事例(ロールモデル)

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竹内千寿恵さんは、大学を卒業して2年ほど働き、結婚して仕事を辞めた後は、転勤族の妻として子育てをする専業主婦。10数年以上のブランクを経て、再就職を決意。このブランクが大きな壁だったが、公的機関の研修で簿記やPCの資格を得た後、オンラインコミュニティを通じて得た情報やスキルアップで就職につなげる。その後、コミュニティビジネスをサポートするNPO法人の事務局で働いた後、地元でNPO法人を立ち上げて、現在は自治体や地元の団体等と連携して女性のキャリア支援事業を展開中。
専業主婦としてのブランクを経て、地域で働くことを課題解決につなげるコミュニティビジネスを起業 ~ NPO法人マイスタイル代表 竹内千寿恵(たけうち ちずえ)さん
専門学校卒業後、航空会社の地上職として8年勤務。結婚し第1子出産時に退職し、4年後にパートで再就職。子どもの小学校進学を機に、航空関係のフルタイムの仕事に派遣社員として勤務するが、派遣切りにあう。以降は正社員の仕事を見つけるためにハローワークに通うも、再就職の厳しさに直面する。その後福岡県の男女共同参画センターに嘱託職員として5年間、大野城市の男女平等推進センターに2年間勤め、女性の生きづらさにつながるジェンダー意識や男女共同参画について学ぶ。キャリアコンサルタントの資格を取得し、現在はキャリア相談員。一方、仕事とは別に、地元の友人と共に女性コミュニティCORALを創設し、地域活動にも取り組んでいる。
専業主婦から8回の転職を経て、キャリア支援を仕事に ~ CORAL代表 井上智美(いのうえ ともみ)さん
1979年大阪市生まれ。大学を卒業後、OA機器販売会社に就職。大阪で3年、東京で2年間勤務の後、ライターを目指し、結婚を機に退職。夫の転勤で鹿児島に転居。地域の公民館や男女共同参画センターの講座を経て、社会保険労務士事務所でパートタイム勤務を開始。2011年に講座修了生を中心に「鹿児島ウーマンライフ研究会」を結成し、女性が社会で自分らしく活躍できる場づくりを目指している。30代
やりたいことには手をあげて挑戦し、「伝えること」をテーマに、キャリアを切り拓く ~ 鹿児島ウーマンライフ研究会代表 矢野圭夏(やの けいか)さん
市民館の女性セミナー(婦人学級)参加をきっかけに誕生した自主学習グループ「ぷらす?」代表。年金をテーマにした学習、提言活動を継続しています。津田さん自身はグループの活動とあらたに就いた仕事を両立させる道を探っています。その後、2006年『国立女性教育会館研究ジャーナル』第10号に実践事例研究掲載。2007年、東京女子大大学院人間科学研究科博士後期課程に入学。(40代)
調査研究を通じた市民活動~学習グループ代表/調査会社パート社員 津田好子さん~
練馬区立男女共同参画センターえーる事業コーディネーター、国際女性の地位協会理事、ねりまジェンダー研究会代表。子育てや介護もしながら、区主催の女性学講座への参加をきっかけに、身近なジェンダー問題の解決の鍵となる女性差別撤廃条約に関心を持つ。短大で専攻したエディトリアル・デザインの知識を、男女共同参画を普及する活動にもいかしている。パートタイムで始めた再就職の仕事からチャレンジをし続け、現在、活動が仕事ともつながっている。(60代)
地域活動で得たネットワークと男女共同参画についての学習を経て、広がった活動と再就職~NGO理事 石﨑節子さん
名古屋市男女平等参画推進センター「つながれっとNAGOYA」の指定管理者を担当しているNPO法人「参画プラネット」代表理事で、同センターの管理運営室統括責任者。専業主婦にあこがれて出産時に退職。転勤の多い夫との生活で自分を見失いそうになったとき、「ウイン女性企画」(任意団体)と出会いました。2005年4月から名古屋大学大学院にて労働法を学んでいます。(40代)
つくられる人生ではなく、つくりだす人生へ~小さなつぶやきが社会につながるまで~渋谷典子さん
NPO法人「せんだい・みやぎNPOセンター」常務理事・事務局長。テレビの制作会社勤務を経て、コピーライターとなり広告制作会社に勤務。35歳でフリーになった後、広告制作に関わることへの疑問からNPOに興味を持ち、NPOの研究会に参加。同センター設立と同時にコピーライターをやめ、事務局長となりました。(50代)
コピーライターからNPOへ~興味あることを追いかけて~紅邑晶子さん
大手不動産会社に約10年勤めた後、50代で不動産会社を設立。経営のかたわら、数少ない女性の不動産会社経営者の相互学習の場として、「不動産女性会議」を立ち上げました。現在は、会社経営と同時に、NPO法人「不動産女性会議」理事長として、高齢者・弱者のための住環境の改善、住民にやさしいまちづくりに取り組んでいます。
不動産業を通してみつけた「高齢者・弱者にやさしいまちづくり」  川本久美恵さん
役者として舞台やテレビに出演し、専門学校で演技の講師を務めながら、安房直子原作によるひとり語りの舞台「安房ールドファンタジー」の公演活動を継続。結婚、子育てから男女の不平等に気づいて参加した女性問題の講座は、自主グループに発展。芝居と子育ての両立や夫のリストラなど、困難をばねに、独自の世界を拓いています。(40代)
波乱万丈の人生が芝居を深める~俳優・声優・演劇講師 秋元紀子さん
長野県南牧村で保健師として働いています。大学卒業後、青年海外協力隊に参加し、スリランカで2年間野菜栽培を指導。帰国後、正看護師の資格を取得。その後さらに保健師の資格も取得。夫の勤務先の長野県で就職先を探し、現在に至ります。(30代)
青年海外協力隊から村の保健師へ~保健師 荻原炎さん~
現在自宅でフラワーアレンジメントの教室を開くと同時に、花束やブーケの作成、結婚式の飾りつけ、お店のディスプレイなどの仕事をしています。フラワーアレンジメントの技能は、民間の教室に通って身につけました。(60代)
好きなことを追って~フラワーアレンジメント講師 長井洋子さん~
子育て期に女性センターの「女性の生き方を考える講座』で職業をもつ生き方の重要さを再確認し、再就職支援講座などにも参加。口コミも含めた地域の情報をキャッチして仕事につなげてきました。(50代)
夫が転勤する度に転職先を探して~専門学校図書室職員 門脇純子さん~
一般事務をおこなう派遣社員であり、かつ簿記・パソコン講師。短大卒業後、事務職として働きましたが、夫の転勤で退職。約14年間専業主婦として過ごしますが、県主催のワープロ講座に通ったことをきっかけに派遣社員として再就職。パソコンと経理の資格を取得しながら、職場でも経験をつみ、現在二つの仕事をフレキシブルに両立しています。(40代)
「できないといわない」をモットーに~派遣社員/簿記・パソコン講師 佐藤啓美さん~
夫の勤務地として訪れたアメリカで、外国人に日本語を教えることに関心を持つ。帰国後、日本語教師養成講座を受講。日本語教師の資格を取得。現在は、私立大学の国際センターに契約職員として勤め、留学生の相談業務や、留学生のための学内システムの整備にあたっています。(50代)
日本語教師から外国人学生支援へ~私立大学職員 明子さん(仮名)~
市議会議員を約2年間務めた後、県の再就職講座を受講しながら就職活動を開始。年齢の壁にぶつかりながらも、前から参加しているNPO法人「しんぐるまざあずふぉーらむ」の仲間の紹介で、アディクションやメンタルケアに関する研修や出版を手がける会社に就職しました。充実した毎日を送りながら、次のステップアップを計画中です。(30代)
女性弁護士との出会いをとおして、自分らしく生きる勇気と術を~出版社勤務 木村 由里子さん~
足立女性センター(現足立区男女参画プラザ)の女性大学に参加し、そこで知り合った仲間たちと自主グループを結成。女性センターとの共催で、フェミニスト・カウンセリング講座を企画するなどの活動をしています。経済的な自立を目指して再就職した後、友人と花屋を起業しますが、うまくいかず、転職。その間にさまざまな職業資格を取得しました。(50代)
職業的な自立を求め続けて多様な仕事を経験~女性問題学習ボランティア/メーカー事務職員 坂本照子さん~
「やつしろ配食サービスワーカーズパセリ」代表。高校卒業後、京都にある大手電機メーカーの子会社に就職。結婚後、夫の転勤にともない熊本県へ。生協活動をきっかけに地域問題に取り組み、1年間、市議会議員として活躍。1999年、生協の仲間などと共に、地域での配食サービスを開始。2000年にNPO法人化しました。(50代)
仲間とともに「一歩踏み出す」活動を続けて~配食サービスが地域を変える~小田信子さん
「まごころサービス福島センター」理事長。福島市で夫と自営業を営みながら、高齢者ケアの地域活動を開始。福祉をしっかり勉強しようと、短大保育科の夜間部に通い、卒業後、仲間と「まごころサービス福島センター」を設立しました。高齢者・障害者のケアや訪問介護員の養成など、地域に密着した福祉サービスをおこなっています。(60代)
地域のニーズにあった福祉NPO~自営業と地域活動の経験をいかす~須田弘子さん
横浜市で介護を中心とした地域福祉事業をおこなっているNPO法人「有為グループ」の前理事長。現在もヘルパーとして活動に参加しています。生協活動を長年つづけ、生協の理事長を務めた後、「有為グループ」の設立に関わり、リーダーとして活動を引っぱってきました。(70代)
地域の中で老後を迎える~介護サービスで第二のふるさとを暮らしやすくする~山尾宏子さん
大妻嵐山中学校・高等学校教諭。熊本県生まれ。茨城大学理学部生物学科を卒業後、1995年から青年海外協力隊員の理数科教員として2年半ケニアに赴任。結婚、出産を経て2002年4月より大妻嵐山中学校・高等学校で、高校の生物の教員として勤め始めました。その後、工学院大学で中学校理科の教員免許を取得、現在は主に中学校で理科を教えています。(30代)
青年海外協力隊の経験を経て、高校・中学の理科の教員に~ 笹川真理さん
コニカミノルタビジネスエキスパート株式会社CSR推進部ブランド推進G(グループ報編集部)インナーコミュニケーションチーム、チームリーダー。高等専門学校を卒業し、コニカミノルタ(旧コニカ)に就職。当初は磁気テープの開発をしていたが、自分が研究に向かないと分かり、社内のチャレンジ制度を利用して異動。現在は社内報で情報を発信し、社員一人一人が社のブランドイメージを体現しつつ、楽しく、活き活きと働く環境をつくるために、コミュニケーションの側面から何ができるかを考えています。(30代)
研究職から広報へ~自分が輝ける場所は必ずある~高橋説子さん
大阪府出身。大学の外国語学部を卒業後、外資系企業に就職。結婚を機に転職。出産後もさまざまな会社で仕事を続け、現在は自動車製造会社の生産部門で女性初の管理職として働いています。4歳の娘を抱え、ベビーシッターなども活用しながら、バレーボールやNGO活動にも積極的に取り組み、NGO国際女性の地位協会理事も務めています。(30代)
自身のキャリアの追求と女性の地位向上の社会活動をともに~会社員 田中恭子さん
大学の建築科を卒業後、不動産会社や設計事務所、工務店に勤務。さらに自分の設計事務所を経営し、さまざまな経験を積み重ねてきました。現在は、一級建築士として住宅販売会社に勤務し、リフォームを担当。建築の技術だけでなく、人とのふれ合いやコミュニケーションを大切にしながら、設計・設備の仕事をしています。(40代)
人とふれあい、仕事を深める~建築士 金野美穂さん
日本女子大理学部で物理学を専攻。卒業後、大手印刷会社附属の基礎研究所に就職。勤め始めてから約10年、現在は液晶テレビ用部材である「位相差フィルム」の開発を担当しています。同じ会社の研究員である夫と結婚し、3年前に出産しました。産休後すぐに職場に復帰。現在は、子育てをしながら研究の仕事を続けています。(30代)
ものつくりのおもしろさに魅せられて~企業研究員 関根(田崎)啓子さん
高校を卒業後、公務員試験を受けて県職員として就職。県下の統計データにかかわる仕事や、経理、パスポート発行、秘書などの仕事を務めてきました。現在は熊本県男女共同参画センターの職員として、女性のための講座の運営、情報提供、相談など、男女共同参画社会づくりにかかわるさまざまな事業に携わっています。
コツコツと積み上げてこそのキャリア~公務員 飯尾聡子さん
大阪府出身。大学に進学後、企業に就職。2年後に退職し、「つくば科学万国博覧会コンパニオン」となる。その後さまざま職を経て、大学図書館の嘱託職員(司書)に。1994年大阪府立女性総合センターを管理運営する大阪府男女共同参画社会づくり財団(現大阪府男女共同参画推進財団)職員となる。働きながら大学院に進学し修了。現在、大阪府男女共同参画推進財団企画推進グループアシスタントディレクター兼情報総括チーフ。(40代)
女性センターライブラリーの情報エキスパートとして働く~木下みゆきさん
大学で保育士、幼稚園教諭の資格を取得。横浜市の保育士となる。その後、転職し結婚。名古屋市へ転居し、子どもが生まれ、仕事から離れる。子育てをしつつ再び大学へ。再度保育士として働いた後、生活クラブ生協の活動に携わる。その後まめっこ親子教室という子育て支援を開始。東邦学園短期大学女性自立支援センター事務局員となり、CAPと出合う。まめっこ親子教室についてまとめた実践事例研究が、『国立婦人教育会館研究紀要(当時)』に掲載される。「フェミニストサポートセンター東海」と「CAPかざぐるま」の立ち上げに参画し、現在は中間支援NPOの事務局職員。(50代)
エンパワメントの思想に立った子育て支援を目指して~河合容子さん
女子短大卒業後、商社に勤務、結婚のため退職。夫の転勤で岐阜県多治見市に転居。子育てに悩み「親業訓練講座」を受講。小学校の図書ボランティアグループを設立。NPO法人ウイン女性企画が名古屋市男女平等参画推進センター管理運営を受託し、スタッフとなる。NPO法人参画プラネット設立、常任理事となる。その後夫がカナダに転勤、家族で移住。在宅ワークでNPO活動を継続。カナダ在住中に執筆した実践事例研究が『国立女性教育会館研究ジャーナル』11号に掲載される。帰国後、NPOの職場に復帰。研究ジャーナル掲載の実績が認められ、名古屋市立大学大学院の受験資格を得て受験。人間文化研究科博士前期課程に入学。
専業主婦からNPO法人に参画し、男女共同参画センタースタッフに~伊藤静香さん
大学卒業後、建設コンサルタントに勤務する傍ら、土木技術者女性の会や女性技術士の会を設立。国際女性技術者・科学者ネットワーク運営委員会の活動を通じて、女性が活躍できる環境づくりや女性技術者の地位向上とキャリア形成支援活動を行ってきた。国立高等専門学校機構理事や技術者を目指す女子学生を支援する会代表を歴任し、若手女性技術士の支援の一環として「技術サロン」を開催し、後輩女性の育成に努めている。現在、環境モニタリングを行う建設コンサルタントで観測・調査・試験部門担当の執行役員として勤務する一方、文部科学省での技術教育、技術士制度に関する各種委員会委員等を務める。(60代)
専門職として働き続けながら女性技術士のネットワークを構築~岩熊眞起さん
両親の教育方針もあり、高校卒業時には、手に職を持って経済的に自立する道を強く志向していた。専門職として保育士をめざし、大学で資格を取得。1972年、就職に際し信州大学医学部の教職員のための保育園が開設されることになり、その立ち上げから関わる。1989年園長に就任。定年後も嘱託園長として勤務。2011年に松本市議会議員選挙に、市民型選挙で当選。一方、学生時代から女性の地位向上や社会の動きに関心を持ち、仕事と並行して社会活動をずっと行ってきた。現在はみんなの学校in松本企画委員会代表、I(アイ)女性会議長野県本部議長を務めている。(60代)
働きつつ、活動を継続。女性のネットワークを形成~田口輝子さん
大学卒業後2年間小学校教員。結婚で仕事を辞め、夫の転勤先、東京で2年間暮らす。その後青森に戻り、現在青森市在住。二男一女の母。末子が小学校に入ってからPTA活動以外の社会を見たいと「青森県女性の船」事業に参加。以後、市のリーダー養成講座等、男女共同参画に関する学習を続けるともに活動にも力を注ぐ。青森市の男女共同参画プラン作成のための意識調査を請け負うことから収入を得るようになり、青森市男女共同参画プラザに勤務。2005年NPOの立ち上げに加わり、2007年から男女共同参画プラザの指定管理者。現在は、NPO法人の副理事長であり、青森市男女共同参画プラザ「カダール」と青森市働く女性の家「アコール」の副館長をつとめる。(50代)
「女性学」の学習を男女共同参画プラザの運営という仕事につなげる~千田晶子さん
北海道札幌市生まれ。結婚・出産後は、東京で3人の子どもの成長に伴い、児童館の手伝いやPTA会長を経験するとともに、フリーランスで市場調査の仕事にも就き、社会の世情を様々な角度から見てきた。学校教育へ地域の立場から支援していくことの必要性を痛感し、現在の活動に専念することを決意。2002年東京都杉並区より「学校教育コーディネーター」(第1号)に任命された。また、これを機に、NPO法人を設立し、学校と地域をつなぐさまざまな活動の企画、運営を展開。文部科学省、内閣府、経済産業省、東京都等の役職を歴任、さらに学校サポーターやキャリア教育コーディネーター等の人材育成で全国的に活躍している。(50代)
地域から学校を支える活動~生重幸恵さん
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