てサークル作り、ボランティア活動を始め、多文化共生社会を目指すコリア・ボランティア協会を設立。協会の代表代理として活動する中で、大阪NPOセンターの設立に関わるようになりました。(50代)
子育てサークル、ボランティア活動からNPO支援へ~活動する側から、活動を支援する側へ~山田裕子さん
NPO法人「浜松NPOネットワークセンター」代表理事。消費者団体、建築事務所に勤めた後、イギリスの大学院に留学。市民参加型の都市計画を学び、帰国後、1997年に「浜松地域活動ネットワークセンター」を設立。2000年にNPO法人化し、市民活動支援、自主事業、行政との協働事業など幅広く活動しています。(60代)
市民参加による新しい地域社会づくり~目標をしっかりクリアし、次の方向を目指す~山口祐子さん
山口県下松市生まれ。長く暮らしてきた柳井市を拠点として、劇団で俳優として活躍しながら、地域の文化・芸術の振興を目的としたNPO法人「IKACHI国際舞台芸術祭」の運営を担っています。幼稚園教諭でもあります。(30代)
舞台芸術を通して、地域とコミュニケートする~幼稚園教諭、女優、そしてNPO活動~西田純子さん
「子育て支援ネットワークとくしま」代表。徳島市の子育て支援総合コーディネーターなど行政のアドバイザーも多数兼務。結婚後徳島へ転居。子育ての相談先や遊び場などの情報がなかった経験から、1993年に任意団体「徳島子育てネットワークくすのき」を設立し、自前の情報提供活動を開始。2002年にNPO法人となりました。(40代)
子育てを“Enjoy”できる環境づくり~母親を孤立させない子育て支援をめざして~松崎美穂子さん
東京女子医科大学医学部微生物学免疫学教室准講師。東京女子医科大学を卒業後、同大学第二病院の小児科に入局。臨床をしながら免疫の研究を始め、博士号取得。結婚し、3人の子どもを出産。夫・子どもとともにアメリカに留学。帰国後、東京女子医大の微生物学・免疫学教室に移り、医学部と看護学部での教育活動、研究、小児科での診療を行っています。2005年、特定非営利活動法人「女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会 ejnet」を友人たちと立ち上げ副代表理事に。2007年4月からは女子栄養大学教授に就任予定です。(50代)
小児科医から研究者へ~決して0%にしないで、やりたい仕事を続けていくこと~藤巻わかえさん
山口県出身。短期大学卒業後、都内女子大学に編入し生活芸術を専攻。山口県庁入庁。生活改良普及員として、農山漁村の現場や県庁で農山漁村女性の自立、社会参画を推進する生活行政を担当。その後、市町の消費者行政の支援など、消費者行政にも関わる。県庁内で、女性職員を中心に庁外の女性ともネットワークを構築。山口県男女共同参画会議の発足当時から会員となり、行政職員として支えた。2006年消費生活センター所長を最後に県庁退職。現在、NPO法人やまぐち男女共同参画会議理事長。県立大学で非常勤講師も勤める。(60代)
生活改良普及員の経験をもとに男女共同参画を推進~相本艶子さん
1973年、富山赤十字高等看護学院卒業後、看護師として同病院勤務。高齢の患者の病院での死に疑問を感じ、自宅で死を迎えることができないかと模索。1993年、同病院を看護師仲間2人と退職。3人で高齢者・子ども・障がい者が通うデイサービス「このゆびと?まれ」を開所する。対象が高齢者・子ども・障がい者と多様なため、縦割り行政では助成金がつかなかった。3人の退職金と国民金融公庫からの借金で開所した。「このゆびと?まれ」では、高齢の利用者が、同施設で保育されている子どもの面倒をみたり、誰が利用者で誰がスタッフかわからない様子で運営されているが、こうしたことが高齢の利用者の生きがいにもなっている。<br />現在は、4つの事業所を運営し、多様な人々を対象にするデイサービスは「富山型」として全国に広がっている。(60代)
看護師の専門性が生んだ「富山型」デイサービス~惣万佳代子さん
1967年、短大卒業後、大手総合商社に勤めるが2年で退職。1970年転職し、自由でやりがいのある職場で結婚・出産。第2子出産後、仕事と育児の両立が困難になり退職。1982年、専業主婦となるが「このままではいけない」と思い、ボランティア団体「神戸ライフ・ケア協会」に参加。事務局として13年間活動。1995年の阪神・淡路大震災を契機として独立し、「東灘・地域助け合いネットワーク」を立ちあげる。1996年に「NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸」に移行し、当事者支援からコミュニティ支援、さらにはNPOの立ち上げから継続を支援する中間支援組織の理事長となる。(60代)
弱者のエンパワメントとコミュニティの再生を支えるマネジメント力~中村順子さん
短大卒業後、地元の銀行に就職。同期入社の夫と結婚後、夫の東京への転勤に伴い退職。その後、熊本、シンガポール、関西と転居が続く中、子育てをしながら栄養士の資格を活かし、各地で料理教室の講師補助や栄養士、有償ボランティアとして経験を積む。2004年、再度熊本へ戻ったことを契機に独立。講師業のかたわら、熊本県起業化育成支援施設(インキュベーション)に入居し、NPO法人くらしコンシェルジュを立ちあげる。現在NPOでは求職者支援訓練事業によるパソコン教室等を中心に事業をしながら、各種講師や地域活動を展開している。(40代)
資格と経験を活かし、思いをつなげてNPO設立へ~野村順子さん
広島市生まれ。大学卒業後、渡部総合法律事務所の事務局長を務めるかたわら、まちづくりや国際交流、平和構築などの市民活動にたずさわる。「ANT-Hiroshima」では1989年の発足以来、さまざまな形で広島から平和を伝え、平和を願う人々の支援を続けるために、日本国内のみならず世界各国で活動を展開してきた。これらの活動にもとづく平和の心を、生涯学習や学校教育現場などで子どもたちにも伝え続けている。広島市教育委員会委員、AANI(アンナプルナ脳神経センター医療協力会)副会長、(財)広島平和文化センター評議員、ひろしまドナーバンク評議員、比治山大学非常勤講師。(60代)
「ヒロシマ」発の平和教育の担い手として~渡部朋子さん
大学卒業後、金融会社に総合職として7年間勤務。同僚と結婚。管理職も経験するが体調不良のため退職。子どもが4ヵ月の時に多摩市に引っ越し、市主催の「すくすく学級」に参加。知り合った仲間と子育てサークル「親子のひろばわくわく」結成、月1回子育てひろばを開く。その後、市が募集した子育て便利帳作成の市民参画メンバーに参加し、保育つきの講座等を企画運営する任意団体「Seeds」を結成。2006年に「NPO法人シーズネットワーク」とし、企業等と連携した子育てひろば「多摩センター子育てファミリーステーションcoucou」の運営や、2自治体共同のアンテナショップの委託運営等、「子育て支援」「女性の社会参画支援」「まちづくり」を3つの柱とする活動を広げている。(40代)
親が主体の子育てサークルから企業や行政と協働したまちづくりへ~岡本光子さん
2002年慶應義塾大学卒。しばらくの間、人材・教育関係の事業をしている会社にアルバイトで高校生に情報を提供する仕事をし、やがて高校生に自分の人生を考えるきっかけを提供するキャリア学習プログラム「カタリ場」を開発した。特定非営利活動法人NPOカタリバの中心的な事業として発展し、さらには大学での導入や企業の人事に関するコンサルティング業務の受託という波及効果も生まれた。2008年、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2009キャリアクリエイト部門を受賞。2009年6月、内閣府・男女共同参画「チャレンジ賞」を受賞。2009年12月、内閣官房内閣総務官室専門調査員任命。(30代)
キャリア学習プログラム「カタリ場」が社会を変える~今村久美さん
保育士として働いていたが、結婚を機に退職、夫の自営業を手伝う。1998年、31歳のときに子育て情報誌「びぃ?んずキッズ」を主婦の仲間と創刊。当初情報発信が目的だったが、子育てに関わる支援が求められていることを知り、子育て支援を行うNPO法人を2001年に設立。行政や企業と連携しながら女性も働ける場所、労働の対価を支払えるNPO活動を実践。(40代)
保育士、自営業、情報誌発行の経験を生かした子育て支援~大谷清美さん
勝沼町(現甲州市)生まれ。高校卒業後、美容学校に通い、結婚するまでは美容師として働く。2人の子どもの子育て中には、事務職のパートタイムや起業した夫の会社で社員として働く一方、PTA活動や子ども劇場の活動を精力的に行う。子どもが大学に入り上京したことをきっかけに、山梨県男女共同参画推進センターの講座に参加。女性団体主催の女性議員を輩出するための勉強会に参加し、翌年山梨市議会議員になる。また仲間と「やまなしし朝の市の会」を設立、代表となり、朝市の開催や駅前のコミュニティサロンの運営、桃の花まつりの開催等の活動をしている。団体は2009年に法人格を取得、事務局長となる。(60代)
子育て後に市議会議員になり、まちの活性化のためNPO法人を設立~小野鈴枝さん
岡山県津山市出身。高校卒業後、公認会計士事務所と商社での勤務を経て、公務員の夫と結婚。専業主婦として二女一男を育てつつ、生協活動やPTA活動にかかわる。その後、岡山女性フォーラムに参加したことをきっかけに女性問題に取り組む。「日本女性会議’97おかやま」の事業部長をつとめたあと、市の条例づくりや女性議員を増やすための活動を積極的に行う。活動を通じて全国的なネットワークともつながる中で、DV被害者支援とその問題解決に強い関心を持ち、「NPO法人さんかくナビ」を共同で立ち上げる。現在は理事長として、DV被害を受けた女性と子どもへの幅広い支援活動を行っている。(60代)
女性問題の学習からDV被害女性の支援へ~貝原己代子さん
自営業の夫の手伝い、公民館指導員、JR新花巻駅の喫茶部と、さまざまな職場を経験してきた。JR新花巻駅の喫茶部に在任中、JRジパング倶楽部の「大人の小学校」を企画することになった。喫茶部で働きながらこの仕事の成果をあげるのは困難だと考え、所属をNPO法人花巻文化村協議会に移した。夫の看病で同法人を一時離れたものの、その後、事務局長として復帰、現在に至る。音楽関係の諸活動も幅広く実践し、邦楽愛好会代表、北上マンドリンアンサンブル代表、筝アンサンブルパウロニア会員でもある。現在は夫が亡くなりひとり暮らしだが、同じ敷地内に別世帯で長男が居住している。他に、子どもは既婚の次男、三男と長女がいる。(60代)
宮沢賢治の精神にもとづく〈文化創造〉と地域交流の促進~菊池洋子さん
福井県・越前市(旧武生市)の中心街のまちづくりを中心に活動するNPO法人「ラピュタ創造研究所」理事長。事務職、宝石販売、印刷会社のオペレーターを経て、フリーの印刷技術者に。現在は、市民活動が縁で仕事を請け負ってきた会社の役員。「ラピュタ」設立からのメンバーで、NPO法人になったのをきっかけに理事長に就任しました。(40代)
歴史ある町で新しいライフスタイルを提案~仕事・活動の両面から自分を磨く~竹本加良子さん
大手不動産会社に約10年勤めた後、50代で不動産会社を設立。経営のかたわら、数少ない女性の不動産会社経営者の相互学習の場として、「不動産女性会議」を立ち上げました。現在は、会社経営と同時に、NPO法人「不動産女性会議」理事長として、高齢者・弱者のための住環境の改善、住民にやさしいまちづくりに取り組んでいます。
不動産業を通してみつけた「高齢者・弱者にやさしいまちづくり」  川本久美恵さん
子どもが生後6ヵ月で難治性てんかんを発症、3歳の時に知的障がいもあることがわかり、そこからはすべてがハードルだらけ。小学校に入る時、養護学校に入学するためには併設の児童入所施設に入らなければならない。家族・地域から子どもを分断するような就学に納得できず、通学できる学校探しに奮闘。その後、県立養護学校に通学できるようになり、小中高等部の12年間通学送迎を続ける。その中で障がいのある人が地域の中でその人らしい生活を続けることができるような社会を実現するために活動をはじめる。ボランティア団体、NPO法人を立ち上げ、さらに事業の拡大、充実を図るため2011年、社会福祉法人「ロングラン」を設立。理事長を務めている。(50代)
思いは届く~障がいのある人が街中で普通に暮らせる地域をつくる~西川紀子さん
大学卒業後、県教育委員会非常勤講師として勤め、結婚を機に退職。警察官である夫の転勤に伴い、県内各地へ転居。30代に入り、高松市内に居を構え、自宅で学習教室を始める。地元の婦人バレーボールクラブ参加をきっかけに、PTA活動にも参加、校区内PTA副会長や県役員を歴任。社会体育指導員等の資格も取得。高松市コミュニティ・スポーツ協議会を立ちあげ、生涯スポーツの普及と若手指導者の育成に取り組む。現在は女性の会会長、十河地区コミュニティ協議会副会長、高松市婦人団体連絡協議会事務局長、NPO法人「たかまつ男女共同参画ネット」理事、保護司、放課後子ども教室コーディネーターなど。(60代)
生涯スポーツから広がる地域の輪~吉田静子さん
専門学校で簿記を勉強。結婚後23歳から市原市の商工会議所に勤め、58歳の退職まで36年近く男性中心の職場で職業生活を継続。プロジェクトのスタッフになるなど、行政関係者、女性団体関係者との交流を深める。1996年50歳で女性では全国初の商工会議所専務理事となる。58歳で退職。地域の女性代表の一人として退職以前から、市原市の条例づくり委員会などに関わっていた。2006年には「市原市男女共同参画社会を進める市民の会」を立ちあげ、会長として活動。(60代)
商工会議所管理職の職業キャリアから地域の男女共同参画活動へ~羽鳥シズ子さん
市議会議員を約2年間務めた後、県の再就職講座を受講しながら就職活動を開始。年齢の壁にぶつかりながらも、前から参加しているNPO法人「しんぐるまざあずふぉーらむ」の仲間の紹介で、アディクションやメンタルケアに関する研修や出版を手がける会社に就職しました。充実した毎日を送りながら、次のステップアップを計画中です。(30代)
女性弁護士との出会いをとおして、自分らしく生きる勇気と術を~出版社勤務 木村 由里子さん~
足立女性センター(現足立区男女参画プラザ)の女性大学に参加し、そこで知り合った仲間たちと自主グループを結成。女性センターとの共催で、フェミニスト・カウンセリング講座を企画するなどの活動をしています。経済的な自立を目指して再就職した後、友人と花屋を起業しますが、うまくいかず、転職。その間にさまざまな職業資格を取得しました。(50代)
職業的な自立を求め続けて多様な仕事を経験~女性問題学習ボランティア/メーカー事務職員 坂本照子さん~
「やつしろ配食サービスワーカーズパセリ」代表。高校卒業後、京都にある大手電機メーカーの子会社に就職。結婚後、夫の転勤にともない熊本県へ。生協活動をきっかけに地域問題に取り組み、1年間、市議会議員として活躍。1999年、生協の仲間などと共に、地域での配食サービスを開始。2000年にNPO法人化しました。(50代)
仲間とともに「一歩踏み出す」活動を続けて~配食サービスが地域を変える~小田信子さん
「まごころサービス福島センター」理事長。福島市で夫と自営業を営みながら、高齢者ケアの地域活動を開始。福祉をしっかり勉強しようと、短大保育科の夜間部に通い、卒業後、仲間と「まごころサービス福島センター」を設立しました。高齢者・障害者のケアや訪問介護員の養成など、地域に密着した福祉サービスをおこなっています。(60代)
地域のニーズにあった福祉NPO~自営業と地域活動の経験をいかす~須田弘子さん
横浜市で介護を中心とした地域福祉事業をおこなっているNPO法人「有為グループ」の前理事長。現在もヘルパーとして活動に参加しています。生協活動を長年つづけ、生協の理事長を務めた後、「有為グループ」の設立に関わり、リーダーとして活動を引っぱってきました。(70代)
地域の中で老後を迎える~介護サービスで第二のふるさとを暮らしやすくする~山尾宏子さん

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